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アファンタジア.log (2024年03月)


🍅2024-03-02#1

アファンタジアに関する動画の内容をテキスト化して自分の感想を付記した。
https://www.youtube.com/watch?v=k94SP_4BJYc .


🍅2024-03-05#2

自伝的記憶とは、自分に関する出来事の記憶のことで、自伝的記憶を想起するとき、過去の出来事やそれに伴う感覚や感情の詳細を、あたかも再体験しているかのように思い出すそうだ。(本当に? 比喩や誇張ではなく?)


🍅2024-03-05#3

自伝的記憶は、エピソード的要素(感覚や感情など詳細を伴って思い出される特定の出来事)と、意味的要素(文脈から切り離され抽象化された個人的な情報や知識)の二つの要素に分けられるとのこと。

論文URL https://doi.org/10.1016/j.cortex.2023.03.004 .

🍅2024-03-05#4

人生の出来事を鮮明に思い出したり再体験したりすることが生涯にわたってできないSDAM(自伝的記憶重度欠落)は、おそらく自伝的記憶の意味的要素は(多少なりとも)機能しているが、エピソード要素は機能していない。

SDAMとは? https://sdamstudy.weebly.com/what-is-sdam.html .


🍅2024-03-05#5

エピソード記憶の想起意識とノスタルジア感情に関する認知神経科学的解明(川口潤、2014年)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23653224/23653224seika.pdf

興味深い研究だが、この研究が前提としている常識(先行研究報告)について、自分は生涯で一度も実感したことがない。例えば「近年のエピソード記憶研究においては、

🍅2024-03-05#6

単に過去の出来事を思い出すということではなく、自分が経験した出来事をあたかも再体験しているかのごとく思い出す(mental time travel)という意識状態(autonoetic consciousness)が重要であると考えられている」のくだり。再体験や心的タイムトラベルといった用語/表現を使っているからには、

🍅2024-03-05#7

相当にその実感を伴っているからだと推察するが、自分の実感としては何ひとつ分かっていないし、いまだに信じられない。だが、おそらく少なくない人々はこの実感とともに人生を歩んでいるのだろう。これら人々と自分とでは、内的な主観的世界や人生観、自己意識に大きな違いがあるのではないだろうか。


🍅2024-03-05#8

アイデンティティ確立の個人差が意図的および無意図的に想起された自伝的記憶に及ぼす影響(2013、山本)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjdp/24/2/24_KJ00008761775/_pdf

ざっと読んだが、「アイデンティティ確立⇒自伝的記憶への影響」というよりも、「自伝的記憶⇒アイデンティティ確立への影響」のほうが自然では?

🍅2024-03-05#9

何故なら最初に記憶ありきだから。オギャアと生まれて最初からアイデンティティが確立されている人などいない。経験の記憶が積み重なることによってアイデンティティが形成されていくのでは?

🍅2024-03-05#10

論文の最後に「自伝的記憶を想起することによってアイデンティティの確立が促されるという逆方向の影響も十分に考えられる」とあったが、むしろその逆方向のほうがデフォルトでは?


🍅2024-03-05#11

自伝的記憶の想起が感情状態・自己肯定感に及ぼす影響(髙橋&松野、2017)
https://doi.org/10.4992/pacjpa.79.0_1EV-098

以下に興味のある箇所を抜粋する(その1)

🍅2024-03-05#12

”自己が経験した出来事に関する記憶は自伝的記憶と呼ばれる。自伝的記憶にはさまざまな機能があると言われているが、大きく分けると自己機能、社会機能、方向づけ機能の 3 種類の機能があると考えられている(Bluck, 2003)。”

🍅2024-03-05#13

”自己機能とは、自伝的記憶が自己の連続性や一貫性を支え望ましい自己像が維持されることであり、社会機能とは、対人関係やコミュニケーションにプラスの影響を及ぼす面を指しており、方向づけ機能とは、自伝的記憶がさまざまな判断や行動を方向づけることに役立つという面を指す(佐藤,2008)。”


🍅2024-03-05#14

自伝的記憶の想起が感情状態・自己肯定感に及ぼす影響(髙橋&松野、2017)
https://doi.org/10.4992/pacjpa.79.0_1EV-098

以下に興味のある箇所を抜粋する(その2)

🍅2024-03-05#15

”自伝的記憶とはその人自身の記憶というだけでなく、自分がどのような人かを認識しどのように生きていくかを考えるための基礎となる記憶であるといえよう。”

”自伝的記憶の形成には感情が重要な役割を果たしており、個々のエピソードには様々な感情が付随している(神谷,2002)。”


🍅2024-03-06#16

アファンタジア当事者の約半数はSDAM(自伝的記憶重度欠落)を持っているという報告がある。※引用ポスト参照。

以下は、自伝的記憶の著しい欠損を「SDAM」と名付けた2015年の論文。

健康な成人における自伝的記憶の重度欠損(SDAM):新たな記憶症候群
https://doi.org/10.1016/j.neuropsychologia.2015.04.012 .
🔗引用した投稿を表示する

🍅2024-03-06#17

この有名な論文には、SDAMに関して次の記述がある。

1. 認知機能に問題のない健康な成人において、生涯にわたって自伝的体験の再体験(すなわち個人的に経験した出来事を一人称の視点から鮮明に思い出して主観的に追体験すること)が著しく欠損される現象をSDAMと名付ける。

🍅2024-03-06#18

2. SDAMは意味的(事実的)記憶よりもエピソード的(特に視覚的)記憶に特有の欠損がある。
3. 一般的な学習や記憶はエピソード的なもの以外の方法で達成できるため日常生活は問題ない。


🍅2024-03-06#19

SDAM(自伝的記憶重度欠落)の典型例は次の通り。

・過去の具体的な出来事を思い出すことができない
・自分の過去の人生について語るのが難しい
・幼少期の記憶がほとんどない
・写真を見ても、その時の記憶が蘇らない
・自分の人生が他人事のように感じられる

すべて当てはまる。


🍅2024-03-06#20

1/
今年の1月、アファンタジアに関する非常に興味深い論文が発表された。
論文 ⇒ https://doi.org/10.1101/2024.01.10.574972

概要と感想 ⇒ これまで、心的イメージはV1表現(大脳皮質1次視覚野の神経活動)と主観的体験の二つの要素が連動してるとみられていたそうな。

🍅2024-03-06#21

2/
しかし、必ずしも連動していないケースが確認された。具体的には、心的イメージの主観的体験が全くないアファンタジア群であっても、心的イメージの自発的想起時(※)にV1表現がみられるケースがあった。
🔗引用した投稿を表示する

🍅2024-03-06#22

3/
※心的イメージの想起には、voluntary(随意的すなわち自らの自由意志で意識的に)とspontaneous(自発的すなわち意志によらず自然発生的に無意識的に)の二種類があり、どちらも日本語では自発的あるいは随意的という訳語になりがちだが、両者の意味は完全に異なる。

🍅2024-03-06#23

4/
つまり、ヒトの脳内にV1表現がみられたからといって、必ずしもそれに連動した主観的体験が伴っているとは限らないことが分かった。(アファンタジアの場合、V1表現が主観的体験に反映されていない?)

