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読書ノート「ポーランド改革の経済理論」カレツキの社会主義モデル

この記事では、あとで自分が見返すように要約した内容を箇条書きで載せているだけです。ある程度当時のポーランドの政治情勢など知っていないといけないと読めないですね。ポーランドの国民経済管理システム、制度的および政治的環境がどうなっていたかの前提知識がないと難しい。なのでノートにまとめておくとした。

市場の有効性とその限界と中央計画化の見地をみていく。


本書の特徴は4点ある。

・カレツキが計画化の理論と実践にいかに貢献したか。

・計画化や改革において、何に最も留意すべきであるとカレツキが考えていたか。

・中央計画経済においての経済民主主義の位置と重要性を、カレツキは、どのように考えていたか。

・カレツキの社会主義理論の断片を総合し、彼の社会主義経済論をいかに体系しうるか。


カレツキにとって社会主義経済とは中央計画経済のことである。何を中央計画化するのか念頭に置いているのは、生産量、賃金フォンド、大規模な投資計画及び価格統制、基礎的物資の分配である。

カレツキは、社会主義の経済活動の目的が国民のニーズの最大限の充足であるのは自明であると認識していた。ここから彼の強調は、短期と長期の消費の矛盾に向けられる。この矛盾は、経済効率について注意深い配慮がなされれば、緩和できるはずである。しかし、それは政治的決定によってのみ解決することができるだろう。カレツキにとって、完全雇用は、半ば個人的ニーズを完全に充足するという目的を達成するひとつの手段であり、半ばそれ自体が一つの最終目的であった。職をもとめるものにすべて職を提供することは社会主義国家の争う余地のない義務であり、全員に究極的な目標の実現の一部を担わせ、適当な所得水準を保障する最善の方法であると見なしていた。このようにすれば、失業の悲惨さは除去され、個人所得の格差は抑制されるだろう。


労働者の下からの社会的圧力は民主的計画経済のための必要条件として認識していた。直接生産者が経済的意思決定においてもっと大きな分担を担い、そのような決定の実施に対してもっと大きな制御を保証するようなシステムで官僚的中央集権的システムを代置する機会を作り出すことができた。カレツキは、分権化と企業の自律性の拡大のための条件を指示するのを認めるのを反対し彼は企業長の自由裁量に対抗するような労働者自主管理の拡大を求めた。彼が望ましいと思ったシステムは労働者の下からの圧力と中央集権の上からの圧力の均衡である。これは二つの理由からである。企業の自律性の拡大と労働者評議会の設立は長期的には生活水準の貢献に向上するだろう。労働者のための適切な財務的報酬によって支持されるならば、労働者評議会は中央計画化システムを掘り崩さないで、そのシステムの官僚主義化と戦いながらも、創造的なイニシアチブを解放し、生産性を引き上げ、かなりの利益をもたらすだろう。第二に、その経済的利益はさておいてでも、労働者評議会の設立は民主主義的社会主義システムの創出の欠くことのできない部分である。

労働者の自主管理、経済意思決定への参加、中央政府の政策に対する社会の中での理解と支持の拡大があったとすれば、中央政府の意思決定や行政機関のそれは、社会主義経済のミクロ経済的合理性や個々の利害と一般的社会的利害の一致のための副次的な前提条件であった。

社会全体に核心の部分に決定参加しているという気分が浸透し、発展テンポが高まっていくという感覚、つまるところ、労働者や社会の下層部での自己確信の感覚によって政府の努力が支持されなければ、いかなる社会主義政府も成功の望みはない。そのような雰囲気は、人為的に創り出すことはできないが、そのための真実の基盤がある場合のみ、プロパガンダによって刺激されることはありうる。強力な資本家集団に対する闘争で社会主義政府を支持し、それを支え、もっとラディカルな計画化装置にその政府を突進させることができる社会的圧力を引き起こすのは、この源泉からである。しかし、これらのことは、今度は産業内の状態に反作用を及ぼし、労働者にもっと大きな権力を与え、さらに、下からの社会的圧力をもっと強化するようになるだろう。かくて、上からの行政的措置と下からの労働者の圧力とは、累積的な効果を持ちつつ、相互に作用を及ぼし、全体の計画化運動の刺激を保持して、実際に、継続的な社会革命を引き起こすだろう

少なくとも、三つの理由のために、ミクロ経済的合理性のための条件は遠い。

個人と集団の利害が一致しているかの想定は空想的であるし、利害と目標の衝突は経済、社会発展の推進力でもある。

第二に、情報の伝達の難しさである。人はいかにして直感、経験、あるいは将来の需要、価格、生産の技術条件などに関する投機的な予測を伝達することができるのか。

第三の理由は、コルナイが「ハードな予算制約」と呼んだことと関係する。破産の恐怖それ自身が企業段階での合理性と経済効率の十分な保障になるかどうか、もちろん不確実である。

この最後の二点はどの程度中央経済行政は合理的な決定を行い、それらを実施に写せるかどうかであり、カレツキが取り扱っていない問題である。

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