Mt.富士ヒルクライム2024
私にとって富士ヒルというものは鬼門だった。
とにかく相性というものが悪いのだ。
ハルヒル40分43秒(年代別8位入賞2023)、神河ヒルクライム39分15秒(チャンピオンクラス4位2023)のリザルトから見れば富士ヒルゴールド安全圏内なのはほぼ間違いないのに、謎の壁に阻まれるかのようにそこへ届かないのである。何度言われたかわからないほど「ゴールド取れるでしょ?」と言われてきたが、いつまで経っても「取れそうではあるんだけど……」と答えるしかないのだ。
特に満を持して臨んだはずだった去年は最悪だった。
台風一過の影響で河川が氾濫した愛知県で交通が麻痺し、新幹線での移動ができなくなってしまったのだ。
結局このときは現地入りが深夜になってしまい、どうにか当日の出走はできたものの預け損ねた防寒具の携行が必要になり、当日朝の動きを何も考える間もなく就寝したのでスタートの集合も遅刻ギリギリになり、結局中腹で逆噴射して爆死の68分50秒になってしまったのだった。
そして、今年はその雪辱を晴らす重要な一戦になるのであった。
これでゴールド獲って、もう富士吉田に行かなくていいようにする(遠いので)(新幹線止まるのトラウマなので)。
凶兆
富士ヒル本番目前の金曜日、それは起こった。
寝ぼけまなこで歩いていたらテーブルの脚に足をぶつける。それ自体はよくあることだ。なんとなくいつも以上に痛く感じるのは起き抜けだからだろう……と、そのときは思っていた。
しかし夜になっても痛みが引かない。不思議に思って患部を観察すると、明らかに普通じゃなかった。
見るからに赤黒く腫れあがっている。これ見て大丈夫だと思う人はいないだろう。「足の指 ぶつけた 変色」でググってみたら、骨折の可能性もあるらしい。ここにきてしょうもない不安要素を抱えてしまった。
とりあえずネオパスタノーゲン(鎮痛消炎剤)を塗りたくって就寝した。
前日受付の日
交通麻痺がトラウマ化した私に強力な助っ人が現れた。
「丑屋(うしや)」さんという同じ兵庫県内の自転車仲間で、今回の富士ヒル参加に際しクルマに横乗りさせてもらえるという、神バックアップを得られることになったのだ。これだけでも勝率がうなぎ上りである。本当に感謝しかない。この場を借りて御礼申し上げます。
朝4時半に我が家へ現れた彼のクルマに自転車と荷物をテキパキと積み込み、神戸から富士吉田までの遠征を開始した。
道はとてもスムーズに流れており、11時過ぎには現地に到着してしまった。ちなみに11時というのは去年は近鉄特急に乗りながら新幹線の運行情報を血眼になって調べていたタイミングである。完全に雲泥の差だ。
(なお、去年の私が新幹線に乗って名古屋駅を発つのはここから6時間半後のことである)
去年とは違って無事に会場入りできた自分達は、ブースを回ったり知り合いと会って話したりして楽しんだ。去年はこれが全くできなかったので、これだけでも本当に良かった(詳しく書きたいけど本筋ではないので割愛)。ただ、スタジアム内を一周歩いただけで足の指の患部が熱持って痛んできたのは不安しかなかった。
その後、同じコテージに宿泊予定の自転車仲間と合流。そのメンバーの中に看護系のお仕事をされているばんばんさんがいるので、足の指の感じを診てもらったら、速攻で「骨折だね」と宣告された。オーン。
足指はとりあえず、私がたまたまポーチに忍ばせていたテーピング用のテープ(いつ仕込んだのか思い出せないし仕込んだことすら忘れてたもの)を使って応急処置して明日の決戦に臨むことになった。大丈夫かおい。
宿には温泉があったので入浴した。脱衣所に体重計があったので1億年ぶりに測ってみたら53kgだった。
私の体重は基本的に54~55kgからほとんど変動しないので、普段は体重を測る習慣が全くない。最近は普段にも増して食欲がなくて、いつもはちょっとしかつまめない腹の肉がより一層つまめなくなっていたので測ってみたのだが、やっぱり標準を下回っていたらしい。しかも食直後での53kgだ。厳しい食事制限でダイエットをしてきた諸氏から刺されそうな話であるが、アンリミテッド飲食生活でも勝手に低体重を維持できるという恵まれた肉体の恩恵を最大限に受けた格好だ。(すみません。マジで刺さないでください)
前の週に敢行したFTP計測は269Wだったので、55kgの場合のPWRは4.89倍かよと思っていたのだが、53kgならPWR5.07倍で五倍界王拳だ。もしこれでゴールドを逃したら完全に道化である。さらに負けられない戦いになってしまった。
決戦の朝
3時40分。気持ち早めに起床。初手で雨雲レーダーを確認する。
少し前に雨が降っていたようだが、もう通り過ぎており、これから先に控える雨雲は見当たらない。どうやら大丈夫そうかもしれない。
朝飯を食べて着替えを済ませたころに丑屋カーがコテージにやってきて、指定の駐車場まで送ってもらった。
その駐車場でマシンの準備をしていたところで気がついた。
僕「パワメの電池と電池の蓋、下山用荷物に預けちゃってた…」
その話を聞いた各位「なんで?」
説明しよう。このマシンに付いているパワメはSTAGESなので、左クランクにCR2032を入れて駆動させるのだが、基本的にレースでしか使わないマシンなので数ヶ月後に走らせると電池が切れていることがよく起こっていた。なので、保管時は電池と電池蓋を外した状態にしていて、走る直前に取り付けるということをしていたのだが、今回荷物預けの時に誤って工具と一緒にそれも預けてしまったのだ。
俺は……またしてもパワー値ブラインドで戦うしかないのか……!
