当たり前ってうれしいようでかなしいから なにも当たり前って思いたくないな、なんて思いながらバイト終わりの帰り道、あるく。 最初はきらきらして見えてたのにそうじゃなくなってくことがあるのはかなしい それを慣れだから仕方ないって言ったり、大人になることだって言ったりするなら そんなさみしい世界やだなあって。おもいます そんな世界ならわたしはガン無視決め込む! だからわたしは毎年毎年子供のころの、あのときの気持ちを思い出すように、いや、実感として感じるように、クリスマスだいすき
たぶんわたしは、病んでる女の子をかわいいって思う感性してるから自分からそっちに流れてただけなんだろーなって思った ほんとはいままでのそういうの全部嘘な気がしてきた 本来わたしはリスカだとかなんだとかそういうのとは無縁な日常を送るような人間だったんだと思う 本来ってなんだって思うけど、なんとなく、そんな気がする 別に今のわたしも間違いじゃないけどさ たぶんこうやって思えるのも好きな人がいてくれるおかげなんだろうなって思う 1人じゃ何も出来ないかもしれないけど 2人でいて強
小学生の頃、クズの本懐がだいすきだった 平行線、すきだった 彼女の路上ライブの動画、すきだった わたしの心に刺さったんだよ 刺さったまま!響いてるままだよ! あのときの気持ち、衝動 鮮明に思い出せるよ 信じたくはないです 信じたく、ないです 信じないからっていって、事実すらなかったことになんてならないって、わかってるし そんな都合よく出来てないってことをわかってるから!それでもほんとに残酷だとおもう 気持ち悪い いやだ なかったことをあるかのように信じること、あったことをな
憂鬱に狂わされそうになるときがある 憂鬱さえ、わたしのものなんだって 我が子のように大切にすることができたら、なんて思ってしまうときもある それでもやっぱり大抵は、そんなにやさしくなれない、愛を抱けないばっかりだ 自分のすべてを好きとまで思えなくても、せめて悪くないなと思えるようにするための構想、構造 そういうのを考えたい と思うと同時に 変に考えすぎなのかな、思考のかたち、方向性、角度とかを変えるべきなのかな、とも思う。けど ああやっぱりこうやって考えることに対してすら考
あのときこうしていれば あの日に戻れれば なんて考えてしまうことが、ごくたまにある けど、タイムマシーンがない限り、そんなこと考える時間は結構もったいないよなっておもう。 どんな過去を選択していようが、いま以上のいまなんてない。どんな選択をして、どんないまがあったとしても、それぞれが最高で最善なのだろうと思います わたしはいま出会えたひととかいまの環境とかっていう、いまあるものすべてがだいすきで、有難いものだとおもう だから、過去を否定することは怖いからしない。反省はし
わたしは音楽に詳しくないから、自分がいいと感じた音楽をただ好きだなあって聴いてるだけなんです もちろんいろいろ勉強して楽しめるようになることってたくさんあると思うんだけど、いまはもうすこしこのまま、何も知らない子供のように、たのしんでいたいの だってわたしまだまだ子供だし、子供でいたいので! もしこの先音楽にちょーー詳しくなるなんてことがあったとしても、自分の好きって思う気持ちだけはひとときだって忘れないようにしたいなって思う! ⭐︎ すきになる音楽って本当にすごくて、聴け
やさしい歌詞に共感しているからってそのひとのすべてがどこまでもやさしいんだとは限らないんだって知ってる 知ってしまったな 現にわたしだってそうだし それでもやさしいと感じたその瞬間は嘘じゃないって思うし、なんていうか思いたいです やさしいと思っていたひとのやさしくないと思ってしまうような面が見えたとき私は怖くなるけど、そんなところを暴いてしまったのは私のやさしくなさなのか、とかってどうしようもない自己嫌悪に変換されてく 恐怖も他者への嫌悪もすべて自分と重ね合わせてしまうせい
生きていることはつらいのに、生きていたいと思う理由があるから生きられる それがなんだかつらいような、けどそれよりもうれしいような。結局なんでも矛盾のうえに成り立ってしまうものばかりです わたしは頭も悪いし容量も悪いし知識もないし勉強もできないし馬鹿にされて当然だけど、勉強したとしても分からないことがあるって信じてしまうような人間なのです きっとそれは、測れるうえでの限界まで勉強をしたひとにだけ言うことの許される言葉なんだって思うけど、そんなのキリがないって諦めてしまうの 頭
