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アファンタジア考 (2024年02月)

アファンタジア考(x.com からの抜粋)2024年02月


🍅2024-02-11#1

アファンタジアの特徴・程度・頻度は人によって様々。自分の場合、多くの人が脳内に浮かぶであろう色・形・像・景などの視覚的なmental imagery(幻視ではなく心的イメージ)が先天的に常に完全に一切ない。おそらく視覚以外の聴覚・味覚・嗅覚・触覚の心的イメージもない。過去の自伝的記憶も欠落。


🍅2024-02-11#2

アファンタジア(心的視覚イメージ想起不能)の当事者に向く専門分野は何だろうか。想像や創造における重要な武器のひとつである視覚イメージを思い浮かべる能力はゼロだが、それを補うためのalternativeな能力が独自に発達している可能性はある。たとえば言語・抽象・論理の能力など。


🍅2024-02-11#3

あくまで自分の場合だが、アファンタジアにはメリットもある。たとえば身体感覚(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚など)の心的イメージを伴うフラッシュバックがない。すなわち、トラウマ(心的外傷)の記憶(そのときの身体感覚)が突然かつ鮮明に思い出されるという主観的体験がこれまで一切ない。


🍅2024-02-12#4

あくまで自分の場合だが、アファンタジアゆえ、過去の出来事のみならず未来の出来事を想像するときも、身体五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)の心的イメージを主観的に体験することは一切ない。なので、未来への不安に関係する強迫症(強迫性障害)にも一部耐性があるかもしれない。
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🍅2024-02-12#5

あくまで自分の場合だが、心的な視覚イメージが思い浮かばないアファンタジアだからといって、空間やモノの配置や位置の把握、人間の顔の認識や再認識など、こういった課題に問題があるわけではない。むしろまったく問題ない。


🍅2024-02-12#6

あくまで仮説だが、自分はSDAM(Severely Deficient Autobiographical Memory:自伝的記憶重度欠落)を持っている。過去に経験した人生のエピソードや細部が希薄で、思い返す記憶の数は少ないし、思い返せたとしても解像感は低い。

🍅2024-02-12#7

過去に経験したであろう思い出に伴う感情や感覚を体感的に再び疑似体験(再現)するといった主観的経験はこれまで一度もない。自分にとって自伝的記憶とは膨大な数の思い出が詰まっているであろう各エピソードの各箱の表面にぶら下がった小さい名札(客観的概要)に過ぎない。箱は開かない。


🍅2024-02-12#8

そもそも箱が失われてしまった場合や、箱が存在したとしてもアクセスできない場所にあるということも考えられる。あるいは箱にアクセスできたとしても箱に名札が付いていないため客観的概要が不明(つまり検索されない記憶)という可能性もあるし、
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🍅2024-02-12#9

そもそも箱は生成(保存)されていなかった(つまり記憶に蓄積されなかった)という可能性もある。SDAMとアファンタジアの関連は不明だが、海外の研究ではアファンタジア当事者がSDAMも同時に持っているケースが確認されている。


🍅2024-02-18#10

あくまで自分の場合だが、アファンタジアが脳内に視覚的なイメージを描けない理由として、視覚的な情報の気配は脳内で感じているにもかかわらず、その情報を視覚的イメージとして脳内で可視化(visualize)する部分が機能していないのでは?などと考えたことがある。

🍅2024-02-18#11

たとえば、(仮説1) 視覚的イメージを映す役割を果たすディスプレイに相当する機能が脳内にない、 (仮説2) ディスプレイはあったとしても輝度がゼロなので何もみえない、(仮説3) ディスプレイはあるのだが稼働してない(電源オフ的な)、等々。

🍅2024-02-18#12

で、先日、興味深いツイート(引用RT参照)を読んだことで新たな新説が浮かんだ。
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🍅2024-02-18#13

(仮説4) 視覚的イメージはディスプレイ表示領域の範囲外に投影されているためディスプレイに映らない、つまり視覚的イメージにはスコープ(見える範囲)があって、アファンタジアはスコープの外にイメージが投影されているためイメージを脳内で視認できないのでは?