🍅2024-03-06#24

5/
したがって、心的イメージ(主観的体験)あるいは心的イメージ(V1表現)の、どちらか片方のみを扱っているにもかかわらず、両者の区別なしに心的イメージ(大雑把)という用語を使い続けるのは問題ではないだろうか。


🍅2024-03-07#25

SDAM (自伝的記憶重度欠落) の研究で有名なBrian Levine博士によると、アファンタジア(心的視覚イメージ想起不能)を持つ人はSDAMを同時に持つことが少なからずあるという。
以降はあくまで自分の場合だが、アファンタジアとSDAMは似ている。
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🍅2024-03-07#26

視覚イメージ(例えば恋人の顔)を思い浮かべることは「ない」が、恋人の顔は「知ってる/分かってる」。
自伝的記憶(例えば三日前に恋人と一緒に経験した極めて特別な出来事)を主観的に再体験することは「ない」が、出来事があったことは「知っている/分かっている」。


🍅2024-03-08#27

1/
アファンタジア(脳内イメージ欠如)を持つ人は日常生活に困っていることを社会の皆様に知ってほしい、という思想について:

アファンタジア(脳内に心的イメージが浮かばない現象)の国内研究者として知られる高橋純一氏(あるいは髙橋純一、アファンタジアの非当事者、職種は福島大学の准教授、

🍅2024-03-08#28

2/
専門は発達障害、障害理解、特別支援教育など)のこれまでの活動について、アファンタジア当事者の個人として感じたことを率直に書いておく。氏の活動内容を振り返ると、「アファンタジアのせいで困っていると主張する当事者がいる」

🍅2024-03-08#29

3/
「困っている事例やデータをコレクションして、それらを知見とすることで、社会のアファンタジアへの理解に寄与したい」「多様性(ダイバーシティ)を理解し、共生(インクルーシブ)社会を」という姿勢を感じる。だが、氏の言論が社会に周知されることによって、

🍅2024-03-08#30

4/
アファンタジアを自覚している当事者および将来アファンタジアを自覚するであろう当事者らに「私のアファンタジアはネガティブだ」という信念を植え付ける(あるいは強める)可能性や、一般大衆に「アファンタジアだと困るみたいだね」というバイアスが広まる可能性を懸念する。さらに、

🍅2024-03-08#31

5/
それらの結果として、当事者に弱者意識が広まったり、社会に弱者利権や偏見が生じる可能性も懸念している。もちろん、氏にそういった思惑があると言っているわけではない。氏に思惑があろうとなかろうと、今後、氏の言論による影響が大なり小なり社会に浸透していくのは間違いない。

🍅2024-03-08#32

6/
そして、弱者意識や権利意識が高い当事者の言動や、それらに「善意で」寄り添う識者らの言動が、より拾われていくのではないだろうか。仮にそうなったとしたら自分はどうするか? おそらくアファンタジアの当事者であることを隠し、アファンタジアについて語るのをやめる(それはそれで構わない)。

🍅2024-03-08#33

7/
付録:参考として、氏の最新研究のひとつを示す。
「アファンタジア当事者の日常生活における困難と対処法について」(2023年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/cogpsy/2023/0/2023_109/_pdf/-char/ja
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-22H03910/
以降はあくまで個人的な感想だが、まず、被験者の数(39名)が少ないと思う。

🍅2024-03-08#34

8/
次に、被験者の選び方の妥当性に疑問を感じる(例えば、困っていると主張する人ほど声が大きく、第三者にそれを伝えたいというバイアスの可能性)。そして、被験者をアファンタジア群とみなす根拠が主観(自己申告および主観回答VVIQ32点以下)に依存しているため、基準や分類に頼りなさを感じる。

🍅2024-03-08#35

9/
さらに、実験の実施がネット経由(グーグルフォームによる質問票への主観回答)というのも、対面での実施と比べて雑になりがちなような気もする。もちろん、実施の事情やVVIQが定番ツールになっていることは承知しているが、あえて指摘する。


🍅2024-03-10#36

@CourrierJapon
アファンタジアを「心の目が見えない」「頭の中で視覚イメージを描けない」こと(即ちVVIQ16点=a(無)phantasia=推定0.1%~1%以下)と書いておきながら、推定で3.9%とも書く(即ち多少は見えるVVIQ17~32点程度のhypo(低)phantasiaを含む)。この手の記事の殆どにみられる誤解を招く内容。

🍅2024-03-10#37

アファンタジアに関して数字(統計)が独り歩きしてる例。内外ニュース記事の殆どはこんな感じ。毎度ながらアファンタジアの定義が曖昧。
🔗引用した投稿を表示する


🍅2024-03-10#38

Redditに「一人称の視点から記憶を再体験できないというのは、具体的にどういう意味ですか?」というテーマがあり、そこに付いていたコメントがSDAM(自伝的記憶重度欠落)のフィーリングを具体的に説明していたので和訳する。自分も同じようなフィーリングがある
https://www.reddit.com/r/SDAM/comments/1b8f5k5/comment/ktru6u8/ .

