自分のため、は難しい

この前、たぶん人生で初めて、自分のためだけに遊びに行った。いま32歳。

一人で何かを楽しむと母親から「お前だけ」「いいよね〜気楽で」「遊んだんだから〇〇やってよ」「そのくらいいいでしょ」等、言われてきたから、小学校の時から、野菜買ってくるとかのおつかいをしたって、必ず親にお菓子を買って帰ってた。自分のは買ってない気がする。
もう少し成長しても「お前だけ」の呪いは変わらなくて、友達とか仲の良い妹と出かけても「お土産」を買わないといけなくて。
どうせ買ったって何も使わないし、好き嫌いもクソほど激しいから食べられそうなものをなんとか探して買うだけ。無かったは許されない。
お土産を買ってきたって行為が必要なだけ。母親がそれを他人に話すために。
買ってきてくれたとかじゃない。
子どもとして親になんかしろって話。
自分はそれを姉(伯母)とか、職場の人に話したいから。
買って渡すと「こんなのいいのに〜」とは言うけど絶対に無いと文句言うし、後から機嫌悪くなって八つ当たりされるし。揚げ足取りみたいに「遊んできたんだからこのくらいやってよ」とか言われる。

だから楽しむっていうのができなかった。
いつも自分が楽しむのは責められることだと思っていた。誰に何も言われなくてもいつも後ろめたくて。自分には何も買えないし、自分のやりたいことはできなくて、行きたいところにも行けなかった。
自己肯定感が無いから「私が楽しくて、それになんの意味があるの?」と。
責められてる気がするから楽しむどころじゃなくて、結局、誰かと行ってその相手をもてなして、喜んでる姿を見ることで、これは楽しい、これはいいこと、だと思うしかなかった。

自分が楽しいかどうか自信が持てないから、相手を接待するしかなくて、ほんのちょっとやりたいこととか、あれ食べたいなあとか思ってもうまくできなかった。家族で出かけるみたいな集団行動だと一人のためだけに時間も割けないし。怒られるし。

だからこの前、初めて、自分のためだけに出かけたのは私にとってはすごいことだった。
一人で目的地を決めるにも脳内で声がするから「遊んでていいの?」「そんなとこ一人で行って楽しめるの?」「お金の無駄」ってずっと浮かんでくる。それを何度も振り払って「人生で一回くらいいいじゃん、いつ死ぬかわかんないし」って言い訳を使って。

世の中の人がやったことありそうなこと、大体やったことないんだけど。
桜をちゃんと見る、桜を見るためだけに出かけるっていうのをやってみたかった。
通勤で桜の木の下を朝夕通り過ぎるくらいしかみれてなかったから。
花見も本当はしてみたいけど一人じゃさすがにきついし、酒飲みが騒ぐとこ、若者がはしゃぐとこは苦手だから、まあいいとして。

関東の桜の名所を探して、いろいろあったけど横浜に多かった。
横浜、行こうと思えば行ける距離だけど、一人で行ったこと無くて。しかも自分のために。
しかも行ったことのない場所。
でも桜って見られる時期限られてる。天気予報では今後雨になる。いまが満開って書いてあって、逃したら散っちゃうよな、って思って、勢いで頑張って行ってきた。三溪園に。

一人で出かけたご感想は、なんか、自由だった。
いつも相手のこと考えて余計なことをしないようにしてるから、もはや執事みたいに不便のないように付き添ってるみたいな。自己主張全然できないから、自分の好きなように好きなところに行って、好きなものを好きな時間見るっていうのが初めてだった。それでそうやってても誰にも怒られない、呼びつけられない、命令されたり何か聞かれたり、何かの役割をしなくてもいいのが自由だった。
私、食べるの好きで、でもよく出かける妹はあんまり食べない。食べる!って行って出発しても、あんまりお腹空いてないやとかで、リストアップしてたものほとんど行けなかったり。
私だけ食べるのも気まずいし、せっかちだから多分、私だけが食べるのを待ちたくないんだよね。妹。怒るだろうなと思ったら、もう我慢するしかない。空気悪くなるし。借りを作ったみたいになって、なんかしなきゃってなるし。
帰りのこととか話されて、だいたいいつも早く帰る前提だし。突然愚痴っぽくて申し訳なく思うけど、ほんとはそれも不満だったんだなと思った。

私は結局、そうやって、みんなにたくさん気遣って自分の希望を我慢する付き合い方しかできない、してないんだなって思ったし。
そうじゃなくなったら妹だって、私と遊びになんて行ってくれないんじゃないかなとも思う。
都合がいいだけな気がする。
うちの家族はそういう意味では淡白だ。
メリットがないと付き合いがないから。


三溪園で、カフェというほど洒落たやつじゃなくて、お茶屋っぽいとこがあって。
そこで食べたお団子が美味しかった。
普段は食べないけど、その辺で食べるものよりしっかりちゃんと美味しかった。
はじめてずんだ味のお団子も食べた。すごく美味しかった。
あれが普通なのか、特別美味しいのか分からない。

世の中、今で言うと推しのイベントだとか、オタクならコミケだのなんだのとか、アーティストのライブとか。そこまでマニアックじゃなくてもいろんな趣味とか、一人で好きなものを楽しむことってできるし、してる人もたくさんいるだろうけど、私はやっとそれができた。

悪い意味で、成長した気がする。
一人でいいんだって、私が何してたって誰も気にしないんだなって。楽しんだというか、勝手にすることそのものが許されなかったから、ほんとにもう自由なんだなって。
奴隷でいることに意味を見出してたのに、もう奴隷しなくていいよって言われてもどうしていいか分からない感じだったんだけど、あ、ほんとにもう奴隷じゃないんだって。
あんなに必死に奴隷してきたのに、要らない程度の努力だったんだなとも思ったし。なら、逆にその程度のことで30年も使われたのか、とも思うし。
解放されたとは思うし、親にいきなり怒鳴られなくていいのはすごく楽だ。でも失った時間が重すぎて憂鬱になる。

普通とは違う人生を送るしかない。しかも若くもないのに。
何歳からでも何かはできるとは思うけど、私の20代はもう二度と戻らない。


最近生きてて、今やってることはすべて「死ぬまでにやりたいこと」の消化だと感じる。
てか人生ってそれだろうなって。
死ぬ時は一回しかないから、その時に悔いることがあったらもうおしまい。

猫を飼ってるから、我々よりも先に行ってしまうこの子達と生きてると、いつかじゃなくて今、ってなる。いつかって言って、3ヶ月後に何かの病気の末期かもしれないってことが起こるから。

今度の猫の誕生日は猫用ケーキと猫用アイスを買った。それもやってみたかったこと。
金遣いが荒くなった気がする。
可愛いと思った服も買って、美味しそうだと思ったものも食べる。高くて二の足を踏んでた猫のサプリメントも買って。

できなかったことをして、でも正直、あんまり健全な喜びじゃない。復讐に近い。
楽しいって思ったとしても、これを楽しいと思うのに何年かかったの?って落ち込む。
友達もいないし、家族も別に仲良しじゃない。
私が都合よくなくなったらきっと妹にも放置される。
そんで一人になって、どこまで何を楽しいと思えるんだろう。


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