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名興文庫のラノベ炎上芸について思ったこと1

 この文章をアップするのは非常に懊悩した。
 これを読んだ天宮さくら氏(コラムの筆者)が傷ついて「侮辱罪だ!
!」「誹謗中傷だ!」と言うのはとてもつらいことなので、「心のうちに仕舞っておこうかな」と思っていた。
 だが、実際に名興文庫の本を買って読んだら「何か書かなければならない」という気持ちになった。
 450円支払ったんだから、その分の感情は吐露してもいいはずだ。
 そう思って、キーボードを叩いている。

 名興文庫という自称出版社の同人サークルが、ライトノベル批判を展開し、ネットの一部で話題になっている。
 発端となったのは、「ライトノベルとは何か?」という公式HP内の記事であり、特に「ライトノベルばかり読んでいるとバカになる!」「なろう系を子供に読ませるな!」「ライトノベルは翻訳すると面白くなくなるから海外展開が難しく、滅ぶ!」といった主張がやり玉に挙げられた。
 インターネットではほぼ同時期に「本格ファンタジーの衰退」を巡って本格ファンタジー派となろうファンタジー派が激しい対立を見せており、その流れもあってそれなりには話題になった、ような、気がする。
 この記事の筆者であり、(おそらくは)名興文庫の本体である天宮さくら氏はこれについて激怒し、反論への怒りを表明した「『ライトノベル』の未来とは」をアップしている。

 この二つについては、正直に言って、目も当てられないほどひどい。

 まず、主張を支える論拠がおかしいので主張の説得力がない。
 たとえば「ラノベは翻訳すると無機質な文体になるから海外展開が難しい」という主張だが、その例として挙げているのが自作の文章をGoogle翻訳した英文である。
 自作の文章をGoogle翻訳にぶっこんで「ほら!? ラノベの文章は英語にするとこんなに無機質になるだろ!??」とか言われてもこちらとしては困惑するしかないし、なんで翻訳されているラノベの原文比較をしなかったんだよ!
 というかラノベ・ライト文芸はアジア圏や欧米圏を中心に翻訳出版されているから海外展開が難しいわけでもなんでもないんだよなあ……。
 続巻が途中でストップするといった問題点はあれど、実際に刊行されている作品を見向きもしないで「海外展開はできない!」と言い出すのはさすがに暴論だと思う。
 ライトノベルに関する学術的研究や資料は数が限られているというのが現状だ(ライト文芸になるとさらに悲惨な状況だ)。ライトノベルを真面目に語ろうとするならば必然、数少ない研究本を読んだうえで制作側インタビューや書評などにもあたっていくしかない。
 ところが、コラムで出典されているのは古典的な『ライトノベル完全読本』や『ライトノベル☆めった斬り!』がほとんどであり、10年代以降のラノベシーンについては出典資料がないままに自身の推測と私観でまとめられている。
 要はまともな論拠が無いまま話が進んでいるため、読んでいると「本当にそうなのだろうか……?」と不安な気持ちになってくる。
 天宮さくら氏(とその囲い)はこういった指摘を「揚げ足取り」と批判しているが、重箱の隅をつつくのではなく、主張を支えるそこかしこの根拠がいちいち怪しかったり変だったりするから全体の文章の説得力が大変弱くなっているのが問題なのだ。

