お題小説「ある一人旅」

この小説はいただいた単語を元にインスピレーションを得て書いたものです。

・お題(インスピレーションを得た単語)
サービスエリア/リミナルスペース


「ある一人旅」


「奥の席、失礼します」
「あ、はい」

彼女との会話はこれが初めだった。丁寧に頭を下げられて恐縮したのを覚えている。

薄暗い車内、オレンジ色の明かり、急くようなエンジン音。時折聞こえる上擦った喋り声だけが華やかだ。

会釈してカーテンを手繰り寄せ、音を立てないようにソロソロ引いて締め切る。首をひねって後ろを確認するが、幸い誰もいない。座席を好きなぶんだけ倒した。

夜行バスが好きだった。元々夜のひっそりとした騒がしさが性に合うのだ。唸る車体は足元からぞわぞわ震えるような不思議な興奮と落ち着きを私にもたらしてくれる。

少し仮眠を取ろうと体を居心地のよい位置に動かしていく。と、ガタッ、ゴトッという音とすみませんと言う声が遠く聞こえた。こういった旅に慣れていないのであろう彼女は、まだ幼さを残した顔立ちであった。そんなことをぼんやり思いながら眠りについた。


目が覚めたのはちょうど、大きな運び屋が体を休めている時のようだった。人と車の休憩の時間だ。ひも靴を履くのに手間取っているとカーテンが開き彼女がちらりとこちらを覗いた。

「ちょっと待ってくださいね」

待たせるのも申し訳なく、結局突っかけたまま通路に出た。皆連れ立って列の合間をもぞもぞと進み、次第に澄んだ空気を感じながらサービスエリアへと降り立つ。ちょうど吹いてきた風が心地いい。羽の伸びる気持ちだ。

紺色の空には星がひとつふたつ。写真におさめようとポケットを探り携帯を引っ張り出す。時刻は3時すぎを示していた。案外最近の機種はカメラの性能がよく、見た通りとはならずとも思い出の再現にはもってこいの物だった。

一通り用を済ませ少し遠い場所に止まっているバスへと足を速めた時、ふと視界の隅に赤が写った。

"それ"は人がくぐれるほどの大きさに見えた。いくつも連なっていて……雑誌やテレビでしか見た事はないが、伏見稲荷のような。サービスエリアにそんな物があるのだろうか。

思わず歩みを止めてじっと目を凝らすが、生憎視力に自信はない。少しだけと来た道と別の方へ向かううちにまた、ぞわぞわとした興奮が私を襲った。辺りには人がまばらで見晴らしが良い。

"それ"の正体がはっきりわかった、というと語弊があるが、とにかくよく見ることが出来た時には"それ"の神秘性はだいぶん薄れてしまっていた。なんのことはない、屋根を支えるための枠組みが赤く塗装され向こうへ向こうへと連なっているだけであった。それでも"それ"は、私にとってしばし歩みを止めるのに十分な魅力を纏っていた。

夜空と人工的な明かりの混ざり合う中に、ほの暗い空気を纏う赤。思わず息を漏らした。

私を呼び戻したのは、カメラを起動しようとして取り出した携帯の時刻表示であった。発車の時間まであと僅かになってしまっていた。


少し息を切らして戻ると、彼女はカーテンを開いたままでいた。少し早口で自分は次で降りるのだが貴方はどうですかと尋ねてきたので、まだ先ですと答える。

「気をつけて通ります」

「ありがとう、眠っていても気にしないでくださいね」

彼女がカーテンを引く音を聞きながら、座席に体を預けた数分後には眠りの世界に旅立っていた。

『_まもなく町田に止まります、このバス停は降車専用となり_』

薄らと目を開けた時には乗客がやはりもぞもぞと歩みを進めていた。彼女は、と見るとそこには綺麗に整えられた座席がすましているだけであった。

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