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岡崎から視る「どうする家康」#21ドラマを通じて歴史書と歴史観を考える

「どうする家康」も中盤にかかり、岡崎の登場がなくなり寂しい限りです。

岡崎編終了でもうまとめか、と言われるかもしれませんが、歴史書や歴史観についてつらつら思うことを書いてみました。

家康を書いた歴史書


昨年2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はいろいろ話題になりました。

「鎌倉殿の13人」で興味深かったのは当時を書いた歴史書です。注目されるのは、鎌倉時代末期に北条関係者が書いたとされる『吾妻鏡』からの引用も多くあったことです。

「どうする家康」の松本潤さんが最終回に吾妻鏡を読むシーンでサプライズ登場して話題になりました。

「鎌倉殿の13人」に最終回でサプライズ登場。『吾妻鏡』を読んでいます。

一方で、朝廷側としては摂政・関白の九条兼実の書いた『玉葉』や、その弟で比叡山天台座主の慈円が書いた『愚管抄』などがあります。しかし、同じできごとについても記述内容が異なります。「筆者」の立場が違うからです。

「筆者の立場による記述の相違」は、歴史書を読むうえで重要な視点です。

歴史書を「立場によってウソ、都合のいい話を書いているかもしれない、書きたくない話がある」という前提で読む姿勢は重要です。

現代の政治家やメディアもウソをついていないはずがありませんし、公平な記述などあり得ないからです。

『安倍晋三回顧録』を読むときも、大切な視点であることは言うまでもありません。公開を前提に話している以上、政治的な意図を持っています。(安倍総理や回顧録を貶めているのではなく一般論)

それでは、「どうする家康」では、どのような歴史書があるでしょうか。私の好みで公式の『徳川実紀』と『家忠日記』『三河物語』あげてみます。

『徳川実紀』

まずは、『徳川実記』19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式史書。全517巻あります。トップ画像は家康を書いた『東照宮御実記』です。

公式の歴史書であるだけに、これをどう疑って読むのかが面白いところです。また、人物の逸話などは脚色があるのは当然としても面白いのは面白い。江戸にあって戦国を回顧する「平和」を感じます。

これを戦時中の回顧を戦後に書かれた回顧録や戦記物との対比で考えると興味深いところです。

松平家忠『家忠日記』

深溝松平家の(1555~1600)四代目当主で、日記を残しています。関ケ原の合戦の前哨戦の伏見城の戦いで鳥居元忠とともに戦死しています。とにかく淡々とした気象などに関する記述が天文学でも活用されているのが見逃せません。

松平家忠(深溝松平)1555(弘治元年)-1600(慶長5年)

大久保彦左衛門『三河物語』

著者は大久保忠教。彦左衛門の通称で知られています。家光の時代に天下のご意見番のような講談の話で有名です。輿を禁止されたのでタライに乗るという頑固爺のパフォーマンスに喝采する江戸時代は実に平和です。

頑固爺彦左衛門のパフォーマンス。

このうち、『家忠日記』の松平家忠と『三河物語』の大久保彦左衛門は現在では同じ行政区域(額田郡幸田町)ですが、内容が対照的です。岡崎市が歴史の街なら、幸田町は歴史書の街と言えるかもしれません。

ついでに両名とも信康と年齢的にも近いので側近だったらなと思いました。

家忠日記』は天気や食べ物はじめなど出来事をひたすら日記として淡々と記述しています。『三河物語』は伝聞情報を躍動感あふれ、感情的な筆致が面白いところです。例えば「不運」を「浮雲」と当て字にしたり、大久保一族が自分たちが思ったより出世できない悔しさ(書いた本人は否定していますが)に憤慨。読者をワクワクさせます。

「家康」に対する見方は変わる

さて、「幕府のご都合主義でのヨイショ」や「明治維新による徳川おとしめ」で、家康のイメージが何度も変わっています

「安祥(安城)にいた祖父清康が岡崎城を奪取」で書きましたが、岡崎でも知らない人は多いと思います。

それはそうです。

江戸時代の歴史書で「家康のおじいちゃんは超ワルで岡崎城強奪犯」などと書くわけありません。(岡崎公園の観光案内でこの経緯の書き方も注目すると面白いと思います。「入った」とだけしか書かれていません。)

