見出し画像

どんどん一般人になるVtuber

黎明期、僕は一般人でも努力すれば駆け上がることが出来るんだと夢を描いた。しかし待ち受けていたのはそんな簡単な世界では無いという感覚と、一般人をしながら努力をするということがどれだけ大変かを思い知らされることであった。

一人一人持ち合わせた財産、環境、能力も全て違う。人に頼れるかどうかなど様々な差があるものの「時間が無い」を理由に努力を怠る。それが今の僕だなと痛感する。

時々準備中や新人Vtuberの肩書きを長く背負っている人間に対して「いつまで名乗っているんだ」と揶揄してしまうこともある。しかし同時に自分も「お前Vtuberとしてなんか活動したの?」と言われているに違いないとも思うのだ。

こうしている間に新しい行動を取ったり、自作のものを制作したり、様々なことが出来るクリエイターやゲーマー、人と協力し知名度を伸ばす人も多く、多彩なレッドオーシャンを前に目が曇ることも多々ある。

元々、僕の活動目標は「ワクワクすることがしたい」だった。一人では出来ないことを他の人が見ているという抑止力を使ってやりきることを目的としてきた。良くも悪くも自分の為の活動だ。

最初は技術面等学ぶことが山の様にあり、その辺をこなして行くのがひとつのクエストになっており楽しかったのを覚えている。しかし同時に「このクエストはただのチュートリアルだったのだ」という問題に直面した。

動画を作ることも、配信をすることも、このレッドオーシャンでは当たり前で。君が出来ることはなんだと吟味されるのが常なのだ。

そうして出来上がったのは配信と動画がまぁとりあえず作れるけど作りたいものが曖昧で届けたいものが曖昧なふんわりした存在だった。

ワクワクすること、という漠然とした自己目標は改めて「今自分は何が楽しいのか」「何がしたいのか」を考えることになってしまった。

この4年でVRoidの3Dテクスチャを作った、販売等も経験した、ゲーム実況をしてみた、料理動画を作ってみた、パソコンを買い直した、メンタルを少し安定させた、猫を飼った、生活がほんの少しずつまだ安定はしていないが、兆しが見えてきた。意図せずTwitterでバズり3000RT6000いいね、23.6万再生される動画を作った。憧れだった物をある程度こなしてしまい、雑に言うと僕は

Vtuberとしてやりたい、ということがなくなってしまった。

僕はゲーム実況をメインとする程ゲームが好きでは無いし、長尺で毎日喋れる程体力が無いことが分かった。動画を作るのはものすごく大変なこともわかったし、テクスチャも「ないから作る」をしただけであって、今では作れる人が溢れている。

未知を理解してしまった中で、僕に何が出来るんだろう。何がやりたいんだろう。新しいことってなんだ。そう思えば思うほど、今の自分は準備中や新人として振る舞う人の事を羨ましがっているだけなのだと実感した。

新人だから、準備中だから、出来なくても仕方がない。伸びなくても仕方がない、みたいないい訳が欲しいんだなと、思ってしまった。

毎日クオリティの高い準備に万全を期してきた転生系Vtuberが生まれ、その反面知らないVtuberの引退ツイートで存在を知る。物珍しいものではなくなったあまり活発でない新しくもないVtuberは、もう一般人に毛が生えた程度でしかないのだと、改めて思った。

でも、これが自分が求めていたものなのかもしれないとも思い始めていて。
元々僕がVtuberになったきっかけは自分の心を知り、自分が楽しいと思うことをし、辛い時や悲しい時はなぜそう思うのか、辛い時に自分を責めず、自分の感情と向き合うことをカウンセラーさんから勧められたのがきっかけだった。

4年経った今、やっと僕はしんどい時はしんどいなと思い無理をしなくなったし、楽しいを疲れにせず楽しいまま終われるように努力出来るようになってきたと思う。そもそも僕は一般的な精神的なスタートラインにすら立ってなかったんだろうと思うのだ。

その努力を認めてくれ、チュートリアルをクリアする事に自信を付けさせてくれたのは他ならないこの世界であったし、何か一つに夢中になることで自分の事を責め考える暇が減っていったように思う。

4年前まで長文を人に公開することに価値があるとも思っていなかった。けれど、見つけてくれる人がいて、いいねを押してくれる人がいる。無価値ではないのか、と自己肯定感が上がったり、そんな人たちに何が返せるだろうと思う様になった。

結果として「僕が健康的で一般的な人間に這い上がる工程」を、人はコンテンツとしてみてくれるということが分かった。それは他ならない黎明期に憧れた「一般的が努力して掴み取った夢」であった。

だから僕はこれからも自分のワクワクすることをするし、一般人としてVtuberになっていこうと思う。その一般人が何をして行くのかはその時自分がやってみたいこと、やらなければならないこと、色々加味して視聴者さんにお見せできたらと思う。

元々からして一般人から外れた僕に勇気を貰ったと、努力を見て自分もやってみようと思ったと言って貰えたのが、僕にとって宝物になったから。

だから僕は、これからもVtuberを名乗っていきます。

見てくれる方と一緒に、憧れた存在を目指す為に。

猫缶代、いつでも待ってます。