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地獄からの復活

 私がどうして中国武術、日本古武術、仙道、気功を学ぶことになったのか皆様のヒントになればということでお話しようと思う。

人生のずんどこ時代

その、当時の私の身体状態は

・頭にブツができて潰すと膿が出て、そこだけ毛が抜ける。傷が治らない。

・肩こり、背部痛、腰痛、膝痛が慢性化し身体が動かない状態で人の3倍仕事をこなしていた。

・四肢に一体ずつこなき爺がついているような重さを感じて日常を過ごしていた。

・汗疱という小水疱が指にでき地獄のかゆみを味わった。あまりの痒さに金だわしで指を洗い、そのうち爪まで浸食がすすみ十本中九本の爪がはがれた。手の指は割れ常にワセリンを塗り綿手をしていた。

・歯槽膿漏、鼻毛も枯れそうな体臭。傷が治らないから歯を磨いても治らない。

・いいようのない不安、怒り、震えるような病的な空腹、悲しみ、絶望。

・顔面吹き出物、二の腕ブツブツ、粉瘤。

・容姿はゾンビとゴブリンを足して2で割ったような姿をしていた。

頑張った人生のその先

 その時、私は人生というものを努力し、頑張り、必死になることで幸せになると信じていた。しかし、それをすればするほど地獄に陥り人としての気持ちを失っていった。上に行けば行くほど心が乾き、もう本当に苦しい、もう嫌だ、でもがんばらなきゃいけない、身体からの声を無視しむちゃくちゃに働いた、動いた。そしてその日、過労の向こう側を経験することになる。

過労の向こう側

 ある日、動いていると痛みも苦しみも感じなくなった。ただ少し息がしずらいという感じがしただけで、いくら走ろうが力仕事をしようがまったくなんともない。腹も減らない。一緒に仕事をしている後輩に「はっはっは!!おい〇〇君!おかしいな今日はなぜか身体が痛くも痒くもないぜ、頭も冴えわたってる」と言っていた。そのうち五感が順番にひとつずつ消えていった。目が少しかすみ、なんか耳が聞こえずらく、匂いを感じない、砂利を食べているようで食べ物の味がしない、皮膚感覚も鈍い。でも不思議と不安や恐怖はなかった。そして、その日から一か月休養をすることになった。痛みや苦しみを感じなかったのは「身体の細胞が壊れて死んでいく為に痛みや苦しみを消していたからだったのだ」。確かに今思えばおかしかった。家の布団の中で天井を見つめて今までの人生を振り返った。これが俺の人生なのか、なんなんだこれは、もう、今までの様には身体が動かない、働けない。思えば小さいころから本当に苦しいだけの人生だった。そして思った。ここが人生を見直すところなんだと。

決意

 身体が壊れ、今までの力の出し方はもうすることができなくなってしまった。私がこれから生きるには東洋に古来から伝わっている柔の力、気の力。その力を身につける方法にかけるしかなかったのだ。

門をたたく

 それまで空手の型や合気道の動きや原理、古武術の動きを研究してはいたが、柔の力を実際に知る為にはそれを実際に使える方に教えてもらうしかないと思った。しかし、私の住んでいるところは田舎。地域、武術で検索しても空手やボクシング等は出てきても武術はなかなか出て来ない。そのうち1件だけ検索が当たったところがあった。私は生きる為にその門をくぐった。お師匠様が迎えてくださったのだが、実は前にも書いたがそこは最強の弟子ケンイチの梁山泊のようなところだったのだ!!

道場破り

 馬鹿は痛い目をみないと分からないと言うけれどそれが私だった。意気揚々と道場に行き(前もって連絡をしてお願いをしていた)「いざっ!!頼もう!!」と心の中でそっとつぶやいて「よろしくお願いします」と後のお師匠様になる人にあいさつをする。「おお、見ていきなさい」と笑顔で言ってもらい練習をみさせていただく。武術にしては初めて見る実践式の組手が行われていた。「おい、ちょっと見せてあげなさい」と言われ型を見せてもらう。その後、「うちは本物だよ」とお師匠が言われて座敷へ案内される。その前に壁に並べられたいくつもの免許皆伝の証、座敷のお部屋にあがらせていただきお茶を頂く。「ほれ、これ」巻物を取り出し広げる師匠。巻物なんて時代劇でしか見たことない。ここにきて「あれ、僕とんでもないところへ来たんじゃないだろか」と思い、まだ「いや実際にやってみなけりゃ分からない」と思う私。一通りお話を伺って道場へ戻り「ちょっとやってみるかい」と言われる。柔道とかでもそうですけど、やってると戦う前に相手の実力って分かるじゃないですか。もう触っただけで分かったんですよ。あ、これ本物だって。そしてぶっとばされる私。やったぜ、そんな初日を昨日のことのように思いだしました。続く・・・。

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