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先生

親友の息子にカンフーを教えている。春にアイビーリーグの大学院を卒業する好青年だ。不幸にも先月コロナウィルスに感染してしまい、一緒に練習するのは今年初めて。練習場である裁判所の裏の駐車場で落ち合う。

「大丈夫だったかい?」「結構キツかった」2週間ほとんど寝たきりだったらしい。「実際感染者に会うのは初めてだよ、サインをくれ」などと冗談を交わしながら練習を始める。でもヘンな話だよな。比較的健康な若者が回復するのに数週間かかるのに、いくら最高の医療手当を受けたとしても、なんで70歳過ぎのジャンクフードが大好きだと豪語するオッサンが2、3日でケロッとしてやがったんだ?「あれは絶対仮病だろ」「絶対そう」また2人して大笑いする。感染しても無症状の人はいるから一概にそうは言えないが、アイツならやりかねない。

1ヵ月以上ブランクがあったが、少しは自分で練習していたようだ。最後に教えたことをまだ覚えている。戦闘的なタイプではない。「いざという時には身を守れる自信がほしい」と習いに来るようになった子だ。だからあまり厳しくしごかない。練習を習慣化することによって自分の身体を知り、五感を研ぎ澄まし危険を探知する能力を身につけてほしい。呼吸に重点を置いた氣功運動を小一時間ほどこなす。

「ところで君は吸う人?」「えっ?」「バッズのことだよ」彼は少し戸惑いながらイエスと答えた。彼の父親は1年半ほど前に交通事故に遭い、医者に処方された薬の副作用についていつもぼやいている。何度かバッズを勧めたが、長年セラピストとして麻薬で逮捕された人をカウンセリングしてきたこともあって前向きではない。

「親父さんに教えてあげろよ」「そんなことできないよ」お母さんは元警官だし、うちとは事情が違うようだ。最近落ち込んでいるみたいで心配しているのだが、本人に受け入れる氣がなければ誰が何を言ってもどうにもならないか。「今日は久々だからこれくらいで切り上げよう。親父さんによろしく言っておいてくれ」別れを告げ、拳を合わせる。

22年前、師匠は赤の他人だったオレに生きる術を授けてくれた。そしてこう言った、「しかるべき人に伝えろ」と。あの人に比べたら自分など赤子同然だが、尊い知恵は惜しみなくシェアしようと思う。

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