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東京都心の爆弾テロ、43年後の真実①

東京都心、それも丸の内のオフィス街で爆弾テロが起きてから43年が月日が流れようとしている。東アジア反日武装戦線「狼」による三菱重工ビル爆破事件だ。私が前回のnoteで書いた古川原一彦は、このテロ事件の捜査で活躍した公安捜査官だった。彼が生前、私に明かしていた秘話をきょうから三回にわけて紹介したい。

1974年8月30日、空前の爆弾テロが東京のど真ん中で起きたことを読者の皆さんはご存知だろうか。東京・丸の内で三菱重工ビルが爆破されたのだ。
ダイナマイト700本分の威力の爆発。ビルのガラスがすべて吹き飛び、路上に降り注いだ。血まみれの人たちが道路に横たわる。まさに地獄絵図だった。死者は8人、けが人は376人にのぼった。
この爆破の8分前、三菱重工の本社にはこんな電話が掛かっていた。
<我々は東アジア反日武装戦線”狼”である。爆弾を2個仕掛けた。これはいたずら電話ではない>
その後も、三井物産、帝人、大成建設、鹿島……と大企業を狙った爆破事件が続いた。これが当時の日本を震撼させた「連続企業爆破テロ事件」である。

この事件の捜査で、末端ながら大活躍したのが、若き日の古川原一彦だ。
高校卒業後の1965年、警視庁に入庁し、巡査拝命。交番勤務からスタートして、7年後に、文京区音羽にある大塚警察署の公安係に異動となった。過激派によるテロが続いた時代、仕事は山のようにあった。
三菱重工爆破事件が起きたのは、講談社の労働争議を担当し、情報収集をしていたときのことだった。大塚警察署管内の地下鉄茗荷谷駅から、犯人らしき人物が乗車したとの情報が寄せられ、古川原は捜査に投入されたのだ。


捜査に加わったとはいえ、所轄の末端だ。岐阜の貧しい家庭に育ったこの男、「俺が一発あてて目立ってやる」と並外れた貪欲さを見せた。犯行に使われたペール缶爆弾の時限タイマーの販売元をこつこつと探す作業に没頭した。
タイマーに使われたのは「スターレット」という旅行用目覚まし時計だった。茗荷谷駅近くの時計店にいった古川原は、タイマーに使われたスターレットと製造番号が連番(一番違い)の時計を発見する。
「犯人が時計をこの店で買ったのではないかと誰もが思った。茗荷谷駅近くに爆弾魔がいれば、俺に手柄になると思ってワクワクしたよ」(古川原)
結局、犯人がこの店で時計を買った事実はなかったのだが、その粘り強い捜査姿勢が評価され、古川原には念願の「公安部」から声がかかったのだった。
公安部公安一課極左集中取締本部、「極本」と呼ばれた精鋭部隊だった。公安と言えば、尾行と張り込みだ。同世代の若者に溶け込まねばならない。
しばらくすると、髪を肩まで伸ばし、ジーパンに柄物シャツという出で立ちで聞き込みに歩く古川原の姿があった。(続く)