生ハムと罪悪感の舌触り

好きな食べ物を聞かれたら、生ハムと答えることが多い。
日本人が好むピンク色でやわらかいものも、塩気が強くて長期熟成されているものも等価値でおいしいと思う。

 生ハムに恋に落ちた瞬間のことは、数十年たった今も覚えている。
 幼少期、一人っ子の父から生まれた初孫の私は、父方の祖父母からとてもとてもとても可愛がられた。
 あるいは、父方の祖父はとても寂しがりだった。
(父方の祖父は、彼の日記において、
本当はみんなで一緒に暮らしたい・今日も孫かわいい・今日は孫から電話があった、よくしゃべるようになった・来週末は息子(私の父)もやって来るのうれしい…などなどを書き連ねていた夢可愛いタイプの人間だった……のだが、このことは彼の死後、彼の文机から日記が発見されたことによってはじめて家族に発覚した)
 あるいは、父方の祖母は相当に情が深く、世話好きだった。
 父方の祖母は、会合に全員分のおしぼりを持参するレベルで他人の世話を厭わず、夏場にはわざわざおしぼりを凍らせる配慮まであったのだ(しんじられない)。
 このため、ひと月の間に少なくとも2回は、両親が私を連れて父の実家に行ったり、父方の祖父母と百貨店へ出かけていた。
 また、私の家と父の実家が同じ私鉄沿線にあったのもあり、長期休暇中には祖父母と母と私が平日に食事に出かけることもよくあった。
 今から思うと、母の実家は日帰りが不可能なほど遠かったので、ワンオペ育児にならないように、という関係者たちの配慮もあったのかもしれない。

 その日は、祖母が用事で出かけていて(つまり、食事を作る人が不足しており)祖父が私と母をランチに連れて行ってくれた。
 洋食だったと思う。
 祖父は香川の生まれで、うどん以外は好き嫌いを言ったことがないから、小さい私に合わせてくれたのだと思う。
 レストランは窓が大きくて、白い壁で、良い天気だったから明るい店内で、私たちは部屋の中央寄りの円卓に案内された。おしゃれなお店だったと思う。

 そこで生ハムのオープンサンドイッチを初めて食べたのだ。
 きれいなピンク色で、うすーくひらひらしていて、もったりしょっぱくて、咀嚼した先からモニモニモニと小さくなっていく冷たい生肉。
 小さい私の衝撃だった。
 母が洋食嫌いだったから、自宅では出汁を取るためだけに入れられた細切れのお肉くらいしか食べたことがなかったから、「こんなにおいしいものがあるなんて!」というやつ。

 祖父に美味しいかと聞かれ、「これ(生ハム)がすごく美味しい」と答え、答えたきり、再び無言で食べきってしまった。

 そうしたら、母に、「そんなにおいしかったのなら、ひとくちおじいちゃんに差し上げたら良かったでしょ」とチクリと言われてしまった。

 祖父は「美味しかったのなら全部食べていいんだよ」と庇ってくれ、私もバツが悪そうにうつむいたし、ごめんなさいと謝った。
 大好きなおじいちゃんにおいしいご飯を食べさせてもらった、初めて食べたものが素晴らしくおいしかった、という楽しい気持ちが、しゅるしゅるしゅると小さくなって、悲しくなってしまった。

 母の教育方針によって、幼少期の私はとにかく体にいい物=和食を与えられていた。いつも食べたいものが食べられるわけじゃなかったので、ごくたまに許可してもらえた特別なお食事は隅から隅まで全部大事だった。もちろん母の作る食事は、いつも丁寧で、下ごしらえの手間がかかっていて、美味しかった。が、誰しも趣味というものはある。
 それなのに、あたかも、美味しいものを祖父にあげたいと思わなかった悪い子みたいに言われるのは悲しかった。ひとくち差しあげなさいと言ってくれればよかったのに、と納得がいかなかった。傍からみると、どうしようもない食いしん坊に見えていただろう。 

 心の中では、【大人だったら自分で食べたいもの決められるでしょ?】、【食べたかったなら、どうして注文しなかったの?】、【大人だったら自分で食べたいもの決められるんでしょ?】、【食べたかったなら、どうして注文しなかったの?】、【私は他のものが欲しいなんて言っていないのに、どうして私のを欲しがるの?】と全然、ちっとも、これっぽっちも納得がいかなかった。
 こちらの気持ちを、外から、常識とか礼儀とか優しさみたいな種類の圧力で動かそうとされるのは絶対に嫌だった。今でも、社会的に一定の心の動きを示すと想定される行為を、常識やらなんやら見えない圧力の下に求められるのは嫌だ。
 初めて生ハムを食べた日は、生ハムの感動とその後の消し炭を噛むような嫌悪感の落差が激しくて、とても記憶に残っている。
 今は、好きなお店を選び、好きなメニューを選び、誰と食べるかも選ぶことができる。これから自分になる食べ物を、どんな方法で自分の中に入れられるかも決められる自由を得て、平穏というか安寧が増した。
 大人になった今は、私の食欲も含め、私の感情は私のものだと確かめる方法がたくさんある。

 つい去年頃まで、大好きな生ハムが豚肉であるということと、豚肉は豚を屠殺して製造されていることと、豚があのベイブと同じ種族ということと、それぞれが私の頭の中で繋がっていなかった。このために、あのスライスされてパックに詰められたキラキラした脂と赤身のしましまリボンのお肉と、こん棒のような生ハム原木は長いこと全く別物のように感じていた。
 かわいくておいしい。

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