🍅2024-03-10#39

こんな記述がある

”そのパーティーにいた親友のことを考えると、良い気分になるかもしれません。なぜなら、私は「いま」その友人に対して何かを感じているからです”

この心情は非常に興味深い。何故なら「良い」の部分を「悪い」に置き換えると…
言いづらいことだが同じ当事者として指摘しておく


🍅2024-03-13#40

1/
脳内で視覚的イメージを描けない「アファンタジア」の長所と短所(2023/03/29)
https://bigissue-online.jp/archives/1081543682.html

以下、あくまで自分の場合に限っての感想を書く。(引用文中の※部分は自分が追記した)

🍅2024-03-13#41

2/
「楽しい(※自伝的)体験でも覚えていられない(※思い出さない)」、「未来に向けたポジティブな(※そしてネガティブな)イメージも少ない」とある。

そのとおりだと思う。視覚イメージの不在あるいはアファンタジアと併存しやすいSDAM(自伝的記憶重度欠落)の影響があるのではないか。

🍅2024-03-13#42

3/
「アファンタジア特有の利点もある。自由、真実、共同体といった抽象的な概念であれば、明確に考えることが得意」とある。

そんないかにもイデオロギー的な発想よりも、事象に対して言語、概念、抽象、論理で考えることが、視覚イメージに代わる別の戦略として身についているのかもしれない。

🍅2024-03-13#43

4/
「視覚的イメージがむずかしいために、不安感にとらわれにくい」とある。

そのとおりだと思う。一方で、国内アファンタジア研究のパイオニアでもある高橋純一氏(あるいは髙橋純一、アファンタジアの非当事者、職種は福島大学の准教授、専門は発達障害、障害理解、特別支援教育など)によると、

🍅2024-03-13#44

5/
「アファンタジア当事者はイメージの共有ができないためにコミュニケーションで困難を感じやすく、さらにエピソード記憶の弱さから個人内の思考や行動でも不安を感じやすい」という見解もあるようだ(福島大学研究年報 第18号より)。
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000005924/21-18-15.pdf .

🍅2024-03-13#45

6/
あくまで私見だが、高橋氏の見解は極端(過剰な一般化)だと思うし、アファンタジアへの誤解や偏見を招きかねない危うい言論になる可能性がある。氏のこれまでの研究や言論には「アファンタジアのせいで困っていると主張する当事者がいる」、

🍅2024-03-13#46

7/
「多様性(ダイバーシティ)を理解し、共生(インクルーシブ)社会を」といった思想がみられるので、そういった思想との整合性に焦点をあてた活動になりがちなのかもしれないが、いちアファンタジア当事者としては高橋氏の言論による界隈や一般への影響が懸念される。
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🍅2024-03-14#47

1/
視覚性のアファンタジアといえば、ほとんどが先天性だが、まれに後天性もある。

ある研究(Dawes et al., 2022)によると、VVIQ得点(視覚スコア)が下限の16点(無イメージ)から32点(低イメージ)までのアファンタジア群を調査したところ、約97%は先天性で、残りの約3%は後天性だという。

🍅2024-03-14#48

2/
以降はあくまで私見だが、先天性アファンタジアと後天性アファンタジアは、次の五つの点で異なる。

※以降、「視覚イメージ」とは、「随意的すなわち自らの自由意志で意識的に浮かべる心的な視覚イメージ」であることを留意されたし。なので、意志によらず無意識的にみる夢などの現象は除く。

🍅2024-03-14#49

3/
【後天性アファンタジア】視覚イメージが有る状態と無い(または希薄な)状態の二つの定常的な状態を、短期間(例えば10日間)で経験する。自覚しやすい。

【先天性アファンタジア】生来、視覚イメージが無い(または希薄な)状態のみを経験する。自覚しにくい。

🍅2024-03-14#50

4/
【後天性アファンタジア】視覚イメージを失う前と後の落差を実感して不安になったり、喪失感から不全感を強める可能性も。

【先天性アファンタジア】生来、視覚イメージが無い(または希薄な)ため、落差も喪失感もない(が、視覚イメージに富んだ他者と比べることで不全感を強める可能性も)。

🍅2024-03-14#51

5/
【後天性アファンタジア】これまで思考において視覚イメージを活用していた場合、今後はそれができなくなる(または難しくなる)。

【先天性アファンタジア】生来、思考において視覚イメージを活用したことがない(または活用したとしても希薄なので限定的)。

🍅2024-03-14#52

6/
【後天性アファンタジア】これまで思考において視覚イメージに頼っていた場合、それに代わる別の戦略を身につける必要が生じる。

【先天性アファンタジア】生来、思考において視覚イメージを利用しないため(または頼っても希薄なため)、意識せずとも、それに代わる別の戦略が身についている。

🍅2024-03-14#53

7/
【後天性アファンタジア】もしかしたら以前の状態、つまり視覚イメージが定常的に有る状態に戻れる可能性も。

【先天性アファンタジア】おそらく視覚イメージが定常的に有る状態(または、これまでよりも有ると実感できる状態)にはならない。

🍅2024-03-14#54

8/
以上をまとめると、ひとくちにアファンタジア当事者といっても、先天性と後天性とでは、さまざまな面で大きく異なる。人類の中でアファンタジアを持つ者は少数だが、後天性の場合はさらに少数であり、後天性ならではの問題に直面するかもしれない。

🍅2024-03-14#55

9/
なお、高齢者の老化現象のひとつに視覚イメージが有意に減少するという報告もある。この場合、単なる老化現象とするのか、それとも後天性アファンタジアにあたるのか興味深い。逆に、アファンタジアは若年性老化現象のひとつという可能性は?(適当)


🍅2024-03-16#56

1/
現状、アファンタジアの測定は主観(自己報告やVVIQ)に依存しているが(※ピアソン教授らによる客観的測定の試みについては今回は割愛)、うつ病のような大メジャーな現象であっても問診(当事者の主観+観察者の主観)に依存しているという現実がある。
参考:https://www.amed.go.jp/news/seika/files/000109291.pdf .
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🍅2024-03-16#57

2/
以降はあくまで私見だが、あらゆる精神疾患の診断でよく使われるDSM等のツールも問診の補助にすぎず、本質的にはVVIQのような主観報告アンケートと大差ない。曖昧だし嘘が入る可能性も(意図する/しないに関わらず)ある。考えてみれば当たり前のことだが、

🍅2024-03-16#58

3/
人類は心(主観)や脳(物質で構成されたシステム)のことをほとんど分かっていない。視覚イメージ不在という先天性アファンタジア当事者にとって常識的/普遍的な主観的現象でさえ、人類は10年くらい前までよく分かっていなかった。

