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モチベーションについての思索

したいこと・やりたいことはあるのにどうにも手が付けられない、頭がまわらない、ボーっとして時間を過ごしてしまうということは誰もが経験したことがあるだろう。




やる気を維持する秘訣などが書かれている本にたいていはこう書かれているはずだ。「他人の評価を気にするな」「自身の成長がモチベの源泉」など。自身の情熱がエンジンであることに否定はしないが、一番最初の段階で意識することなのだろうか?

一番最初の段階、つまり、まだ基礎すら身についていない時に「自身の成長をモチベの源泉」にするのは無理がある。なぜなら、その時の成長というのは、基礎を身に着けていくことであり、ほかの人たちは当たり前のようにやっていること、それらを身につけても成長の実感は感じがたいし、何よりも目標に向かう一歩が小さすぎてかえってモチベが下がってしまう。着実な一歩であると自分をマインドコントロールできるなら話は別だが。

自分の成長を実感するというのは自分を客観視できるだけの情報や知識が身に付いており自己分析がしっかりできていなければならない。自分が得たものをある程度数値化できる概念であればここの部分はかなり省略できるが、(例えば、FPSなどのゲームであれば戦績で数値化されるし、記憶力などであればテストを定期的にやり数値化できる。)絵の上手さや歌唱力、楽器の演奏などの芸術分野では数値化は難しいし、麻雀やポーカーなどのゲームも厳しいものがある。そもそも前述の数値化も完ぺきに数字に表れるわけではない。成長の実感は中級、上級者から意識するべきことだ。

なら、初級者はどうすればいいのだろうか。まず、思い出してほしいのが、どんなものであれ、何かを身につけたい、こうしたい、あれしたい、これを理解したいという気持ちは、一番初めは、外的要因から刺激を受けてその意思が生まれるということだ。野球を知らない人が野球選手になりたいと思わないし、英語を理解したいと思わなければ英語を勉強をしようとはしないだろう。その外的要因の刺激が最初に火を起こす。薪を入れる前に火を起こさなければ薪はただの木でしかない。

だから最初は外からの刺激を受けまくるほうが良い。何か始める場合はひたすらその知識、情報を集める。まずはその前線や原点に立っている人をただひたすらにみることから始める。ここで重要なのは情報に埋もれないことだ。最前線や原典にいる人たちが最適解ではないのは当然だが、だからといってほかのアプローチや、それへの批判などの方向に持っていかれると中途半端になるしモチベも削がれ、ただたたずんでしまうことになってしまう。修正なんて後からいくらでも効くし、そもそも基礎がなければ、なぜそのアプローチではだめなのかは理解できない。

まずは、最前線、原典の真似をする。真似をしているうちになんとか自分でも理解しできるようになってから思考停止せずに模索していけばいい。基礎がついてから自分の色を出せばいい。

外的要因の一つに環境がある。環境はすぐ変えてしまったほうがいい。石の上に何年いても石の上のままである。

それと楽しさは必要だ。楽しさがなければ続かない。効率や合理的なだけでは人は動かないからだ。

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