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中国共産党の人事に関する日本の報道の問題から考える

中国共産党大会が10月22日閉幕し約200人で構成する指導部・中央委員会の名簿が発表された。

ただ、気になったのは「習一強で習個人がレガシーのために台湾軍事侵攻する」などの報道が意外に多かったことだ。

確かに、台湾海峡危機が先日もあったし、尖閣諸島に毎日、中国艦艇が来ている。筆者は従来から防衛力強化は賛成だったし、軍事バランスの関係で、南西諸島の防衛力強化や南沙諸島など喫緊の課題であるとは思う。(拙稿参照)

しかしここ数年の習近平指導部は極度に、または急加速して、両岸問題などで人民を煽ったわけでもない。日本の報道だと常に強気の発言だけをストレートに切り取って報道するが、中国としては党・国家のトップであると同時に軍のトップだから、強気発言をせざるを得ない事情もある。逆に日本のような「話し合い」など言おうものなら、まさに政変そのものになるだろう。まさに「決まり文句」感ではある。

実はここも重要な点だが、これをやめさせるように警告することも日本としては非常に重要だ。安倍内閣で繰り返し「力による現状変更は認めない」と言ってきた。(現状はどうだろう)

コロナ対応でのまずさから、世界各国の政治で不安定化している国も多い。中国も例外ではないのだ。これが「見えない」不気味さがあるが、対外的に強気発言(および反日)することでこれを「ガス抜き」のように以前からも使っている面も大きく、この悪弊が脱せないことは中国の問題点だ

東北大教授の阿南友亮氏(中国大使の阿南惟茂氏の子息であり、敗戦時の阿南惟幾陸相(自決)の孫でもある)の著書は参考になる。

他のウイグルやチベット、南モンゴルなど他の民族問題や香港問題とも関連し、台湾に対しても弱気に出れば示しがつかないという弱みもある。これらも選挙の無い独裁政権だからこそ、かえって民意を恐れるという現象(究極のポピュリズム)も見逃せない。

ただし、少なくとも今回の件で「中共の強権は終わりの始まり。習は権力執着・独裁、裸の王様・指導部不安定化で崩壊か民主化か」は、短絡思考すぎる。単に刺激のある言論を展開して煽ってメディアを盛り上げた、というところかもしれない

なぜ、日本の中国報道が今回、短絡的に煽った報道が散見され、ウケるのか、の要因を考えてみることで「日本からみる中国」を再考するきっかけにしてみよう。

①中国共産党人事システムの不可解さ


今回は共産党の人事だ。これを自民党の総裁選びと比較して考えてみると、当選回数と派閥でだいたい予想がつく。「サプライズ人事」という単語があるのは予想通りが多いことを示している。ところが、中国は②の面からも、かなり秘密で不可解な面がある。

今回チャイナウォッチャーの多くがかなりの意外感で予想を外してもいる。
ここで「何しでかすか」感がウォッチャーからも出てきたというのもあり、
これがメディアなどで若干過激とも言える解説が出てくる一つの要因なのか、とも思えてくる。

なお、人事抗争予測以上に、それがもたらす政治的・政策的な影響の分析がチャイナウォッチャーでも正直難しく、この言及を保留し(態度として知的誠実ではあっても)ていることが、短絡的な見解が出てくる温床でもあるように感じる。

②情報非公開・言論統制の共産主義への不信感


いくら経済発展があっても、基本は共産主義と言う認識が日本のメディアに欠けている。情報が公開されないし、日本の政治や役所の人事のように情報が漏れることも無い。だからウォッチャーの仕事があるし、漏らして金を巻き上げている中共幹部も実際いる。これらは共産党に特有の「革命」を大義にした「秘密主義」などから発している。この秘密主義は普通の日本人には理解できない感覚で、不信感を持つのは、当然だろう。(ちなみに日本共産党も同じく秘密主義。一般で誰が党員なのかはごく一握りの幹部しかわからない。)

また、言論の自由がないことで「反対派の存在」そのものが抹殺されていることが、「何をしでかすかわからない」感に拍車をかけている面はある。また決まりきった言い回しをロボットのようにしか言わない不気味さもある。