🍅2024-03-16#59

4/
脳(物質)を撮影して脳(システム)の活動や機能を解析するfMRIのような方法であっても、心(主観的体験)の細部を覗けるわけではない(覗けるとしたらディストピアだが)。そんなわけで現状、アファンタジアの測定は主観申告に頼らざるをえず、

🍅2024-03-16#60

5/
利便性やコスト的にも有利なVVIQが今後もいっそう広く使われるのではないだろうか。VVIQでさえ煩雑ということであれば、鮮明から不鮮明に変化するリンゴや馬の連続画像を5枚くらい見ることでアファンタジアの簡易自己測定ができる。この方法は安直のようだが、

🍅2024-03-16#61

6/
VVIQのようなテキスト文章だけで表現された資料を読むよりも、案外アファンタジアの核心を端的に表現している(とくに何も映っていない真っ黒な画像は実感しやすい)。この方法で自身のアファンタジア可能性に気付いた当事者も多いのでは。

🍅2024-03-16#62

7/
ただ、本来アファンタジアでない人が自分をアファンタジアだと思い込んだり、そのときの気まぐれで自分はアファンタジアではないかしら?などと話題にしたがるファッション・アファンタジアが出現したりと、(HSPインフレと同じような)アファンタジア・インフレの懸念はある。


🍅2024-03-17#63

1/
これまでほとんどのアファンタジア研究では、頭の中で随意(意識的)に浮かべる視覚イメージの鮮明さ尺度を「下限16~上限80」とし(いわゆるVVIQ得点)、そのうち「16~24」あるいは「16~32」の範囲をアファンタジア(視覚イメージ欠如)とみなしている。
🔗引用した投稿を表示する

🍅2024-03-17#64

2/
尺度が「下限16~上限80」だと分かりづらいので、「下限0~上限100」に換算して言い換えると、視覚イメージ鮮明さ尺度「0~100」のうち、「0~12程度」あるいは「0~25程度」の範囲をアファンタジアとみなしている。

🍅2024-03-17#65

3/
自分の場合、随意の視覚イメージを生涯で一度も経験したことがないから、0か1(1~100)のデジタルでもなく、アナログ部分(1~100のスペクトラム)もなく、ただ0がある(つまり無がある)だけで判断も選択も発生しない。

🍅2024-03-17#66

4/
即断即決。ありのまま。常にはっきりしてる。時と場合、体調、想起対象、環境、年齢などの外的内的パラメータにも左右されず、常にゼロ。ヘンな表現だが「主観のふらつき」がない。とくに他の心的感覚(聴覚等)と違って心的視覚の場合は実感的に分かりやすいので尚更。

🍅2024-03-17#67

5/
一方、うっすらでも瞬間的にでも随意の視覚イメージを経験したことがある人は0を選べず(※選んでしまう人もいるかもしれないが)、アナログ部分(1~100)のうち「どれくらい?」をなんとなく選ぶわけだから、「主観のふらつき」が発生しやすく、ときには大きくふらつくことも考えられる。

🍅2024-03-17#68

6/
したがって、「0の人」と「1~12程度あるいは1~25程度の人」を混在させた集団を区別なくひとつのアファンタジア群とみなして各種実験を行う現在のアファンタジア研究のあり方は問題があるように思える。

🍅2024-03-17#69

7/
「0の人(常に完全に見えない人)」と「1以上の人(多少なりとも見える人)」では厳密には脳内の現象が違うかもしれず、脳内のメカニズムも異なる可能性があるのではないだろうか。

🍅2024-03-17#70

8/
ちなみに、内外の研究では「0の人」の出現率は約0.7%(Zeman et al., 2020)、約0.8%(Dance et al., 2022)、約0.07%(Takahashi et al., 2023)といった感じで、概ね100人~1000人に1人未満であり、

🍅2024-03-17#71

9/
「1~12程度の人」の出現率は約1.9%(Zeman et al., 2020)、「1~25程度の人」の出現率は約3.1%(Dance et al., 2022)、約3.7%(Takahashi et al., 2023)といった感じで、概ね100人に2人未満~4人未満となる。※数字はあくまで限定条件内の統計だから参考程度。

🍅2024-03-17#72

10/
また、海外では「0~25程度」をaphantasiaと呼ぶこともあれば、「0だけ」をaphantasia(無イメージ)、「1~25程度」をhypophantasia(低イメージ)と呼ぶこともある。

🍅2024-03-17#73

11/
まとめ。学術や研究の世界とは縁のない知的平民からの私見だが、現行ほとんどのアファンタジア研究ではアファンタジアの定義も基準も分類も大雑把のまま統計や実験を行っており、この状態が分野の未来にとって好ましいとは思えない。かといってどうにもならないから、なんかモニョモニョする。

🍅2024-03-18#74

12/
追記:海外アファンタジア論文検索をボケーッと眺めていたら、このスレッドの話題(アファンタジア出現率)にめっちゃタイムリーな論文(査読前原稿)を見かけたのでざっと読んでみた。

異なる視覚的イメージ能力の出現率に関する国際的な推定(2024-03-13)

https://dx.doi.org/10.2139/ssrn.4758362

以下和訳。


🍅2024-03-19#75

1/
アファンタジア研究はこのままでいいのか?に関する最新論文を読んだ。自分も常々考えていたことなので共感しかない。

What is the true range of mental imagery?
心的イメージの真の範囲とは?(2024年1月)
https://doi.org/10.1016/j.cortex.2023.09.013 .

🍅2024-03-19#76

2/
概要(一部):
◆心的イメージとアファンタジアの研究を制限している問題のひとつは、心的イメージに内在する主観性である。
◆心的イメージの多面的な性質を理解できないことは、科学的研究の妨げになる。

🍅2024-03-19#77

3/
◆行動学的実験であれ、神経画像実験であれ、脳損傷患者を対象とした研究であれ、心的イメージに関する現在の研究から研究者が導き出した結論は時期尚早である。
◆私たちは心的イメージを研究する方法を変えなければならない。
◆鮮明さなどという漠然とした概念にとらわれないようにしよう。

🍅2024-03-19#78

4/
◆その代わりに、心的イメージの細部や強度をより直接的に探る課題を考案すべきである。
◆そして、心的イメージとワーキングメモリーの間に関係があるとすれば、それをもっと理解しなければならない。


🍅2024-03-20#79

アファンタジアを客観で概観した興味深いテキストを読了。こころ(各人各様主観)の体験であるアファンタジアを客観する難しさにも言及。自称VVIQの乱立やそれを扱う主体に対して懸念や感情があるようで、学的な手続き大切を説く。アファンタジアでない群を健常人と表現。
🔗引用した投稿を表示する


🍅2024-03-20#80

アファンタジアはイメージ欠如と表現されることが多いが、前々からイメージとはなんぞや? 幻覚や夢とは違うのか? が気になってた。これに関するテキストを見かけたので後で読む。

刺激に依存しない知覚「幻覚、イメージ、夢」の類似点と相違点(2020年12月14日)
https://doi.org/10.1098/rstb.2019.0701 .

