私が絶対に肝試しに行かない理由

 私は昔から肝試しに誘われても絶対に行かないことをポリスぃーにしています。理由は簡単で、霊魂を馬鹿にしているからですね。これ以上でもこれ以下でもない。おしまい。

とかだけですませると面白くはないからちょっと怪談

 この夏の始まりにあたって湿った時期になると若人がこぞって肝試しと称してきゃっきゃウフフと盛りだしますわな。「にゃんさんも一緒に肝試し行かない?」と声を掛けられるも華麗に「私は行きません」とスルー。なぜなら面倒くさいことになることが分かっているからですよ。というのもにゃんさん、昔から望んでいないのにバイオレンスな展開に巻き込まれるのが宿命といってもいいくらい多いのです。
 それで、その肝試しグループが海沿いの山の上にある廃館ですか、入口にお札貼ってあるところに男3人女3人で行ったそうなんですよ。知りませんけど。それで案の定自称霊感のある女の人がおかしくなりまして、お祓いをするって結果になった訳ですね。知りませんけど。

私を護ってくれているのは守護霊じゃねえ、守護神だ!

 でも私は本当に霊感がありません。ただ、私を守護する方がいるとしたら、守護霊とは違って間違いなく守護神です。それもとてつもない力を持ったお方という確信を持つ場面はもう42年の人生の中でいくつもあります。不精にゃんさん、これまでの人生交通事故が十数回、骨折も十数回、今まで7回死にかけておりますが、ここぞという時ことごとく間一髪とか心臓止まってお帰りなさいみたいなことばかりなのですよ。まあ、本当に死なないんですな。死んだらこのブログ書いていないですし。なので守護神の加護がなければ私なんてスペランカーですよ。

大切なのは人の領域と向こうの領域を犯さないこと

 私は常夜と現世を完全に分けています。そして、常夜の世界にいる先祖の霊と神々に感謝をします。そしてむやみにその領域を犯すことは絶対にしません。
故に、そちら側からの干渉も一切受けることはありません。よく悪霊だとか、生霊とか、地縛霊だとかいいますが関係ありません。事象を起こして何かをやりたいならこの世にいるうちにやるべきだからです。なのでこの世の者でなくなったのに事を起こすというのは世の理のルールに反している為、それは絶対に受け入れることはしません。というのが私のポリスぃーです。
なので、ラップ現象が起きようが、物が落ちようが、鼻で笑っておわりです。何か私に訴えたかったら成仏して来世でおいでやすということです。
肝試し行くくらいなら、毎朝と寝る前に仏壇にチンしてご先祖様にありがとうを言いなさいってんだ。仏壇なかったら手を合わせてありがとうと感謝するだけでもいい。それだけで自分も守護者も良くはなっても悪くはならないと思いますぞ。

面白い生霊返し

 とか言っていますが。面白い生霊返しのエピソードがひとつ。にゃんさん、ある部署を担当している時に身体が重くて頭が痛い時がありました。その時は何人かわんぱくな部下がいて悩みの種になっていたと思います。病院に行ったけど診断書がつかない病気で休んだり、親戚が何人も死んで休んだり、子供が代わる代わる事故にあったり、仕事で人命にかかわるミスを隠していたりと、まあそんな状況があった訳です。
 ある日どうしても身体が重くて腰痛が酷い、という状態になってお師匠様から授けて頂いた不動明王真言を唱えたんですな。これは「ナウマクサーマンダーバーサラダーセンダーマーカロシャーダーソワタヤウンタラターカンマン」という真言とともに印を結ぶのですが。これは気を下丹田に移し驚くほど心を平常心に保つ効果があります。また、この真言は金縛りにあった時に絶大な効果を発揮するのです。(実際に私は2回これで金縛りを解いてます)。その次の日・・・ある初老のおばさん職員がぎっくり腰で休みました。心の声「お前だったのかぁ!!(笑い)」その後、その職員は一か月の休暇に入りその間に今までの数々の悪行が上司へ知ることになり名誉の退職をすることになりました。まさかこんな展開になるのかと思った実際にあった話です。不動明王真言は浄化を目的として唱える真言であり、生霊を返すつもりはありませんでしたが結果相手がそれ(浄化)を受け入れることができずに返ったということでしょうか。

さいごに

この世とあの世は別に存在しますが、それを否定するのは違います。別に存在しながらもひとつの世となっている。それがあるべき姿であり理なのだと思います。まさに道イズムですよ。老子はぜひおすすめです。今は分からない人でも後々必ずその意味を知ることができる機会があることを祈りまして本日終了。

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