🍅2024-02-21#14

アファンタジアの特徴・程度・頻度は人によってまるで違っている可能性がある。だからひとくちにアファント(アファンタジアを持つ人)といっても、その経験は大きく異なる場合もあるだろうし、当事者の年齢(残された未来の長さ)によっても人生観に大きな違いがあると思う。

🍅2024-02-21#15

ただ、アファントを特徴づける最低限の共通点はある。それは「脳内映像すなわち心的視覚イメージがない or 弱い」という点だ。ちなみに「ない」と「弱い」の間には非常に大きな差があると思うので、この両者を一緒くたに扱うのはどうかと個人的には思う。


🍅2024-02-21#16

日本においてアファンタジア(Aphantasia:心的視覚イメージ想起不能)の知名度は相当低いと思う。なので、多くの日本人当事者(ある研究によれば人口の数パーセント)は自覚すらしていない(自覚が必要だという意味ではない)。

🍅2024-02-21#17

それでもSDAM(Severely Deficient Autobiographical Memory:自伝的記憶重度欠落)と比べればアファンタジアのほうがまだ知られてるのではないか。先行研究によればアファンタジア的特徴とSDAM的特徴を同時に持つ人が一定数いるのは確かだ。


🍅2024-02-22#18

このアカウントではアファンタジアのことを(狭義では)心的視覚イメージ想起不能と表現しているが、この表現は誤解を招く可能性がある。以降はあくまで自分の場合に限るが、アファンタジア当事者の自分にも心的な視覚的イメージはある。

🍅2024-02-22#19

あるのだが、おそらく世間一般の多数の人が認識してる視覚的イメージとは異なる形態の現象として、ある。何があるのかというと、脳のどこかに心的イメージの情報が存在してるような気配(インスピレーション)があり、情報のフィーリングを感じる。なのでまったくの皆無/虚無というわけではない。

🍅2024-02-22#20

それら情報はときには言語表現として、ときには無形の概念/観念/想念として意識に組み込まれている。つまり心的現象が「ある/ない」というよりも「異なる」と表現するのが正しい。人の遺伝子や環境が人それぞれ異なるように、心的イメージの主観的体感も人それぞれ異なるはずだ。

🍅2024-02-22#21

よく考えると当然のことであり、むしろ「みんな同じ内的体験をしているはずだ」というのは思い込みに過ぎない。過ぎないのだが、その思い込み(信)が人間性の豊かさでもあり、ポジティブ(ときにはネガティブ)の源泉になるんだと思う。


🍅2024-02-23#22

先天的な心的視覚イメージ想起不能という現象にアファンタジアという造語で名前を付けたのはゼマン博士だが(2015年)、彼がこの現象を発見したわけではない。有史以来、この現象の存在に気づいた人は数多くいたと思われるが、後世に残る形での情報は残っていない。この現象を最初に確認できる文献は

🍅2024-02-23#23

1880年にゴルトンという学者によって行われた研究論文だといわれる(この現象についてよく観察された記述を確認できる)。ちなみに自分は20世紀の終わり頃に自身がこの現象を持っていることを自覚したが、当時はこの現象に名前が付いていなかったため、ネットや書籍から入手できる情報はゼロだった。


🍅2024-02-24#24

自伝的記憶(Autobiographical memory)とは、日常生活の中で経験した個人的に意味のある出来事に関して(kamiya, 2002)、自分自身のアイデンティティを形作るような記憶をいう(Addis & Tippett, 2004)。自伝的記憶を回想するとき、そのときの自我、感情、感覚、存在感、

🍅2024-02-24#25

生の息吹きのようなものを伴うともいわれる(憶測含む)。要するに、人生の記憶を実感を伴って追体験(再擬似体験)することだと思われる(憶測)。自分にはこれがない。生来、常に一切ない。これをSDAM(Severely deficient autobiographical memory:自伝的記憶重度欠落)と呼ぶそうだ。

🍅2024-02-24#26

海外の研究ではSDAMとアファンタジアの関連を示す報告もある。なお、SDAMは他の記憶能力や一般的な認知には影響を与えず、健忘症でもないとされる(https://w.wiki/8Xwk)。たしかに記憶や認知の能力に関して、これまで不便や不備を感じたことはない。


🍅2024-02-24#27

あくまで自分の場合だが、アファンタジア(心的視覚イメージ想起不能)かつSDAM(自伝的記憶重度欠落)ゆえか、過去や未来のエピソードを思い起こすときに心の中で感覚や感情をいきいきと追体験(再擬似体験)することはない。