韓国朝鮮屋の視線から見ると、江戸幕府は正統史観(韓国朝鮮が大好きな「正しい歴史認識」)をやっていそうで徹底してません。

私から見ると、幕府の中で「都合悪いから書くのやめとこうや」という「役所のことなかれ」です。また「ヨイショして書くのでボーナス増やしてよ」というノリぐらいです。

なぜかというと、それと矛盾する他の記録類が多く残っており焼却などが、生ぬるいからです。

朝鮮史との比較

なぜ生ぬるいか。

朝鮮だとこれはかなり徹底していて、政治上都合悪い書物は全部焼き捨ててます。そうしないと政治的な粛清のネタになり、生き残れないからです。

これが儒教の「正統史観」の怖さです。

朝鮮時代の史料は非常に少なく、改竄捏造焚書坑儒のオンパレードです。だから歴史ネタに批判を行うのは「最近のできごと」に対するそれ自体の話ではありません。彼らの「伝統芸能」もっと悪く言えば「宗教原理主義の儀式」です。

これは今も、反復しています。本日もやってます。明日もやります。未来もやらないはずはありません。

この伝統を日本の基準で甘く見てはいけないというのが、私の朝鮮半島に対する基本的な視線です。日本史の先生は「日本しか見ていない歴史」になっている面がないでしょうか。

徳川の歴史書を書いた人々の「明治」

江戸時代の「正しい」歴史書である「徳川実記」などを編纂しているのは成島家です。

ところが、この成島家が禄高(何万石とか)も高く、政治上も重要なポジションか、というと全然そうではありません。たぶん、江戸時代についての歴史と言うことで「成島」がすぐ思い浮かぶのは相当な歴史マニアです。

しかも、明治維新以後に、成島一族は皆殺し間違いない(その前に徳川が全員抹殺対象もそれすらない)かと思いきや、全然そうではありません。

なんと「成島柳北」という明治の成島家の当主は岩倉具視や木戸孝允と仲良しになって文部大臣にスカウトされています。

成島柳北(1837~1884)明治のジャーナリスト

しかも面白いことに、これを断り、自由民権運動の一環で新聞を作って明治新政府の批判、というか悪口書いてます。今なら大臣やらせてくれるって言ったらホイホイ言うこと聞くけどね。ついでながら、私は「反政府反権力」を自己目的化する日本のマスコミの原型が成島柳北と見ています。

この筆禍がもとで、監獄に4か月収監されています。よく言えば「反骨」。悪く言えば「勝手気まま」。「スカウトや仕事の便宜はかってあげたのに何でお前悪口書くんだ。」ぐらいのレベルです。

この成島柳北は、高校の歴史教科書ではマイナーながら出てきて受験にもたまに出るレベルです。なぜかというと良くも悪くも元祖ジャーナリストだからです。マスコミの政権悪口体質とか、明治のジャーナリズムを考慮すると非常に興味深いところがあります。

これは、韓国の歴史感覚で成島柳北を考えたらちょっと驚く話です。

朝鮮史の基準ですと、全然違います。
歴史書を書く役所を「春秋館」といいます。「歴史を支配する」超重要ポジションです。歴史編纂の方針が政治上で何度も変わるために、この「春秋館」は政治粛清の犠牲者多くいます。その数も分からないぐらいに粛清がすごい。

成島柳北の4か月収監などは、韓国の基準では大したことありません。成島家が明治に入って粛清されてないことが驚きです。

ついでに韓国大統領府の「青瓦台」が今年2022年に公開されるようになりましたが、マスコミ向けに記者会見などをしたり、メディアが詰めている建屋がありました。この建屋の名称が「春秋館」です建物の名称が意味するところは「政権にとって正しいことだけを書け」と言うことです。

韓国大統領府(青瓦台)の春秋館
韓国大統領府・青瓦台「春秋館」の記者会見場

そういえば、こんな事件もありました。

韓国には「大統領記録館」があります。行政安全部(日本で言う総務省相当)の傘下にあります。

https://www.pa.go.kr/index.jsp

記録こそ権力であることを、日本の政治が軽視していることは、警鐘を鳴らしたいところです。

「歴史」をどう読むか

歴史とは言っても、みな自分の都合よく歴史を論じたりします。私のnoteでもそうで、「岡崎から視」て好き勝手書きました。

近代政治史の、とある先生が酒の席で言った一言が印象に残ります。

「政治家の回顧録を一日中、ウソや脚色だらけの前提で疑って読んでるから、人間不信になるときあるんだよな~。」「歴史書とか読んでると人間って薄情だなあとかつくづく思う。」

歴史はやはり人間が織りなすもの、ということかもしれません。

というわけで、私も「岡崎から視た」好き勝手な感想を書き連ねてきましたが、大河ドラマはドラマだけに人間模様を描くのだとしても(それにすらなってないツマランとかの批判はさておき)、歴史書の行間には当然ながら様々な人間の思惑や欲、悪意に充満しています。

歴史書の行間に埋もれた人間の感情を見出すのも、ドラマを愉しむ一つと言えます。


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