推しと通話した話
コロナが世界的に流行してZOOMやリモートワークなど、副産物的に生まれた新しい文化が様々にあると思う。そんな中、K‐POPに触れるようになって知った文化のうちの一つに「ヨントン」というものがある。
ヨントンとは韓国語でヨンサントンファ、つまり映像通話を意味する単語を省略した用語なのだが、なんと自分の推しているアーティストとビデオ通話ができてしまうイベントである。
推しと………通話………?
本当に小さな規模のアーティストとなら何度か直接話しをしたり出来た事もあったが、それでも機会を伺ってようやくといった具合だったので、しっかり時間を確保した上でやり取りが出来るのだからすごい文化だ。
さて、K-POPを知るきっかけを与えてくれたATEEZというグループは、私が知った時点でもう既に大きなグループで、そもコンサートのチケットは取れるのだろうか?という感覚がデフォルトだったので、意外とリリースイベントに参加できたり、意外とコンサートのチケットを用意してもらえたり、意外と日本に頻繁に来てくれたりと至れり尽くせりだったので、愈々感覚も麻痺して望む叶えたい夢も大きくなっていた。
その何個かある夢の一つがヨントンだ。
しかしながら、推しに伝えたい想いがあり切実だった訳ではなく、単に面白そう、という好奇心先行で申し込んだら当たってしまったといった具合である。イベント開催まで数ヶ月は猶予はあったが、ほぼ毎日「ヨントンで何をするか」というセルフディスカッションが脳内で開催される事となった。
ところで、ヨントンはビデオ通話なので、勿論言語のやり取りが主になる訳なのだが、私はK-POPを知って一年に満たない状態、韓国語の聞き取りも話す事もできない状態であった。猪突猛進に応募してしまい過ぎである感は否めない。
一つ救いがあったのが、私がヨントンする相手はグループ内で割と日本語が達者だという事である。
それならばなんとかなるかもしれないと見えた希望に胸を撫で下ろしたが、だからといって相手の日本語能力に頼り切るのも危険であるのは自明である。考えなしに全体重を預けて崩落する事は避けたい。
そもそも二度と無いかもしれない貴重な機会を折角手にしたのだから、できる限り悔いの残らないようヨントンに挑みたい。
ネットでヨントンのレポや心構えなどを探し、メッセージボードに想いを認める事に決めたのは、開催一週間前である。
さて、伝えたい言葉をボードに託す作戦に舵を切り、取り敢えず浮かんだ先から書き出したところ、A4用紙6枚がたやすく埋まってしまった。
因みにヨントンの持ち時間は45秒である。
………
伝えたい想いは溢れるばかりだが読み切ってもらえないのでは本末転倒である。
推敲に推敲を重ねなんとかA4用紙1枚にまとめた。
尚、ヨントン当日はフルで出勤し、退社2時間後に最寄りのホテルでヨントンというスケジュールだ。差し迫ったタイムテーブルになってしまったが、自宅は家の人にヨントンをしている私の姿を見られでしまう室内構造なので、それはなんとしても避けたかった事が大きな要因であった。
その日は一日「私は今日推しとお話しするのだ」という尊大な自尊心に満ち溢れていたので、顧客の不遜な態度に一々腹を立てたり心を痛めたりすることもなかった。毎日ヨントンであれ。
そんな具合で気も漫ろに仕事を終え、退社後、身形を整え普段より濃い目にメイクをし、なんとか余裕を持って準備を整えヨントン会場(自分で取ったホテル)に向かった。
普通のビジネスホテルでも良かったが、気分が上がるよう内装が可愛らしいホテルを選んだ。お陰で高揚した気分でチェックインを済ます事ができたし、こじんまりとした部屋だが待機準備をする間も僅かな非日常感を味わうことができて良かった。
一通り部屋を物色した後、ヨントンの準備に取り掛かる。
スマホをスタンドにセットし画角を入念にチェックする。できれば少しでも見栄えが良く映りたかったのは推しに可愛いと思われたいという想いよりも、見た目が良くない自分の姿が映し出された時に相手にショックを与えないようにといった配慮からである。