🍅2024-02-24#28

もちろん、いま目の前にあるリアルな対象からの感覚や感情への刺激はある。だが、外界からの刺激がない状態で心の中だけで随意的にエピソードを想起する場合、そのエピソードに関する短い無形の客観情報(言語や抽象概念など)だけが思い起こされる。


🍅2024-02-27#29

個人的な意見だが、視覚性のアファント(アファンタジアを持つ人)を分類するには、心的視覚イメージが弱い人、まったくない人、まずはこの二つを分ける。前者にはさまざまなバリエーションがあることは知られている。では後者はどうだろう。「ない」のだからバリエーションはないと思われがちだが、

🍅2024-02-27#30

そうでもないと思う。「ない」ものを補うような心的世界は人それぞれ差があるのではないだろうか。例えば言葉で補う人、概念で補う人、抽象で補う人、理論で補う人、等々。だから「ない」人たちが自身のアファンタジアを語るとき、皆が同じような説明にならずバラバラであっても不思議ではない。


🍅2024-02-28#31

アファンタジアと自伝的記憶欠落に関する最新論文。

海馬(記憶)と後頭葉(視覚野)の接続性は、アファンタジアにおける自伝的記憶欠落に影響を及ぼす
by Merlin Monzel(2024年2月27日)
https://doi.org/10.7554/eLife.94916.1

アファンタジアが造語された2015年以来、アファンタジアに関する内外研究論文は

🍅2024-02-28#32

数多くあったが、アファンタジアと自伝的記憶欠落との関連をより突っ込んだ論文はなかったように思う。そういう意味ではアファンタジア研究も新しいフェーズに入ってきた。今後の十年はアファンタジアの定義と分類、自伝的記憶欠落との関係、科学的(客観的)測定、個人的にはこの三つに注目。


🍅2024-02-28#33

アファンタジア(aphantasia)を持つ人々は、aphantasics と呼ばれる。または、あまり一般的ではないが aphants または aphantasiacs と呼ばれることもある。
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Aphantasia .


🍅2024-02-28#34

近年、海外ではアファンタジア研究論文が頻繁に発表されている。1年間に何本も論文を発表する研究者(ら)もいる。研究の視点も仮説を含めて科学的で面白いものが多い。日本の研究界隈はどうだろう。あくまで私見だが、どちらかというと海外追従(焼き直し)だったり調査集計だったりと

🍅2024-02-28#35

斬新な視点はない。論文発表も遅々としてる。理研は1年半くらい前から研究してるようだが音沙汰なし。理研以外でも脳スキャン(fMRI)を実施してる研究者が2年くらい前からいるようだが(脳機能的な研究成果は)音沙汰なし。いずれも研究の原資は税金なわけだが、あまり成果は上がっていないようだ。

🍅2024-02-28#36

国内研究はいまのところ社会や教育の場における理解や支援といったメッセージを含んだものがチラホラ。個人的には余計なお世話だと思ってるが、それらを必要としてる「弱者」がいるならいいんではないの。「弱者」がいるんだか生まれるんだかは知らんけど。


🍅2024-02-28#37

アファンタジアが自伝的記憶の想起に与える影響(2024年2月24日)
Aphantasia Impacts Autobiographical Memory Recall
https://neurosciencenews.com/aphantasia-memory-25667/ .


🍅2024-02-28#38

視覚的作業記憶において正確な情報を保持するためには、視覚以外の空間的戦略が効率的である(2024年2月19日)
https://doi.org/10.31234/osf.io/gx2dv

論文の概要しか読んでいないが、言わんとしてることは実感としてよく分かる。自分がそうだから。以降はあくまで自分の場合だが、

🍅2024-02-28#39

心的視覚イメージが必要と思われるタスクであっても、心的視覚イメージのないアファンタジアがタスクに対応できるのは、視覚イメージ以外の空間的戦略があるから。一般にそれは言語戦略(言葉で覚える)ではないかと思われがちだが、言語化は必須ではない。視覚イメージはまったくないのだが、

