あいのうたのみみざわり

 久しぶりにMr.Childrenの「365日」を街中で聞いた。
 わたしはアルバムの「SENSE」が発売されたときのドームツアーに行っていて、万単位を同人するイベントに行ったのは初めてで、記憶があるかぎりドームに行ったのは2回目で、すり鉢のような観客席の階段に目がくらくらした思い出がある。

 ちょうど10年前なのだなと思った。
 Mr.Childrenのことを好きな異性は周りにたくさんいて、よくCDを借してくれたが、当時とても好きだった人もMr.Childrenが好きだった。
 そのひとはギターを弾けたのと、うたもうまく、なおかつ同時にこなせる人だったので、Mr.Childrenの曲を弾き歌いすることもしばしばあった。「365日」は、そのひとが弾き歌いしているのを最後に見た曲であり、私のために歌ってくれたことがある曲だった。

 それから、弾き歌いの中のフレットチェンジの音や、かすれる高音部や、柔らかい中音域や、息を吸う音が好きだったことを思い出して、大きな手や節ばった長い指や桃色のつめがギターの上でこまこま慌ただしく動いているのをよく眺めたことが懐かしくなった。

 今になって文字で見てしまうと、おしりのあたりがもぞもぞするくらいストレートなラブソングだけど、好きな声があのメロディーをなぞるうちにじんわり浮かんでは消える歌詞をおいかけていると、誰かを好きだという気持ちがずっと続いていくというのもずいぶん素敵なことのように思われた。

 結局のところは自立していない頃にはありがちだっただろう理由で別れを迎えてしまったから、それ以降、わたしは、好きな人の人生くらい守りきれる財力を持たねばならぬ、そうでなければ愛を囁く資格すらないと心に決めて、ずっと転げまわって来た気がする。
 誰かを愛する方法はきっと幾通りもあるはずだけれど、私のなかではお金が占める割合が高いのはそういう経緯がある、というはなし。

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