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「信じる」ということ

「信じる」

この行為は単純なようで、深く、底が見えない、私の人生のテーマの一つだ。

このことについて、芦田愛菜ちゃんの考えがとても的を得ていて、私を思考の旅に連れ去ってくれた。なので、ぜひ多くの人の目に触れてほしい。

https://mainichi.jp/articles/20200903/orc/00m/200/050000c

裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました。

圧巻の回答である。
芦田愛菜ちゃんの聡明さには驚かされたし、彼女の考え方から学びたいことは多い。

そして何も、この彼女の「信じる」には、他人へのアプローチだけではなく、自分との向き合い方にも通ずるはずだ。

私は今までの人生の中で、何度か「まさか自分がこんなことするなんて・・・」と思った出来事がある。
その内容は割愛するが、自分自身にひどくガッカリしたのを覚えている。

芦田愛菜ちゃんの言葉に沿って考えれば、私は私の事を期待しており、こんな人間でありたいという願望もあった。そしてそこから外れた時に、自分自身に落胆してしまうのだ。そこで、そんな一面もあったんだね。と自分のことを依然として受け入れられていたら、どんなに良かっただろうか。

自分の中に眠る完璧主義な一面が、私の欠点を許してくれなかった。
期待はずれな自分に対して、何度目をつぶってきただろうか。自分で自分を受け入れられないから、人に私を受け入れてもらうように求めた。そっちのが、ずっと楽だったから。
他人軸で生きるのは、不安定で、全然かっこよくない。そんなことを頭の片隅では思っているから、他人の称賛を素直に受け止められることもできずにくすぶってしまう。

ずるくて卑怯な私
自分本位でわがままな私
完璧主義な私
小心者の私

こんな私の事を、私は受け止められるのだろうか。

愛情深い私
繊細な私
寛大な私
自由な私

こんな私だったら、きっとすべて受け止められるはずだ。
自分の過ちや欠点を受け止める凛とした強さ。私が次に育てたい種はこれだ。

そして私には、これらすべての面があると、私は信じよう。

素敵な思考の旅に連れて行ってくれた芦田愛菜ちゃんに感謝を込めて。

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