🍅2024-02-28#40

空間における物体の位置や配置は把握してる。だから方向音痴でもないし、駅から自宅に辿り着くための詳細な地図も書ける。目の前にない自室のレイアウトの把握も可能だし絵(2D/3D)に描くこともできる。超下手でよければ特徴的な造形を持った有名人の単純な似顔絵も描くことができる。


🍅2024-02-28#41

以下は論文概要からの抜粋。

”最近の研究では、アファンタジアのある人は視覚的な作業記憶課題において典型的なイメージを持つ人と同様に機能することが証明されています”

”これは、これまで厳密に視覚的であると考えられていた視覚的な作業記憶タスクを実行するには、
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🍅2024-02-28#42

非視覚的戦略の使用で十分である可能性があることを示唆しています”

”典型的なイメージを持つ人は主に視覚空間戦略を使用しましたが、驚くべきことに、アファンタジアのある人は言語戦略よりも非視覚空間および感覚運動戦略の使用を圧”倒的に好みました”

🍅2024-02-28#43

”これらの結果は、非視覚的空間的および感覚運動的戦略が視覚的作業記憶課題に採用可能であり、これらの戦略が視覚空間的戦略と同様に効率的であることを示唆している”


🍅2024-02-28#44

アファンタジアがメンタルヘルスケアにもたらす影響(2024年2月15日)
https://doi.org/10.31234/osf.io/zkcr4

論文の概要しか読んでいないが、以前から一部の研究で指摘されているアファンタジアとメンタルヘルスケアの話題。現在のメンタルヘルスケア(カウンセリング?)では

🍅2024-02-28#45

心的イメージを利用した手法が用いられるが、アファンタジアの人の場合、この手法は効果をもたらさない可能性がある。


🍅2024-02-28#46

Revisiting the blind mind: still no evidence for sensory visual imagery in individuals with aphantasia(2024年2月)
https://doi.org/10.1016/j.neures.2024.01.008
アファンタジア研究で有名なRebecca KeoghとJoel Pearsonによる論文。彼らは以前からアファンタジアの客観的測定に情熱を傾けており、

🍅2024-02-28#47

その一環かと思われる。まだ読んでないが、Pearsonらが以前から実験している両眼対抗と知覚プライミングに関するものらしい。


🍅2024-02-28#48

The role of visual imagery in story reading: Evidence from aphantasia(2024年2月)
https://doi.org/10.1016/j.concog.2024.103645

論文によると、アファンタジア群とアファンタジアでない群は同様の読書習慣を持ち、物語の好き嫌いや評価に関して両者に差はない。

🍅2024-02-28#49

しかし、アファンタジア群は短編小説に夢中になったり興味を持ったり没頭したりする可能性が低く、物語の登場人物への感情移入や共感が減少しているそうな。ほんまかいな。


🍅2024-02-28#50

アファンタジアにおける音楽体験(2024年1月12日)
https://doi.org/10.1177/20592043231216259

音楽鑑賞という文脈の中でアファンタジアの感情的体験を調査した研究らしい。結果としてアファンタジア群は音楽に対する回想が少なくエピソード記憶も少ないそうな。

🍅2024-02-28#51

まあ分かる気はする。自分の場合、視覚イメージのみならず、心的な聴覚イメージの想起が一切ない。ないのだが、その代わりとして内言(擬態音の韻)で音楽の表現を思考の中で構築してる(これは心的聴覚ではなく内的言語とでも言おうか)。ちなみにリアル聴覚では音楽をよく聴く。


🍅2024-02-28#52

メタ認知的認識とアファンタジアにおける記憶の主観的経験(2024年2月2日)
https://doi.org/10.1162/jocn_a_02120

気になる論文だったので概要を機械直訳。
アファンタジアは心的イメージの欠如を特徴とする状態であり、エピソード記憶の低下を報告することがよくある。しかし、これまでの研究結果は主に主観的な

🍅2024-02-28#53

自己申告に基づいており、アファンタジアにおけるエピソード記憶の客観的側面と主観的側面の両方を調査した研究はほとんどなかった。本研究ではアファンタジア群の記憶について両方の側面からテストした。驚くべきことに、アファンタジア群は、全体的な心的イメージ体験が弱く、記憶課題に関する

🍅2024-02-28#54

主観的な鮮やかさの評価が低いと報告しているにもかかわらず、物体記憶の特徴を含むすべての客観的記憶測定において障害がないことが判明した。これらの結果は、一部のアファンタジア被験者の中には心的イメージそのものではなく、心的イメージに対するメタ認知的な認識が欠如している可能性がある。


🍅2024-02-28#55

私たちの多くにとって、精神的に過去にさかのぼり、独特で個人的な出来事を再訪することは、鮮明で細部に至るまで豊かな心的イメージを伴う。 (D’Argembeau & Van der Linden, 2006; Greenberg & Knowlton, 2014).
https://doi.org/10.7554/eLife.94916.1 .