 次に、ライトノベルを語っているわりに事象に対する解像度が低すぎる。
 なろう系に関してはバカにしたくてバカにしてるんだろうから(良くないが)良いとして、TRPGについて「一から自分で世界を構築し物語を作成するのではなく、すでに他の人の手によって完成された世界をベースに簡単に物語を創作するテクニックだが、限られた世界の中でしか物語を描けない」と言ってTRPG勢から怒りを買っていたり、ライト文芸についてゼロ年代越境ブームをガン無視して「いつまでもライトノベルから卒業できないからライト文芸が出来た!」とあまりにも無茶な雑語りをしたりしているのは、こう、バカにしているというより単なる無知なんだと思う。
 「ライトノベルの領域が膨張している」と主張したいのであれば、最低限なろう系やライト文芸やボカロノベルやTRPGや児童書や5分シリーズやノベライズやジュブナイルポルノや一般文芸やウェブトゥーンやyoutube動画やVtuberなどに触れていくべきだし、それに対する言論にも触れていくべきだ。
 しかし天宮さくら氏はそれを放棄し、wikipediaとやらちまJINと滝ガレあたりで醸造されたような話しかできていない。
 これではもう、砂糖菓子で出来た弾丸を実弾だと思い込んでぽこぽこ撃ちまくっているようなものである。
 彼女(たぶん)は「『ライトノベル』の未来とは(3)」において、
『十二国記』から、政治について考えるきっかけをもらいました。
『キノの旅』から、世界には大勢の人がいて、さまざまな考えがあるのだと知りました。
『狼と香辛料』から、経済の複雑さと面白さと(原文ママ)教えてもらいました。
『この素晴らしい世界に祝福を!』から、予想外の展開を驚きながらも受け入れ楽しむ面白さを感じました。
『涼宮ハルヒの憂鬱』から、理想から遠い現実だって考え方ひとつで悪くないものだ、と気づかせてくれました

と気持ちを吐露するが、これは一方で危うい側面がある。
 小説家の澤村伊智氏(『来る』の原作者です)がたびたび批判し揶揄する「ガンダムとか履修したから物事を俯瞰して見る癖が付いたと自負している方」になってしまいかねないからだ。
 何かについて語るということは、自分の視野を広げ新たな一歩を踏み出す必要がある。
 確かにライトノベルを読んで学ぶことは多いと思うが、ライトノベルの中に呪縛されるのではなく、そこから一歩でも良いからはみ出して時には懐疑的になることが、少なくとも「語る」という行為の上では重要なことだ。

 ただ、共感できなくもない部分はある。
 「ライトノベルは膨張している」という点についてはまあ、確かにそうだし(だからといって危機感は抱いていないが)、「ライトノベルの古典を制定しろ」という意見については、旧作にアクセスするためにはプレミア価格で古書を買うか同人・セミ同人での復刊を待たなければならない現状を鑑みるとかなり重い提案といえる。
 しかし、後者はいち同人サークルではなく主にKADOKAWAがやるべき仕事だと思う。いち同人サークルや読者が古典を決めても、出版社が復刊して夏の100冊のような常盤木本にしてくれる可能性は、残念ながら低い。
 「娯楽だけでは終わらない」「メッセージ性のある」「新しい発見がある」作品はライトノベルだけでなく一般文芸においても重要な評価軸だと思う。……思うが、小説は娯楽だけで終わってもいいとも感じている。
 100%娯楽で構成された小説は、おそろしくテクニカルな芸術品になりうる。

 散々な話をしておいてアレだが、好きなジャンルや作品を高尚だと位置づけたりラノベやなろうを見下したりするムーブについてはもう「愛しいね……」という気持ちで見守っている。
 だって、インターネットをやっていればこの手の主張は散々散々散々散々見かけるものなので、いちいち腹を立てていたら腹が爆発四散する。むしろかわいい。
 じゃあなんでこんなキレた文章を書いているのかというと、名興文庫がこのぶち上げた思想を全く体現していないからだ。

 レーベル説明によると「名興文庫は良質な物語を提供し、読者の人生をより良くするお手伝いをします。貧相な読書ばかりしていては物事を単調に見る癖がついてしまいます。深みのある物語を読むことで、人生を良質なものにしませんか?あなたの心の健康、大丈夫?」とある。
 ところが、名興文庫のローンチとしてリリースされた天宮さくら氏の『シロクマの背に乗る』を買って読んだところ、全くこの理想とは反した代物だった。

 それがどういうものかは……

 後半に続く!



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