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真摯に仕事と向き合う人ほど遭遇する「非道徳な決断で導く成功」の話

妻が復習と称して何度も大豆田とわ子を観直し、ため息をついている。

(ちょいちょいドラマの話を絡めますが重要なネタバレはしません)

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ため息は、次回最終話を迎える寂しさとイケメンオダジョーの所為。

出で立ちは長髪気味のオールバックに黒縁メガネと、
実はキダ・タローと大差ないのにw、ほとばしる色香のオダジョー。

この間までしんしん、しんしん(岡田将生)、言ってたくせに。

バッティングセンターのシーンは神だったと観終わっても尚語る。

しんしん、はっさく(松田龍平)、オダジョーの3イケメン勢揃い。
視聴者の期待も汲んでか、こちらも3人一緒の画が欲しいところだった。
そりゃとわ子もタッチのOPを歌い上げたくなるというものだ。

角ちゃん(角田晃広)が広島に出張していて居ないという都合の良さに、
製作者の何かしらの“作為”が垣間見えた笑。

(俳優名と役名と呼び名が混ざるのは我々夫婦の会話風景ままで)

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時として物事の舵取りをする人は、こういう不平等とも言える“作為”を企て、
一番優れた部分だけ(例えば3イケメン)に特化して成功へ突き進む。

成功を取るなら、小学校で習う万人平等・万事公平の道徳心にも蓋が必要だ。

『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』という映画を観た。
まさに成功のために道徳心に蓋をして突き進む男の話だ。

ハンバーガー屋さんとしてのマクドナルドを最初に開いた創業者と、
世界的なマクドナルドブランドを作った事実上の創業者は別という実話。

世界に広めた男が「ファウンダー(=創業者)」をのっとるまでの話。
今も尚、いかなる困難を経ても、世界各地で飲食業の第一線にいる理由の原点。

それにしても、もはや知らない人を探す方が難しそうなマクドナルドを作った男。
よくよく思い起こしてみてほしいのが、マックのハンバーガーはシンプルだ。
とんでもなく美味しいとか(美味しいけど)、そういう物でもない。

となると味というよりは、ノウハウと経営が肝だと知る。

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ノウハウや経営が肝、つまり重要とな。

肝になるほどのネタとある程度の資金があれば、誰でも成功できるのだろうか。

画期的なアイデアや先見の明を持って成功した実業家の武勇伝に触れ、
「自分も昔に同じようなことを考えていたのに」とか、
「タイムマシーンでその人よりも前に起業していたら今頃は」とか、
かつての閃きに忠実に従ってさえいればフォーブスに載れたようなことを言う。

本当に?

答えは、二つの理由から大抵の場合が難しいだろうと思う。
逆を返せば、自ら起こした事業でいま食べていけている人は、
規模の大小を問わず、現時点で既に奇跡みたいに凄いと思える。

まず、“起業”できた人が“企業”もできるとは限らない。
むしろ、0から1と、1から10の両方が作れる人は、周りを見ても極めて稀だ。
全く性質や能力が異なると言っても良いのではないだろうか。
(皆が知る社長がどちらもできるのは、どちらもできるから皆が知るのだ)

もう一つは、0を1にする“起業”は、発想力の秀逸さが問われ、
しいて言うなら1つだけ駒を進める起爆力や瞬発力が求められる一方、
“企業”を始めたら、1から10へ9つも駒を進めなくてはならないということ。

次々と押し寄せる難局をあの手この手で間違うことなくねじ伏せ、
時には過酷な判断を強いられる持久走を制す猛者になれるかが試される。

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“起業”は、夢や希望や理想に満ち、聖人でも心を痛めず進められるが、
“企業”は、おひとよしでは渡りきれない黒い沼地をも歩くタフさが要る。

前者の起業は、徹底したマニュアル運営のハンバーガー店を作った兄弟であり、
0→1の閃きはあったが、一大ブランドにする野心も能力もなかったタイプ。

後者の企業は、世界的マクドナルドブランドを作った52歳の元セールスマンの男。
出だしこそ人のアイデアだが、彼には野望めいた1→10の執念があった。

事業規模を大きくする上で、元セールスマンは創業者兄弟への配慮も欠かさない。
原価を抑えて利益を生む策も、敬意を払って実行前に何度もお伺いを立てる。
しかし保守派な兄弟は、こういった提案に首を縦には振らなかった。

次第に男は、創業者兄弟に対して不義理や契約違反を行うようになっていく。
男には事業拡大への道がはっきりと見えるから、兄弟への義理の方を捨てた。
義理堅いプライベート心と、抜きん出たいビジネス心が、切り離された瞬間だ。

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大豆田とわ子は、企業の切り盛りをするには少々優しすぎるかもしれないけれど、
それでもプライベートの様々な出来事と社長業を頑張って切り離しながら進む。

小鳥遊(タカナシ)ことオダジョーは、ビジネスは割り切って冷淡にやると決め、
片やプライベートは、二重人格かと疑うほど人間味に溢れて感情も豊かだ。

前回のnoteで、マルチタスク型の人が大勢を束ねる話を書いたが、
ビジネスのためなら道徳心や人情(≒プライベート)を切り離す力があることも、
大事業を“成功”に導ける人の絶対条件に入れざるを得ない。

誤解を恐れず言えば、成功する人は割り切れば非道になれる人、だ。

因みにビジネスを割り切って行うのは、何も事業の成功のためだけではない。
関わる人全ての精神衛生のためでもある。
厳しい判断は、する方もされる方もダメージが大きい。
その時、ビジネスとプライベートを切り離すことができさえすれば、
自身は自分本来の姿を黒く染めずに置いておくことができるし、
相手は「あれはビジネスだったから」と免罪符を1枚もらって心を守れる。

妻はプライベートは優しい人だが、仕事では厳しい決断もして大変そうだ。

プライベートの中でビジネスのダメ出しをすると、そこには愛が残らない。
人格否定と受け取られ、残るのは怒りや悲しみや憎悪になってしまう。

僕はオン/オフの境なく執拗に案件の質の向上を考えさせる上司にあたり、
休みや深夜も指示を受け続けた結果、万人・万事を嫌うようになった経験がある。

愛を示したいのなら「これはビジネス」と明言したり、
プライベートの一面も見せることが、互いの心を痛めない解決策になりそうだ。
まさしく、とわ子と小鳥遊はそうであった。

『優しいっていうのは頭が良いってことでしょ?』と第1話でとわ子が言う。

そう、人は歳を重ねるほど頭を使って、相手を慮って“愛”を示す必要があり、
努めて優しく在ろうとせねばならない。

それぐらい成功や幸せや愛の形が多様で、立場や状況が複雑に入り混じり、
万人にとって優しいことは実現困難な社会を僕らは生きているのだから。

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だから、万人平等・万事公平の基本的道徳教育が前提に必要で、
だから、信念に則って行う“非道徳”は成功への突破力になり得ることを知り、
だから、ビジネスとプライベートをきちんと分けて愛を心に残す必要があって、
だから、優しさは頭を使って相手に示す努力をし続けなければならない。

ビジネスに真摯に向き合う時、ある種の非道は避けて通れないようだ。
(潔白を通す時は、それは道徳心からではなく保身からだったりする)

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