🍅2024-02-28#56

↑ これ、本当にそうなのだろうか? ほとんどの人がそうなの? そうだとしたら、人間ってなんと深遠なこころ(脳)をもってるのだろう。
※自分にはないです笑


🍅2024-02-28#57

”アファンタジアは、様々な認知機能に対する視覚イメージの影響についての自然なノックアウト(特定の機能を持たない)モデルを提供する。我々はここで、視覚的イメージと、鮮明で細部に富んだ個人的な過去の出来事を想起する能力との間に密接な関係があることを報告する。”
https://doi.org/10.7554/eLife.94916.1

🍅2024-02-28#58

アファンタジアを持つ人々は、アファンタジアという希少で独特な現象に対する興味の対象としてだけではなく、アファンタジアを調べることで視覚的イメージの有無が脳の認知機能(記憶、思考、理解、判断、想像など知的な機能全般)に及ぼす影響をも明らかにする点で関心を呼んでいるようだ。👀


🍅2024-02-28#59

頭の中で物事をイメージすることができません(アファンタジア)
シェイラ・ラブ 2024年2月26日
https://theguardian.com/wellness/2024/feb/26/what-is-aphantasia-like

上記ページの内容を機械翻訳した結果を画像化した。


🍅2024-02-28#60

脳研究はアファンタジアと自伝的記憶に関する新たな洞察を提供する
2024年2月27日、ボン大学病院
https://www.news-medical.net/news/20240227/Brain-research-offers-new-insights-on-aphantasia-and-autobiographical-memory.aspx

アファンタジアと自伝的記憶について、非常に興味深い内容なので機械翻訳を画像化した。


🍅2024-02-29#61

独り言(すべて個人の感想です)


🍅2024-02-29#62

アファンタジアの有無を客観的に測定する方法として「両眼競合とプライミング反応」「瞳孔反応」「皮膚反応」が挙げられるが、これら方法は信頼に足るのだろうか? 以降はあくまで個人の感想だが、これら方法は万人向けでなかったり主観的なさじ加減で結果が変わる可能性があるように思う。

🍅2024-02-29#63

なので研究者が言うほど有用でもないと思っているのだが、どうだろう? 客観測定ならfMRI(脳スキャン画像から脳機能を解析)のほうが確かなような気もするが、こちらも期待通りのデータが取得できればいいのだが、そうでないケースのほうが多かったりするのではないだろうか? 


🍅2024-02-29#64

あくまで簡易的なのだが、アファンタジアの有無を測定するため「両眼競合とプライミング」のテストを実施したことがある。被験者はアファンタジアを自己申告する自分と、アファンタジアでないことを自己申告する協力者の計二人で、
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🍅2024-02-29#65

それぞれ同じテストを行ったのだが、二人とも同じような結果でプライミング効果を得られなかった。これだと二人ともアファンタジアということになってしまうのだが、実際はそうではない。テスト環境のせいなのか、あるいは被験者の性質や主観的さじ加減のせいなのかは不明だ。


🍅2024-02-29#66

引用RT(最新論文)について:
Reddit の r/Aphantasia でもコメントがついていたが、実験の被験者は先天性アファンタジアを持つ14人と、アファンタジアを持たない16人。被験者数としては少ないような気もするが、全員がfMRIと両眼視野闘争タスク、自伝インタビューをやってるので仕方なさそう。
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🍅2024-02-29#67

アファンタジア(先天的な心的視覚イメージ想起不能)とSDAM(先天的な自伝的記憶重度欠落)の当事者として、あくまで自分の場合だが、これら現象を持っているからといって、どうということはない。処世するうえでプラスでもマイナスでもない。ただそのままの自分がいるだけ。

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