無駄は本当に大切だよ。無駄ないと人生すてますよって話。

人生に効率と利を求めた末路

あけましておめでとうございます。おとい、おとーい!!(遅い、遅ーい)
どうもにゃん師匠です。
あぶなかったですよ。家庭と仕事がいろいろ重なって、もっと早く、効率よく、みんなに利益を、プライベートも勉強をして、自分を高めてなんてやってたらおかしくなりましたね。とくにうつでもなく、全てが問題なくかぎりなく順調なんですがやっていることに意味があるのか不思議になってきましてね。
まず武術の練習をしなくなった。部屋の片づけをしなくなった。早起きもしなくなった。人との付き合いが薄くなった。そしてついに・・・。

究極の効率、人生を断捨離そうになる。

それで、あれもいらない、これもいらないとなった結果「確かに順調すぎる、最高に家族や周りみんなの役に立っているんだけどはたして私にとって私が生きていることに意味ってあるのかな?ということはそうか、人生を断捨離すればいいんじゃね」となりました。まて、まてえーい!俺まてーい!ということでセルフ禅問答がスタートされました。

昔の私は斉天大聖だった話。

 そういえば、昔の私は今と全く違っていた。頭に輪っかがはまっていない孫悟空みたいだった。最低限の社会のルールを守りながら無駄なことばかりをやっていた。エロ小説をタイピングし、ラジオ投稿に命をかけ、ヤングジャンプの下のところの一行ネタにハガキを送り掲載され喜び、嫌いな奴をネタに漫画を描き回りの人間と回し読みをし、業界の募集した作詞部門の応募に作詞・作曲でCDを作り、送り、あげく入選しクオカードもらい、横暴を働いていた上司をシュレッダー係にし、仕事中に動きながら武術の型と使い方の練習をし、もちろん人に嫌われることなど屁のつっぱりだった。そんな私は抜群に男にモテた、そして女にはモテなかった。あと喫茶店に置いてあるゴリラーマンが好きだった。
 それが今の仕事に全てつながっていた。資料の作成の速さはエロ小説で鍛えたブラインドタッチ。ネタ漫画を描いて鍛えた腕でメモに絵を描き上司、部下との非常に役にたつコミュニケーションツールに、武術の型は疲れず倍動ける仕事方法に、嫌われる勇気は形を変え周りへの人間関係のバランス調整の意見の提案へと変わった。いつしか私には敵がいなくなり無敵となった。頼られそれに少しでもこたえられる人間になった。しかし、私はこう思った。
あの頃は楽しかったぁなぁ~なんで今は中村天風著とかの本を読んで写経しているのに楽しくないんだろう。
それは「意味のあることだから」だったのです!!

無駄が必要と気づいた瞬間


 なんか全てが楽しめなくなってしまったなぁ。なんでだろう。とずぅ~っと考えていた時にぱちんときたのは「これ全てに意味のあることだと思ってやっているからだわ、本当に考えれば別にそんなに意味ねえわ」って思ったのです。私は社会や家庭の役割として全てをうまくこなすうちに意味のあることに意味を見出せなくなってしまったのですな。
それから夕食を食べてすぐにドライブに出かけドンキ行って吸ったことないCBDベイプを買い、夕食食べたのにマック行ってハンバーガーを食べ、車の中で安全地帯の熱視線を歌いながら「俺に足らないのは無駄だー!!無駄をするぞお!」と決意したのであります。するとどうでしょう心にかかったもやが少しずつ晴れてあの斉天大聖が「おっす!久しぶり」と戻ってきたではありませんか。次の日の心はちょっと胃がもたれていましたが晴れやかで朝も順調におき「さあて、今日はどんな無駄なことをしてやろうか」とわくわくして一日を始めることができました。無駄なことをやりましょう。ちなみにゴリラーマン40(単行本)を読みましたが、中学校時代を思い出し目頭が熱くなりました。一緒に生きてきたんだなあと思いました。そうだ!リベラ吸ってみようと思います。


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