(補足:大事な一走の時に限ってパワメにトラブルが起こるジンクスも持っている)
で、会場入り。
今回はフォロワーさんの某作家先生に紹介してもらってNICO-OZチームトレインに便乗させてもらう作戦だったのだが、肝心の作家先生を見つけられない。先生以外の方とは全く面識が無いうえ、先生本人は不調につきゴールドトレインから外れるのが確定しているということで、こんな状況ではとても乗車なんてできない。
どしたものかと会場をうろうろしていると、自転車仲間のはやとさんを見つけた。彼はチームメンバーの到着を待っていたようだ。彼とは前日に会ったときに「もし先生のチームに合流できなかったらそちらに混ぜてもらいたい」と話していたので、見切りをつけてこちらに依頼し直した。不躾なお願いで申し訳なかったが、落伍者が出た際や終盤追い上げなどの助っ人(予備役)(傭兵)(召喚獣)としての任を得られた。感謝!
スタートは第3ウェーブの中の第3番目からになった。パレードランの先導はなんと別府史之元選手!焦れったいほどゆっくりした先導だったが、誰もフミより前へ出る毛の生えた心臓の持ち主はおらずジリジリ進む。
計測開始前にあるコーナー手前ではやとさんら6人チームの隊列が整列。このスタート集団の最前だ。私はその殿の真後ろにピタリと付ける。
計測開始。
ここからの展開は主観的な記憶を頼りに書くので、事実と異なる描写があるかもしれないことをご了承願いたく。
チームトレインなのでセレクションなどは起こらず、静かな幕開け。淡々と登坂を開始する。
パワーは電池がないのでわからないが、心拍は170にも達していない。さすがに集団内だと楽ができてすごい。ほとんど体力消費せずに距離を消化していく。ちなみに、私は40分ぐらいで終わるレースなら平均180bpmで駆け抜けるので、170は会話も可能なペースである。
さすがに何回かの試走もこなしていたチームトレインなだけあって、ペース管理など相談しながら進行していく様子が観察できる。はやとさんを通じて練習してる様子は見ていたので、トレインの信頼度は高い。ペースはもうお任せ状態だ。
しかし後半戦に入って綻びが出始める。
一人、二人とペースについていけなくなったメンバーが脱落していく。チームの紅一点の鈴さんも呼吸の乱れが始まりローテから離脱。ツキイチの私と位置を入れ替えたが、残念なことにそのままトレインから脱落となってしまった。
ゴールドトレインのローテメンバーがとっしーさん、はやとさん、Kanさんの3名に減少してしまった。
はやとさん「令呪をもって命ず!にょろ、ローテに加われ!」
ぼく「ウッス」
というやりとりは無かったが、サーヴァントとしての盟約に従い(普通に喚ばれて)満を持して黄金列車に連結。モハが3両から4両に回復を果たした。
ポジションは私の前ははやとさんで、後ろがとっしーさんだった。とっしーさんとは完全にはじめましてだったが、出走前に挨拶ができていたのでコミュニケーションに不安は無く安心だ(いちいちこういうとこ気にするコミュ障特有の悪癖)。
はやとさんから先頭交代を受けて牽引の初仕事。交代際に「4.7倍で!」って言われたけどパワメが電池なくてわかんねー!
勘でペダルを踏む。とっしーさんから微調整のアドバイスを受けつつオッケーをもらったので、以降はその負荷を覚えて回していった。
この辺りから向かい風が行く手を阻む。
ペースが目標タイムから若干遅れているらしく、緊張感が高まった。ここではやとさんの呼吸が怪しくなっていく。
まさかと思った。はやとさんは私のTLの中でも特に富士ヒルにフォーカスしてトレーニングを重ねていた一人だ。やれることは全部やったと言えるほどに準備されていて、このままゴールスプリント勝負かなと思っていた彼が、あろうことか目の前で失速していく。
車間が2車身開いたところで自分の車体を入りこませて隙間を埋める。俺をブリッジにして戻ってこいという願いは届かず、より後方から前を譲る彼の声がするのを聞いて脱落を悟った。現実は無慈悲だった。
黄金列車は再び3両編成に戻ってしまった。しかも遅れを取り戻すべく負荷が増しており、私の心拍数もここから180台に乗り始めた。エンジンかかってきたぜ……!
