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アファンタジア.log (自己紹介)


🍅アファンタジアとSDAM

🍅内的経験

  • 心的聴覚イメージ(心的音声イメージ)を伴わない言葉のみによる内言(worded thinking)。

  • 言葉および心的感覚イメージ(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚・等)を伴わない思考(unsymbolised thinking)。

🍅出眠時幻視 (hypnopompia)

  • これまでに経験した不随意の心的感覚イメージ: hypnopompiaと呼ばれる出眠時幻視(数秒~十数秒)を生涯で数回のみ。いずれも動かない対象(生物ではなく人工物)を心の目で見るといった視覚的体験で、物体(例えば家具の彫刻やギターのフレット)の細部に超接近した心の目をゆっくり上から下に平行移動しながら鮮明な拡大画像を見ているという実感を伴う明晰夢(いま自分は視覚イメージを見ているんだという自意識を伴う)的な主観的視覚体験。

🍅夢の中

  • これまでに経験した夢の中での心的感覚イメージ: 視覚以外(聴覚・味覚・嗅覚・触覚・等)は無し、視覚は判断不能(保留)。

  • 夢は、目覚めると同時に急速に消失するのが常だが、夢の中で視覚的な現象を感じたであろうと思えたことは少なからずある。ただ、それが(1)空間的あるいは抽象的な着想だったのか、それとも(2)視覚的なイメージ(心の目で見るという実感)と言えるのか、判断できない。前者(1)の着想は、覚醒時に何らか視覚的現象を想起しようと試みているときに感じる着想(非視覚なのだが視覚的現象を構成する「情報」を感じさせる気配のようなもの)と似ているような気もする(つまり心の目に浮ぶ視覚イメージではない)が、夢の中(無意識時)のことなので何とも判断しかねる。なお、夢の中で感じたであろうと思われる視覚的な体験は、先に述べた出眠時幻視で感じた鮮明な視覚的体験とは完全に異なる形態だという実感はある。出眠時幻視は「心の目で見えている」という実感(意識)を伴うものだが、夢の中でみる視覚的と思われる体験にはそういった実感はない。なので、夢の中のそれは覚醒時に感じる着想(情報の気配を察知)と同じ形態のものなのかもしれない(つまり視覚イメージではない)。いずれにしても「これだ」と強く言えるような材料や確信はない。

  • その後、夢の中で視覚イメージを感じていない可能性が高まった。
    こちらを参照。

🍅その他

  • 視覚的な心的イメージを持たないことをはっきり自覚したのは20世紀末頃。自伝的記憶が希薄なのもこの頃には自覚してた。

  • アファンタジア関係の英語論文を読むが、本人に英語能力はない

  • 病歴(既往歴):おそらく6歳前後に川崎病(高熱が出た)。それ以外は現在に至るまでとくに大病なく心身ともに健康。いわゆる心の病気(○○病、○○症、○○障害)と呼ばれる類は、主観的にも客観的にも経験なし。

  • 先天性アファンタジアおよびSDAMと、それを伴う処世について、とくに良くはないが、とくに悪くもない。とくに益はないが、とくに損もない。つまり、とくに何でもない。

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