🍅2024-03-20#81

表題: Hallucination, imagery, dreaming: reassembling stimulus-independent perceptions based on Edmund Parish's classic misperception framework
著者: Flavie Waters, Joseph M. Barnby and Jan Dirk Blom
公開: 14 December 2020


🍅2024-03-20#82

外界からの刺激のない知覚体験いろいろ

【1】夢
・睡眠中に経験
・自分の意志で制御できない
・現実だと思ってる
・通常の感覚知覚とは混ざらない
 (完全に没入した体験)

🍅2024-03-20#83

【2】明晰夢
・睡眠中に経験
・自分の意志で制御できる(個人差あり)
・現実だとは思ってない(夢であることを自覚)
・通常の感覚知覚とは混ざらない

🍅2024-03-20#84

【3】イメージ(心的イメージ)
・覚醒中に経験
・自分の意志で制御できる(個人差あり)
・現実だとは思ってない
 (想像であることを自覚)
・通常の感覚知覚とは混ざらない

🍅2024-03-20#85

【4】幻覚(真性幻覚)
・覚醒中に経験
・自分の意志で制御できない
・現実だと思ってる
・通常の感覚知覚と混ざる

🍅2024-03-20#86

【5】偽幻覚(仮性幻覚)
・覚醒中に経験
・自分の意志で制御できない
・現実だとは思ってない
 (幻覚であることを自覚)
・通常の感覚知覚と混ざる

🍅2024-03-20#87

【6】自分が経験した視覚体験(hypnopompia)
・睡眠から覚醒への移行中に経験
・おそらく自分の意志で制御できてない
・現実だとは思ってない
 (仮想のイメージを見てるという強い実感)
・通常の感覚知覚とは混ざらない
・数秒~十数秒間を、生涯で数回のみ経験
・【2】明晰夢か?【5】偽幻覚か?

🍅2024-03-20#88

※上記内容は保証しない
※以下は自分の場合
上記【1】【6】のみ経験したことがあるが、それ以外は生涯で一度も経験したことない。外界からの刺激のない知覚(視覚以外⇒聴覚/味覚/嗅覚/触覚)は、生涯で一度も経験したことない。【1】の夢で、いわゆる視覚イメージを経験してない可能性がある。


🍅2024-03-21#89

たしかに、自身が抱える諸問題(例えば能力、性格、処世)をアファンタジアに結びつけてそこへのフォーカスを強めるア当事者(雑な自認含む)は少なからずいる。一方で、自身の都合により当事者が持つ性質や現象を、(結果として)玩具的(例えば興味本位、おせっかい)に扱う研究者も少なからずいる。
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🍅2024-03-22#90

精神科医で心理学者のユングがハイパーファンタジア(随意の心的イメージを本物のように感じる)を持ってた説。ある報告(Wright, 2024)によれば無イメージのアファンタジアは約1%、低イメージのハイポファンタジアは約3%、ハイパーファンタジアは約6%の出現率だそうだ。
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2024.1358329


🍅2024-03-22#91

著者によるとSDAM(極めて欠落した自伝的記憶)の対極にあるHSAM(極めて優れた自伝的記憶)について初の体系的なレビューだそうだ。
https://doi.org/10.1007/s11065-024-09632-8


🍅2024-03-22#92

最新の論文によれば、先天的に随意の視覚イメージ能力が無い(VVIQ16)または低い(VVIQ24以下の)アファンタジアを持つ男性は、計算機的思考を必要とするSTEM分野(科学、技術、工学、数学)で働く可能性が高いそうだ。https://doi.org/10.31234/osf.io/c5uey
たしかに自分(VVIQ16)も一貫してこの分野を選んでる。

🍅2024-03-22#93

おそらく視覚イメージ能力の低さが効率的な分析的推論能力と関連するとされる。自分の場合、視覚イメージ能力はゼロ、顔や空間の認識能力はまずまず。
論文著者にZeman(アファンタジアの命名者)とLevine(自伝的記憶重度欠落SDAMの命名者)の名がある。Zemanは以前からこの傾向を指摘してる。


🍅2024-03-24#94

完全なアファンタジアがある父が心臓手術後に約3日間、目を閉じるたびに非常に鮮明なハイパーファンタジア能力を発揮し、自分が想像していることを完全に制御できました。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1blp0re/from_aphantasia_to_hyperphantasia_for_a_few_days/

せん妄では?
あるいは薬物(全身麻酔)による影響?


🍅2024-03-24#95

私は生涯アファンタジアです。約10年前、ハイパーファンタジアだと思われる現象を数時間経験した。原因は極度の肉体的疲労とストレスによるものだったと思う。一度寝て起きたら現象は消えてしまった。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1blp0re/comment/kw7arxi/

この事例は興味深い。普段は能力が隠されているのかもしれない?

🍅2024-03-24#96

たまに聞く逸話で、臨終から生還した人が「人生の出来事が走馬灯のように浮かんだ」的なことを言ったり、交通事故にあった人が事故の瞬間の仔細をスローモーションで見た的なことを言うが、これは普段隠されている脳の能力なのだろうか? オカルト(スピ系)じみてるが興味深い。

🍅2024-03-24#97

かくいう自分(アファンタジア、VVIQ=16)も、これまで数回のみだが、睡眠から覚醒に至る途中で鮮明な視覚イメージ?幻視?を数秒~十数秒見た経験がある。随意/不随意、睡眠中/覚醒中を問わず、心の目で視覚的な主観的経験を実感したのは生涯でこの出来事のみ。
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🍅2024-03-24#98

私の彼女がhypophantasiaであることを最近発見した。彼女の記憶は動画として再生されない。一連の静止画、あるいは一瞬の静止画だけ。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1bmjssz/hyperphantasic_with_hypophantasic_partner/

彼女はhypophantasia(低イメージ)ではなくて通常のイメージャー(多数派)に思える。もちろんaphantasia(無イメージ)ではない。


🍅2024-03-25#99

自分はアファンタジアを持ってるから○○○ができない。アファンタジアを持ってない人は自分と違って○○○ができる。こういった信念タイプは一定数いるが、若い人に多い印象(私見)。有り余る情報、少ない経験、幻想他者との比較、過剰な自意識、本当の自分は症候群、等々。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1bn8uss/struggling_with_medical_school_exams_due_to/ .