お星さまはいつだって私と同じ速度で歩いてくれてるやさしい存在だって思ってたのに、ほんとは手の届かない空高くにいる遠い遠い存在なんだって気づいちゃってかなしくなった やさしさは見せかけだったのかな、星の本性は意地悪なのかな、なんて感じてしまうようになった私はきたないのかな みたいに思うことが増えたように思う、昔にくらべて。 やさしさの裏に隠された残酷さに気づくこと、 残酷さの裏に隠されたやさしさに気づくこと どっちが大人になるってことかわからないし どっちもかもしれないし
私が、あなたが この世界に生まれて、いま生きているということは、いまのうちにはどうしても変えられない事実としてあるのです 世界の汚さ暗さにかなしくなっても、どこかでうつくしさを探そうとする心だけは汚されずにいたい どんなに傷つけられても、ときには自分自身を傷つけることがあったとしても、そういう心は守り続けたい 私の、私たちの心のうつくしさだけは信じてあげたい その信じる心が気持ちがわたしの思うやさしさです やさしさゆえに生きていたい 生きることを選び続けて いっしょ
暗い気持ちも明るい気持ちも、不幸せも幸せも、わたしのなかでは共存している大切な存在なのです。 明るい気持ちを感じられるのは、暗い気持ちを感じるから。幸せを感じられるのは、不幸せを感じるから。 だからわたしはどんなときでもめげない、挫けないって心に決めてるの! わたしよりつらい人が世界にたくさんいることを知っている 知ったところで、考えたところで、わたしはその人にはなれない だからせめて、わたしはわたしを幸せにさせてあげたいと思う だって、不幸せを伝播させるために不幸せを
やさしくなりたくて、うつくしくなりたくて、汚い感情惨めな感情は表に出さないようにって頑張っているつもりなのに、わたしはたぶん分かりやすいから隠しきれないでいる 本当は誰よりも嫉妬深くて、自分以外の女の子の名前を出されるだけでも苦しくなる でもそんなこと言うのも無理だもん わたし以外にかわいい女の子なんてたくさんいて、わたしが世界でいちばんかわいいって、自分で思えるぐらいの自信のある女の子だったら冗談めかしてそう言えるでしょうね だけどそんなわけがないし、困らせたくないから
幸せのあとには不幸せ、なんていうのは、信じたくないし信じられないんだー。 寝る前の時間、絶望しかけていたけど なんだか涙も枯れてしまって、もうこのまま泣けなくなっちゃえばいいのに、とか思いそうになった けどきっとそれはそれでかなしいんだ、泣くときはかなしいのに、泣くことよりも泣けないことの方がかなしいんだ、って思った 人間ってどこまでもわがまま! 考えることが多すぎて、どうでもよくなっちまったり。って、しないように。正気を保つぞ 考えることだけはやめないようにする、頭ぐ
したばっかみちゃう毎日だけど、夜に空を見上げれば星が見守ってくれてるみたいなやさしさがあって、今日も生きようと思えるのです なんて思ってたときがあった 今でもそう思うとき、あるけど でも最近は、上を見上げられることが増えたんじゃないかと思います たぶん わたしにとっての大切なひとって、星みたいな、月みたいな、そんな綺麗な眩さを孕んだ存在なんだなあって、つよくおもう おもう おもってるよ、どんなときも、あなたのことをおもってしまうよなんて、思っちゃいます 星とか月とか、暗
大切なひとに出会ったからいまの私がいまの私たり得ているのは勿論そうだけど、それって本来的な私をなくしたわけではないし、そもそもすべてどんなときにおいても私はずっと本当の私なんです、なんて思った 本来の私を誰かが消すことなんてできない、むしろ、本来の私を失わずにいさせてくれているのは大切なひとだなと思った というのも、いろんな私がいるけど、失くしたくない私の思う本当の私っていうのがたしかにいて、そういう自分を忘れてしまったり、忘れようとして揺らいでふらついてしまったりするとき
恋をすると、女の子な自分っているんだあって感じてなんだかうれしくなるし、それと同時にわたしがそんなかわいいみたいな気持ち感じちゃっていいのか?と不安にもなる なんだかふくざつー だけど、明るくない気持ちも含めて、いろんな気持ち、ぜんぶだいじだって思う いろんな気持ちを知ったり感じたりできるの、うれしい!いろんな気持ちが世界をあざやかにしていってくれてる感覚がある いろんな彩度で、明度でみえるようになっていってる気がするの そんなこんなで、うれしさ感じて生きてることを実感で