うーん

この散文はオタク活動を無理やり文学的価値のある文章に昇華させたいという意図はなく、ただただ私のこれまでの遍歴を振り返るものであることを了承の上で読んでほしい


改めて自分のオタク(言いたくない~)としてのスタンス、価値観を整理してみる

きっかけとしては、修論のテーマ設定を現在進行形で悩みかねている私に、阿部先生が『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』を紹介してくださったことから端を成す
自分にとって身近なアイドル論と自身の専攻している哲学を結び付ける試みは一度きちんと取り組んでみたいと思っていたが、どうしても滲んでしまう俗っぽさが嫌でなんとなく踏み込めなかった
卒論で一部触れはしたものの、一部の先生からしか好感触を得られなかったので修論では取り上げないつもりでいた(今も出来る限り避けたいとは思っている)

とはいえ、哲学者一人にフィーチャーして4万字の修論を仕上げる自信は到底ないため、まずは自身の趣味であるオタ活…推し活…(いずれもしっくりはきてない)否、サブカルチャー全般から派生する人間の生に関するテーマが一つでも見つけられたらいいな~という魂胆である。意志薄弱なのは今に始まったことではない。学術的な領域とサブカルの隙間を突くような設定ができれば何とかなるとは思っている。どうせ私のアイデンティティの大半はオタクが占めているのだから…
私の内在の範疇を無視して広範に及ぶ生の問題に取り掛かったとしても、なんとなく説得力に欠けるのではないかという詭弁にも近い仮説を立て、開き直りにも近い形で今回改めて向き合ってみたいと思う

オタクはオタクになる前の自分の記憶がないとはよく言うが、わりと的を得ていると思う
前記事から幼少期の記憶を辿るという試みをしているが、やはり輪郭をはっきりと感じるのは人生初の推し(…。)SMAPの稲垣吾郎さんを好きになってからの記憶である
4歳なりに『世界にひとつだけの花』にいたく感動していたのか、ラジカセを起動させ和室で一人聴き込んでいたあの時間の空気は18年経った今でも不思議と覚えている


母親がヤフオクで落札してくれたチケットで行ったSMAPのライブツアー福岡公演が私にとっての人生初現場だった
スタンドの後列だったとは思うが、私が稲垣担ということを知った一列前でうちわを持っていた木村拓哉担の若いお姉さん…それこそ今の私と同じくらいの年齢だったと思う。キムタクを見る時間を割き、彼女が抱え上げてくれたことで、近くにきた稲垣吾郎さんを私は初めて肉眼で見ることができた(母親は生後半年にも満たない妹1を常に抱っこしていた。妹1は爆音に動じることなく爆睡しており当時から風格があったと思う)
テレビ越しでもラジカセ越しでもない稲垣吾郎さんは、4歳児にはとてもじゃないが形容できないスター由来のオーラを放っていた
あの瞬間がなければ、私の人生がジャニーズで彩られることはなかったと断言できる

もし今の私が同じ状況に置かれても、きっと同じ行動はできない
出来てちょっとしゃがむ程度だろう
なぜなら有り金の殆どをはたいて入るような現場で、他人のことを考える余裕はさらさら無いからである
ただ見るだけで1分700円かかる自担を差し置いて、自分の後ろの列の子供のためにうちわを置き、決して軽くはない身体を鍛えてもいない腕で咄嗟に抱え上げてあげられるようなオタクは、少なくとも私の周りにはいない

いずれにせよ、木村担のあのお姉さんのおかげで、私の18年の生を支えた娯楽に出会えたことは紛れもない事実である
今もどこかで木村担として生活していてくれたら嬉しい

奇しくも私の現在の自担の入所のきっかけもキムタクで、キムタクの話をする自担の瞳はいつも以上に輝きを増している
あのお姉さんが木村担としてあの席にいなければ、私はジャニーズに縁遠い人生を送っていたかもしれないし、
キムタクがジャニーズじゃなければ、自担がジャニーズの門を叩くこともなかったかもしれない

私にとっての推し活(…。)とは、想像できないほど多くの人々との生と自分の生が複雑に絡み合って、自らの人生は紡がれていくのだとしみじみ感じられるような経験そのもの、と言える
無論この一文に終始できるものではなく、ほんの一部を表しているにすぎないが、今回はこの結びで締めたいと思う

せっかくなので歴代の自担ごとに区切って私のオタク的(嫌~)自我論を展開していく
次回は嵐の松本潤、櫻井翔、二宮和也編をお送りする
嵐内で担降り行為が完結していたことは今思うとすごいことだった…

つづく

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