🍅2024-03-25#100

で、こういったタイプを含む当事者から「困ってること事例」を集め、学会や世間に対して「アファンタジアを持つ人は生活に困ってる」といった話を広め、「多様性に理解を」社会の実現を目的とする研究がこちら。
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🍅2024-03-26#101

1/
徳島大学 佐原理 准教授(https://w.wiki/9Zz2)によるアファンタジア研究論文が「美術教育学」賞を受賞した。(2024年3月5日)
https://www.ias.tokushima-u.ac.jp/news/2894/

とのことなのでググったら、関連情報は主にここだけだった。
https://confit.atlas.jp/guide/event/arteduhyogo2023/session/2meeting604-04/detail?lang=ja .
https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-20K14004/20K140042022jisseki/

🍅2024-03-26#102

2/
のっけから『視覚的イメージを脳内で形成しない認知特性アファンタジアは4%程度で出現し、さらに近似するハイポファンタジアの認知特性の者も一定数いる』という説明文があり、少々のけぞった。

以降はすべて憶測だが、この説明文(2023年春頃)はおそらく間違ってるか、現時点では適切ではない。

🍅2024-03-26#103

3/
出現率に関する著名な先行研究によると、無イメージ(アファンタジア、VVIQ=16)は0.7%(Zemanら,2020)あるいは0.8%(Danceら, 2022)、低イメージ(ハイポファンタジア)は1.9%(Zemanら,2020、VVIQ=17~24の場合)あるいは3.1%(Danceら,2022、VVIQ=17~32の場合)とある。

🍅2024-03-26#104

4/
佐原氏の説明文だと先行研究の「無イメージ+低イメージ」のことを「アファンタジア」とみなしていると同時に、先行研究の「低イメージを超えた、一般的なイメージ能力(多数派)」のうち低い群を「ハイポファンタジア」とみなしているようにも思え、用語や数値に矛盾や混乱があるように思える。

🍅2024-03-26#105

5/
また、こちらの説明文では、
https://www.ias.tokushima-u.ac.jp/news/2894/
『生涯にわたり心的な視覚イメージをもたないアファンタジアスペクトラム』とあるが、「視覚イメージをもたない」は「アファンタジア(無イメージ)」のみであって、「アファンタジアスペクトラム(無~低イメージの連続体)」ではない。

🍅2024-03-26#106

6/
佐原氏の最終的なアウトプットは「美術教育学」第44号(2023年)に掲載とのことだが、自分には読む手段がない。もしかしたら今後こちらのサイトに掲載される可能性はある。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/aaej/list/-char/ja
年内には読める可能性があるので、公開されたら読んでみたい。


🍅2024-03-28#107

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🍅2024-03-28#108

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🍅2024-03-28#109

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🍅2024-03-28#110

アファンタジアとハイパーファンタジア:イメージの鮮明さの極限を探求
Aphantasia and hyperphantasia: exploring imagery vividness extremes
Adam Zeman
https://doi.org/10.1016/j.tics.2024.02.007

アファンタジアの命名者で研究の第一人者であるAdam Zemanによる論文が2024年3月27日に公開された。

🍅2024-03-28#111

アファンタジアの探求:心象風景を持たない心
https://neurosciencenews.com/aphantasia-visual-imagination-25823/

こちらのニュース記事によると、Zemanは約50件の先行研究の包括的レビューを実施したそうだ。アファンタジア研究の一つの区切りと今後の指針になればいいと思う。まだ読んでないが非常に楽しみ!


🍅2024-03-28#112

1/
以降は完全に個人の空想です。まずはZeman論文の冒頭Abstract部分を読んだが、
https://doi.org/10.1016/j.tics.2024.02.007
相変わらずZemanによるアファンタジアの用語を使った説明は微妙だ。アファンタジアの意味は語源から捉えると「視覚イメージ(心の目)の不在」を意味してるわけだが、
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🍅2024-03-28#113

2/
どうやらZemanは「視覚イメージの不在または弱い」という二つの意味を含ませたいらしい。で、「視覚イメージの不在」のほうはわざわざ「extreme(極度の)アファンタジア」なんて呼んでいる。最近、ハイポファンタジア(視覚イメージが一般よりも弱い)という、

🍅2024-03-28#114

3/
より適切な用語が使われ始めているのに、そういった用語は無視して、自分が命名した大事なアファンタジアという用語の範囲により多くの人々が当てはまるような(メジャー志向な)使い方をしている。なにやらZemanの意志を感じるのは気のせいだろうか。うろ覚えだが、近年、視覚以外の、

🍅2024-03-28#115

4/
例えば聴覚イメージの不在を意味する用語も提案されたが、Zeman一派らはこれに反対してわざわざ声明まで出している。「そういった現象はすべて(ボクが名付けた)アファンタジアのファミリーとすべきだ。ファミリーの結束を乱してはいかん」(意訳・M.ブランド調で)といった具合だ。たしか、

🍅2024-03-28#116

5/
「必要に応じてアファンタジアの左側に修飾語(例えば聴覚イメージ不在の場合はauditory)を付けるべきだ」(意訳)みたいなことも言ってた。近年、複数の用語が乱立しつつある状況を踏まえると、英国内でアファンタジア覇権を巡って、

🍅2024-03-28#117

6/
派閥争いでもあるのだろうか? extreme(極度の)アファンタジア当事者の一人としては、解釈の幅をダラダラ広げた誤解を受けやすい用語ではなくて(実際、内外の多くのメディアはアファンタジアという用語の意味にふらつきがあるので)、明解な用語の定義と使用を望みたい。


🍅2024-03-29#118

1/
アファンタジア研究の第一人者であるZemanによるアファンタジア最新論文の全文をざっと読んだ(Google自動翻訳で)
https://doi.org/10.1016/j.tics.2024.02.007