これらは根本的には中国の問題なのだが、④で述べる日本メディアの過剰な中国批判回避によって、報道されないことが、逆に日本の一般人の不信感を助長している。

③日本の国是「話し合い」主義ではない中国への根本的な違和感


これは根深い。日本の「話し合い主義」がいまだに世界で通用すると思っているお花畑がいる。「話し合い」は妥協であり、それに簡単に応じると考える平和な日本が世界で例外的だ。(ウクライナに識者が降伏を勧めたのはG7では日本だけで、別の意図(ロシア支援)の誤解招いている)

「足して二で割る」「落としどころ」「痛み分け」これらの表現を中国人の日本語学習者がうまく説明できたら相当なレベルだろう。(日系企業の採用試験にしたらいい)

むしろ「妥協しない前提だから、価値がある」という発想をしない日本のほうが異常だし、中国等東アジアだと「相手がすぐ妥協策を考えたのは、弱さであり、ニセモノの証拠だ」と考える。これらの文明的な相違からの違和感が日本側の不信感にあるのは言うまでもないだろう。

ついでに、「お友達人事で暴走」という日本の批判には呆れる。日本での平和な「人事」観をそのまま勝手に投影して何の意味があるのだろう。胡錦涛の連れ出し事件は別に論じるとしても、胡錦涛をいきなり判官びいきで善人に持ち上げたり、日本の中国報道はおかしなことが多い

④中国に関して批判的な報道を日本メディアが日常的に回避していることの反動

筆者はこの点は強調したい。不信感を持ちつつも、日本メディアは中国に対して批判的な報道は巧妙に避けている。また日中友好などのほのぼのニュースや美談ばかり報道して、中国に根本的に批判する報道はかなり抑制されている。(中国での無意味な日本敵視報道とは異常なまでに対称的で非常に危うさを感じる。)

これが、大手メディアに対する不信感につながり、出版業界では中国批判本がかなり売れることとネット上での中国批判など、媒体の種類によりあまりに論調の相違に現れる。

逆に言うと中国側の関与がある放送と新聞だけが突出して中国批判が抑制されている。(これらは韓国に関しても言える)もとはと言えば、大手メディアで自由に中国批判ができていないことがこれらを招いているとも言える。

2020年に習近平氏による台湾併合シナリオを朝日新聞の峯村健司氏が発表したとき、袋叩きにあった。

国交樹立当時からメディアが中国の実像より日中友好を言い立てたツケが来ている面も大きい。加えて、先般ミサイル着弾もあった。中国批判そのものと言うより、日本メディアの中国報道への不信の側面が大きいことを見逃してはいけないだろう。

⑤防衛関連のポジショントーク(予算獲得)としての面


ここ最近、防衛予算の増額の議論が花盛りだ。防衛予算は黙っていれば減らされるのがこれまでだった。「習近平指導部がなにしでかすかわからない」感は防衛予算獲得で好都合だし、今までがあまりに異常過ぎたこともある。筆者も実はこの側面は賛成だ。

ただ、これと同じような側面が中国側にもある。中国側も「台湾海峡が問題」などで言い立てることで海軍予算を獲得してきたし、またそのこと即時実施かともかく、アピールしないと内部突き上げを喰らうという現実がある。実際、人民解放軍が汚職まみれでがっぽり儲けていると庶民は分かり切っている。だからこそ、強硬発言でポーズをとる必要に迫られ、自縄自縛になっている面も見逃せない。

ちなみに韓国でも軍予算の獲得・削減論への反論に日本脅威論が使われている点も似た側面があり、同じように突き上げが、おかしな行動に出ている面もある。

また、冷戦期の日本で「ソ連が攻めて来る」論も同じで、実際はその可能性は高くはなかったが、脅威論を煽りでもしなければ、ただでさえ少ない防衛予算がさらに減らされる悪循環からやむを得なかった面がある。

これらの予算獲得の議論がエスカレーションさせないための行動が本来は重要だし、そのために煽った報道も、ほどほどにしないとまずい、、と言うのはある。

これらはまだポジショントークの段階だが、本当に破局に至った実例はある

昭和初期の海軍が対米戦の想定を強調もしていたが、これも予算獲得の側面があり、相応の軍事予算がついていたが、実際に日米関係悪化したころになると、逆に「米国と戦争できません」とは言えない状況に追い込まれ、自縄自縛の状態になった。この教訓を忘れてはいけないだろう。

以上のように、今回の中国共産党の「人事報道」の示唆するものは意外に大きく、根深い面があるのではないか、というのが筆者の感想である。

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