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劇場版「少女☆歌劇レヴュースタァライト」を見た話

(ネタバレ全開です)

それは舞台少女の死と新生を描いた話だった。

はっきり言って今後10年近くは本作を越えるアニメ作品は出てこないと思う。あくまで感想というのは個人的な物であるが、自分ははっきりとそう言える。

劇場版「少女☆歌劇レヴュースタァライト」は物語の完結編としてこれ以上の物はない。劇中の話だけに留まらず「レヴュースタァライト」とは?「私たち」とは?とあらゆる面でその終止符を打ったのだ。

本作はTVシリーズの続編であり、変に新しいキャラを登場させることなく聖翔音楽学園99期生の終わりと始まりを描いている。

ロンド・ロンド・ロンドにおいて「舞台少女の死」というキーワードが血を流し、冷たく横たわる彼女たちの姿と共に提示された。そして劇場版本編で明かされたそれは間違いなく死だった。

生命活動の終わりを意味する死ではないが、停滞した彼女たち舞台少女は死のそれに近い。

その死において舞台少女たちは自分たちの目指すべき次の駅に向かうのだ。

ここまで書くと何か大層なイメージを受けるが本質的には誰しもに訪れる進路の話、他人との関係、そして自分自身の事の話なのだと個人的には思う。

誰にでもあるのではないだろうか。目指すべき夢を諦めるか、それとも突き進むかという問題に直面したり、はたまた友達とうまくいかなかったり、ライバルと衝突することとか。

劇中内では剣戟を交えたり、死を迎えたりする描写でまるで遠いことのように思えるがその実は誰もが抱えてることなのだ。事実、あの世界観において世界が滅ぶだとか人が本当に死ぬとかいう問題は皆無で、99期生の舞台少女達の話に徹頭徹尾尽きる。けれど、彼女たちからすればそれに値する問題なので、ゆえに9人全員が主役。わかります。

そして「少女☆歌劇レビュースタァライト」とは何なのかという話の作りには度肝を抜かれた。確かにこの作品のタイトルは間違いなく「少女☆歌劇レヴュースタァライト」だ。私たちはそれを見るために劇場に足を運んでいるのだから。

終盤に華恋はスクリーンの方を見て言った。

「観客席ってこんなに近かったっけ?照明ってこんなに熱かったっけ?」

愛城華恋は劇場の私たちを見てそう言ったのだ。そしてそれを肯定する神楽ひかり……

「少女☆歌劇レヴュースタァライト」は彼女たちの舞台であり、私たちはその観客だということを突き付けた瞬間である。本作は劇中内だけの世界ではなく、明確に観客側の人間の領域にまで話を広げたのだ。

そう、私たちは観客なのだ。彼女たちが演じる姿を見るために劇場に駆け付け、燃料をくべているのだ。

そして華恋の棺桶を収めた列車は嵐を越え、夜明けの砂漠を駆け抜ける。

戯曲「スタァライト」は夜の奇跡の話ならば次の舞台は夜明けであるのがふさわしいのだから。

その列車が次の駅に辿りついた時に迎えるのは愛城華恋の新生であり「少女☆歌劇レヴュースタァライト」の死だった。本作も彼女たち舞台少女からすれば単なる途中の駅に過ぎない。だから次の……次の舞台を目指すのだからここでスタァライトとは決別しなくてはならない。

それは華恋もそうだった。彼女が登場人物中最も「スタァライト」に縛られたキャラだったから。そして棺桶から再び生まれ変わり、ひかりに最後のセリフをぶつけることで「スタァライト」は完結した。

夜明けの空に舞う舞台少女たちの上掛けはそれを最も表していたと思う。上掛けは「少女☆歌劇レヴュースタァライト」を象徴するアイコンであり、それを脱ぐということは華恋のみならず他の登場人物たちも「スタァライト」を演じきったことに他ならないからだ。

そう、この結末によって誰にも疑いようがない完結を迎えたのだ。劇中内のみならず作品自体をこうすることで終わらせたのはとてつもない構成である。

個人的にこの話の作りを虚構からの脱却とかそれらしい感じでイメージしてるが、同年の「シン・エヴァンゲリオン」が近いかもしれない。

なんか色々あって神に近い力をもったシンジがエヴァンゲリオンという箱庭から脱却して、私たちの住む現実世界に回帰するあの終わり方。あれに近いだろうか。

そういえばあのホームで電車に乗ったのはレイやカヲル、アスカのようなある種エヴァンゲリオンを象徴するキャラ達で、ホームを出て実写の世界に飛び出したのはシンジとマリだった。エヴァンゲリオンとの決別、終焉としての終わりとしてはこれ以上ないと個人的に思ってます。

話を元に戻します。

「そして今日。この時」

そのテロップと共に次の舞台のオーディションに臨む華恋が自己紹介の際に「スタァライトしちゃいます!」と本作を象徴するセリフを告げる。そしてあの夜明けの砂漠で風に飛ばされる華恋の上掛け――。これこそが本当の意味での「少女☆歌劇レヴュースタァライト」の完結であり、これをEDロールを越えて最後に持ってきたことがそれを意味しているのではないだろうか。

劇場版の予告で「劇場でしか味わえない歌劇体験」と称したそれは紛れもない真実だった。それを家賃数万の貧乏アパートでは到底再現できない、あのスクリーン、あの音響、あの熱気の中で味わえたのは間違いなく人生において幸福なことだったと思います。




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