とくに目新しい知見はなく、これまでの先行研究のまとめであった。なので、アファンタジアの最新情報をウォッチしてる識者には退屈かもしれないが、
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🍅2024-03-29#119

2/
これからアファンタジア研究の最前線を知ろうという人や復習したい人にとっては有益だと思う。
個人的にいくつか注目したトピックがあったので以下に感想を記す。

「ほとんどにとって、視覚イメージは意識的経験の普遍的な特徴である」とあるが、

🍅2024-03-29#120

3/
こういった記述を読むたびに、「視覚イメージを定常的に持っている人がいるって本当のことなんだ」と自分を納得させている。理性では理解しているのだが、実感としては経験したことがないため、なにか不思議な感じがする。

🍅2024-03-29#121

4/
「アファンタジアを持つ被験者のほとんどが、意識的なイメージがないことによる不自由さの感覚よりも、意識的なイメージに対する好奇心を述べている」とあるが、これは当事者として共感する。自分も同様で、アファンタジアを持つことがネガティブだとは考えておらず、

🍅2024-03-29#122

5/
この極端な現象(すなわちアファンタジアとハイパーファンタジア)への興味しかない。

「懐疑論者は、アファンタジアとハイパーファンタジアが本当に個人差を反映しているのか、それともノイズの多いメタ認知や、あるいは偏ったメタ認知による人為的なものなのかを疑うのも無理はない」とあるが、

🍅2024-03-29#123

6/
そりゃアファンタジアを経験したことのない人(世の中のほとんどの人)の中には疑う人もいるだろうなとは思う。アファンタジアを経験している当事者としては、そういった懐疑論者の主張が頭でっかちのアホにみえるときもある(彼らの存在が研究の深掘りに貢献していることは知っています)。

🍅2024-03-29#124

7/
「アファンタジアは、精神障害としての分類を正当化するほど、日常生活や精神的健康に影響を与えない。アファンタジアとハイパーファンタジアには、それぞれ長所と短所があると考えられる」とあるが、この考え方に同意する。

🍅2024-03-29#125

8/
アファンタジアを持つ人は困ってるという部分を拡大フォーカスする研究者も一部にはいるようだが、当事者の一人としては余計なお世話に思える。また、教育の場においてアファンタジアを持つ人に合ったやり方を考えようという人もいるようだが、
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🍅2024-03-29#126

9/
そんなことをしたらアファンタジアを持つ人が育むはずの代替機能(言語、論理、抽象など)の発達に影響するのではないか?などとも思ってしまう。アファンタジアという現象が何であるかを知ってもらい、それにそった常識的な対応があればそれでいいと思う。

🍅2024-03-29#127

10/
配慮や支援の対象になるなんて大袈裟に思える。まとめると、アファンタジアを持つ人に対してマイナス側の対応(例えばイメージ想起の強要やその能力がないことへの懲罰)があるならゼロの対応にしてもらえればよい(多くの現場では過激な対応ではなく、

🍅2024-03-29#128

11/
自然的に無関心を含めてゼロ的な対応になっているのではないだろうか)。あえてプラス側の対応(特別な支援など)は不要と思う。※以上はあくまで自分の場合を想定した私見です。

🍅2024-03-29#129

12/
「アファンタジアを持つ人々の約40%が顔認識の困難を述べており、平均的なイメージャーまたはハイパーファンタジアを持つ人の2倍以上」とあるが、自分は顔認識に困難を感じたことはない約60%のほうに含まれる。当事者の40%程度は困難を感じている可能性があるというのは非常に興味深いが、

🍅2024-03-29#130

13/
顔認識困難の直接的な原因がアファンタジア(視覚イメージ不在)にあるという一部の極端な結論付けには同意しない。

「イメージは感情の増幅器として機能することが知られている」とあるが、これは初めて知った。アファンタジアを持たない人たちの内的世界における感情の表現に興味がそそられる。

🍅2024-03-29#131

14/
自分はアファンタジアを持ってはいるが、いま現在に感じる感情は人並みにあるように思える。となると、自分の感情の増幅メカニズムはアファンタジアを持たないたちとは違うのかもしれない等々、いろいろと興味深い。

🍅2024-03-29#132

15/
「アファンタジアが苦痛な渇望や反芻の可能性を低下させることで今ここを生きるのに役立つという逸話は、さらなる研究に値する」とあったが、実感を伴って同意する。

未解決の課題として、「アファンタジアを持つ人は無意識のイメージを持っているか?」とあるが、

🍅2024-03-29#133

16/
これは非常に興味がある。自分の場合だが、視覚イメージは持たないが、視覚的情報(data/code:これが無意識のイメージなのか?)の存在の気配は感じる。これはもしかしたら空間的イメージなのかもしれないが、色に関しても視覚的情報の存在の気配を感じるので、そうではないのかもしれない。

🍅2024-03-29#134

17/
なにか言葉では表せない無形で無感覚かつ非言語の空気のような着想(情報)があることは事実だ。この着想があるがゆえに「リンゴを想像してください」と言われたときにリンゴの視覚イメージは一切浮かばないにもかかわらずリンゴが赤かったり青かったりすることは「わかる」。

🍅2024-03-29#135

18/
未解決の課題として、「イメージの体験は、夢や幻覚の体験とどう違うのか?」とあるが、これも非常に興味がある。具体的には随意/不随意、睡眠中/覚醒中におけるイメージ体験の類似点と相違点に興味があるし、これら現象の分類(定義)にも興味がある。

🍅2024-03-29#136

19/
自分の感想は以上になるが、Zemanはアファンタジア最新論文の公開と同時に、親しみやすいニュースレターも寄稿している。こちら。
https://theconversation.com/aphantasia-ten-years-since-i-coined-the-term-for-lacking-a-minds-eye-the-journey-so-far-226090


🍅2024-03-30#137

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🍅2024-03-30#138

アファンタジア(心的視覚イメージ不在)に関する最も古い文献とされるGalton(1880年)の論文を読んだ。説明されている現象は今現在と何ら変わりない。おそらく人類の誕生以来、一部の人間にとっては普遍的な現象。

Statistics of Mental Imagery
Francis Galton (1880)
https://psychclassics.yorku.ca/Galton/imagery.htm .