受付時刻になると、まずスタッフの方がビデオ通話状態のスマホ越しに本人確認をしてくれ、その後は自分の順番が来るまで画面から自分がアウトしないように待機するよう指示を受けた。ここで画面外に出てしまうと再本人確認が必要になる場合もあるらしく、緊張から指先が冷えた。
スタッフの方に「いってらっしゃい~」と明るく声を掛けてもらったので少しだけ緊張が解れたが、そこから20分程見たくもない自分の顔を見ながらの待機だったので結局緊張はじわじわと復活し、カウントダウンが残り僅かな頃にはもう胃がひっくり返りそうな状態でヨントン本番を迎える事となった。
画面の向こうに推しが現れ、まず名前を確認しながら呼んでくれた。
最初は名前を確認しながら疑問符をつけた呼び捨てで。
これが…これが本当にちょっと破壊力がすごくて…小首を傾げながら確認してくれる挙動の可愛さたるや…もうこれで胸中我が生涯に一片の悔い無し握り拳天突き上げポーズだったのだが、さらっとちゃん付けでも呼んで貰えて普通に心臓が潰れおしまいになる。
続く「可愛いですよね?」という言葉がサラッと出てきた事に対してこれが人誑しと言われる所以か…と甘い言葉を噛み締めつつ、自身の見た目の悪さに対する確固たる信念があるので即座に否定する。本当に可愛い人は道すがら容姿を貶されたりしないのだ。
大丈夫、こんなオタクに気を使わせてしまって申し訳ないな、すまんすまん。と思っていたら「そんなことないよ!可愛い可愛い!」と向こうから強めの圧でまたそんな事を言ってもらい必死に否定するという悲しい応酬をする事に。推しが嘘をつくような人間だと思いたくない気持ちと自身の見た目が到底褒められたものではない事実が拮抗してジレンマを生み出す。
しかしながら、じ、時間、時間無いがな…!となったのでボードを取り出し、読んでくれ…!と突き出す。突如現れたハングルまみれのボードを暫し注視しする推し。
生まれてきてくれてありがとう、アイドルになってくれてありがとう、あなたのお陰で幸せに生きる事ができますといった少々重めなメッセージを真剣な眼差しで読んでくれ、読み終えると恐縮した様子で「そんな、心の温かいファンがいてくれるお陰です」と言葉を詰まらせながら伝えてくれた。もっとライトなりアクションが返ってくる事を予想していたので、あまりに謙虚な反応に感化され暫ししんみりとしたムードになる。
あなたが弛まぬ努力と研鑽を積んでパフォーマンスを高め、いつだってファンに真摯に向かい合ってくれるからみんな応援したいという気持ちになるんだよ、と伝えるに足る韓国語能力を持ち合わせていない事が悔やまれた。
残り5秒のカウントダウンに現実へ引き戻され、推しの怒濤の愛嬌連発と愛してるよ~のお言葉をいただいて通話終了となった。
無音になった部屋はクーラーの排気音だけが響き、さっきまで推しが映っていたスマホはいつものロック画面に戻ってしまい現実感がまるでない。それでも脳内で過ぎ去った永遠のような45秒を反芻してできるだけ記憶に留めようと努めた。しかしながら、暫く様々な感情が胸中に去来して、それを処理しきれないままベッドに突っ伏してしまった。
45秒、人間の平均寿命から考えるとほんの一瞬間だが、自分はこの45秒を恐らく一生心に刻んで生きていくのだろうな、と思うくらい貴重で得難い経験になった。こうやって自分の人生の中で眩しく輝く宝物のようなものをいつも彼らは、本当に沢山与えてくれる。感謝してもしきれなくて歯痒さが募る。
前述の通り、過去通りすがりに容姿を貶された経験があって、一時期、知らない人と顔を合わせる事に対する恐怖心があった。推しから見た目を肯定してもらえた事は(お世辞にしても)私の心を救ってくれたし、心の支えをもらった気がした。
音楽以外にも様々なかけがえの無いものを与えてくれる、恐らく私にとって最初で最後になるであろうアイドルを、これからも応援していきたい所存をより一層強めたヨントンとなった。