残されし三人衆(とっしーさん、Kanさん、にょろ)は実力も残り体力も拮抗しているようで気持ちよくローテが回る。ゴールドトレインの看板を掲げてここまで来たのだ。私は傭兵とはいえ、残った3人でゴールドでフィニッシュラインに辿り着く義務がある。ひたすら成功だけを信じて愚直にペダルを漕いだ。
平坦区間の誤算
奥庭の駐車場脇をKanさん先頭で駆け上がる。この坂を登り切れば平坦区間が待っている。もう少しで登り切れるというところで肘クイを受けて先頭スイッチ。ペース維持でてっぺんまで辿り着き、いよいよ平坦区間。
一気にペースを上げる!……と思ったが後ろから「ちょっと速い!」と声がして、後方をチラ見すると中切れ起こしそうだったので加速をやめる。気配だけでジョイントを察して再加速。目の前には長大な別のトレインを捉えていて、速度差からみてこれをオーバーテイクしなければならなかった。しかしトレインが長い。40kph出ているが追い越すにはもっとほしい。頑張ってトップスピードを伸ばしたかったが、ここで二段加速が祟って脚攣りの兆候が出てきてしまった。体力は充分温存できていたが、脚攣りしてしまえば残り体力なんて関係なくなってしまう。不本意ながらもパワーにリミッターがかかった。
リミッターがある状態では左に連なるよそのトレインを抜ききれない。肘クイをしてみるが、ローテが回らない。仕方ないのでもうちょっと頑張って踏んでみるが、トップスピードは伸び悩んだままで、ついには左のトレインにもスピードが追いつかれてしまった。
ここで今まで私達3人にツキイチしていた黒ジャージの選手が飛び出して行く。キレのある加速で誰も追いつけない。しかしこれを皮切りにKanさんが前へ上がっていく。ようやくローテが回ったと思ってとっしーさんの後ろに戻ろうとしたら、とっしーさんの真後ろが知らんライダーがびっちり付いていて車列に復帰できない。
左には長大トレイン、右には復帰する隙間が埋められた元のトレイン、さらにその右からも何名かのライダーが突っ込んでくる。右の車線には下山待機用のクルマとカラーコーンがブロックしていてはみ出しも許されない。もうぐちゃぐちゃで八方塞がりだ。活路は唯一前方にしかないが、脚攣りの爆弾に怯えてそれもできない。そんな状態で高速でトンネルに突撃する。路面はボコボコで、視界は暗くて接触が怖くてたまらなかった。
もう攻めてる場合じゃない。命を大事に。耐えるしかなかった。
気がついたらKanさんははるか遠くへ行ってしまった。荒波を前方で乗り越えたらしい。
とっしーさんは視界前方にまだいた。最後のトンネルを超え、フィニッシュラインへと至る最後の坂がやってくる。
ここまでくれば落車の心配はないし、脚攣り覚悟の捨て身アタックが許される。ギアを変え、スパートをかけた。
とっしーさんを追い抜く。とっしーさんは紳士的にエールをくれて見送ってくれた。
視界にいる選手の誰にも負けない激走で捲っていき、フィニッシュラインを切った。
64'17"
ゴールド獲得の瞬間だった。
終戦
Kanさん、とっしーさん、私はゴールドリングを手にした。
はやとさんは残念ながら奮戦虚しくゴールドに届かなかった。やっぱりショックだった。
はやとさんに匹敵するほど集中してトレーニングしていた自転車仲間のやつはしさんは、富士ヒル初参加ながら68分50秒でゴールしていた。これは本当に凄いと思った。来年はぜひゴールドを目指してみてほしい。
網膜剥離の治療で全然自転車に乗れていなかった中で復帰戦となったふぃりっぷさんは、83分でブロンズを死守した。奇跡だと思った。
PEKO姉は余裕でブロンズを取っていた。女性のブロンズはガチの強者なので慄くしかない。
はくらいさんは去年の超ギリギリシルバーから普通にシルバーになっていた。
ひであさんは今年もゴールドに届かず悔しげにしていた。
笑う者も泣く者もいろいろだ。他にも紹介しきれないドラマが数あった。
皆はまた次の目標へ向かって走り出す。
私もひとまずは富士ヒル卒業だ。こんな遠いところ、毎年行くのは辛いので。
さて、次はどこへ行こうかな。
その前に足指治そうな……(痛い)。
おまけ
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