🍅2024-03-30#139

コラム下部に、imageryの障害を最初に報告したのはBernard&Charcot(1883年)の旨記載があって、ん?その現象の最も古い文献はGalton(1880年)じゃね?と思ったら、どうやら前者は「後天性(脳損傷?)で~」的なことみたい(憶測)。後者は「imagery不在な人がいる」的な報告かな。
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🍅2024-03-30#140

アファンタジアを説明するときの表現で「目を閉じると黒(または瞼の裏)が『見える』だけ」という定番のフレーズが日本でも海外でもあるのだが、この表現をめぐって炎上中。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1bpkn1q/no_one_can_see_anything_but_the_back_of_their/

たしかに、「私はアファンタジアなので、目を閉じれば黒が(肉眼で)見えるだけ」と言われても、

🍅2024-03-30#141

そんなの誰だって同じじゃん、という反応があるのは当然。自分の場合、「浮かばない」「想起不能」「心的視覚不全」「イメージ不在」「無VVIQ」「無イメージ」みたいな表現を使うが、そもそも「イメージ(おそらくimageryの翻訳)」という和語に含まれる意味が人によって違うから、いろいろ悩ましい。


🍅2024-03-30#142

アファンタジア(脳内視覚化不全)の当事者には二つのタイプがあるという。

タイプ1:視覚化がない人。
タイプ2:視覚化はあるのだが、自分にはない超視覚化を他のみんなは持ってると思い込んでる人。

先行研究でも報告されているが、案外タイプ2の人がいる。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1bp7t3r/the_two_types_of_confused_people_who_post_here/ .


🍅2024-03-30#143

1/
現在、アファンタジアを測定する方法として、客観性を追求した方法(例えば脳画像、脳波、両眼競合、瞳孔反応、皮膚反応など)がいくつかあるが、研究にせよ大規模調査にせよ当事者の自己判断にせよ、ほとんどの測定は主観的な方法に頼っている。(続く)

🍅2024-03-30#144

2/
具体的には、ミーム画像、自己報告、アンケートの3つがある。ミーム画像は、例えば鮮明から不鮮明に連続的に変化する5枚のリンゴ画像の中から1枚を選ぶといった方法であり、最も簡単で直感的な方法だが、後述するアンケートを使った方法と同様の問題がある。(続く)

🍅2024-03-30#145

3/
自己報告は、視覚イメージに関する自己申告であり、当事者の主観的体験の真実に迫る方法としては極めて重要だと思うが、当事者の内観や表現に大きく左右されるし、表現のニュアンスを数値化することが難しい。(続く)

🍅2024-03-30#146

4/
アンケートは、あらかじめ決められたいくつかの質問に対して、あらかじめ決められた回答(例えば5択)を選ぶ方法であり、回答を数値化できるし、低コストかつ高い利便性のため研究の分野で広く利用されているが、問題もある。(続く)

🍅2024-03-30#147

5/
問題とは、観察者が作成した質問(型)と回答(型)によって、当事者の主観的体験が「観察者の意図した型にはめられる(良くも悪くも単純化/限定化/局所化/矮小化され、観察者の知見からはみ出す現象を捕捉できない)」こと、および、(続く)

🍅2024-03-30#148

6/
質問の解釈と回答の解釈が、当事者の理解やさじ加減に左右されること、この二点だと個人的には思う。これら問題はアンケートの結果に影響を及ぼし、ときには両極端の結果を招くことさえある。例えば自分の経験だが、(続く)

🍅2024-03-30#149

7/
VVIQ(Marks, 1973)のような視覚イメージの鮮明さを測るアンケートの場合、生まれつき常に随意の視覚イメージが不在の自分にとっては非常に分かりやすく、迷うことなく実感を持ってイメージ不在を回答できるのだが(つまりVVIQスコア下限1点×16項目=16点)、(続く)

🍅2024-03-30#150

8/
例えばQMI(多感覚イメージに関するアンケート)の聴覚イメージに関する質問だとそうはいかない。自分には生来「心的な聴覚(音声)を伴わない言葉のみによる内言(worded thinking: an internal monologue without a voice)と、(続く)

🍅2024-03-30#151

9/
心的な感覚(視覚、聴覚、etc)および言葉の両方を伴わない抽象的な思考(unsymbolised thinking)」が備わっているのだが、以前ある研究でQMI(おそらく鬼沢&滝浦の和訳, 1973)を初めて実施したとき、自分の内言を「内的な音声」だと思い込んでしまい、(続く)

🍅2024-03-30#152

10/
「音が聞こえる(鮮明な聴覚イメージがある)」と回答したことがある(つまりQMI聴覚スコア上限7点の一歩手前の6点×5項目=30点)。その後、先行知見の取得と度重なる内観を経て、現在は正反対の認識を持つに至っている。(続く)

🍅2024-03-30#153

11/
すなわち「一切の音は聞こえない(聴覚イメージ不在)」という回答になる(つまりQMI聴覚スコア下限1点×5項目=5点)。こういったケースは何も自分だけではない。SNSや海外掲示板をウォッチしていると、同じような経験をした人を見つけることができる。(続く)

🍅2024-03-30#154

12/
以降は憶測だが、こういったエラーの存在は研究者側で把握しきれていないのではないか。何故かというと、測定後しばらくして回答者が自らのエラーに気付いたとしても、研究者にそれを報告するだろうか。(続く)

🍅2024-03-30#155

13/
あるいは邪推だが、研究者側がエラーの存在にうすうす気づきながらも、その件については棚上げしているなんてことはないだろうか。いずれにしてもアンケートという方法の性質上、この手のエラーを避けることは難しいが、(続く)

🍅2024-03-30#156

14/
仮にだが、エラーの発生率さえ把握していないとしたら、研究で得られるデータというのは一体何なんだ?などと素人ながら心配になってしまう。※エラーの発生率に関する先行研究があれば教えてほしい。


🍅2024-03-31#157

内的経験いろいろ
hurlburt.faculty.unlv.edu/codebook.html
自分の場合は以下の九つのみ

W:脳内音声を伴わない言葉のみによる思考(内言)
U:記号化されない思考(非感覚/非言語/非記号)
F:フィーリング(感情)
SA:感覚への気づき(外部刺激=リアル感覚)
JD/JT/JL/JR/JW:ただ○○だけ(内的経験なし)

EOF


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