見出し画像

続・欠陥人間

何かが足りない。
何かが欠けている。

胸にとにかくぽっかり穴が空いているような気がしている。

まぁ、人生いろいろあったが就職もしてそれなりにやっている。
だけども、普通の人間がやっている人間としての営みが全然できていない気がする。

それが映画館に映画を見に行くことだったり、どこか旅行に行くことだったり、昼下がりに喫茶店に行ってタバコを吹かすことだったり、愛する人と営みをすることだったり。

そういうのをすっ飛ばして俺は家で楽器を弄るか、酒を飲むか、時々散歩に行くかしか行動を起こしていない。

そんな平穏も悪くはない。
悪くはないのだが、何かが足りない。
この空虚さの正体を誰か教えて欲しい。
そんなことを考えながら電子タバコのスイッチを入れてボーッとする。

ふと、周りを見渡すと皆は当たり前のように家族と仲がいい。当たり前のように信頼できるパートナーがいる。
当たり前と呼ぶには失礼か。その人たちが積み上げて来たものだから。

彼ら、彼女らは頑張った。
俺だけが頑張れなかった。

そうであるならこの空虚さも説明がつくだろう。きっとこれは今まで人間としての営みを蔑ろにしてきたツケなのだ。

そうやってまた自罰的になり、安心を買って自分を慰めている。
人間は楽な方を選ぶのだ。
自己否定が楽なことを俺は知っている。

欠陥人間万歳だ。
適当に酒飲んで、適当にセックスして、適当に物事を終わらせて。
破滅的に生きようじゃないか。

あとどれだけ心理学書を。哲学の本を読めば俺は普通に近づける?誰かから愛情をもらえる?
そんなことばかり考えてしまう。

夕方のテレビを見る。戦争や殺人や虐待、詐欺のニュースが流れていて、おおよそ無機質なトーンでニュースキャスターは記事を読み上げる。
心が痛んでしまう。
やがて、まだこんな俺にもまともな感性が残っていたのか。と安心したりする。

誰か大切な人がいたとして、「大丈夫」と言われ手を握りしめて貰えば俺は馬車馬の如く働ける。幾らでも身を削れる。
誰か大切な人がいたとして、「一緒に死のう?」と言われたら嬉々として要望に応えることだろう。

そんな、どうしようもなく病んでいて自信がない人間を誰が愛するというのだ。
自分でもよくわかってるじゃないか。
もう俺はきっと引き返せないところまで来てるのかも知れない。

だがそれでも俺に期待してくれている人達がいる。なら、生きねば。いつか心臓が止まるその時まで。

所詮生まれてきて成功なのか失敗なのか、死ぬ時にならないとわからん。

最後に笑えれば俺の勝ち、そうでなければ俺の負けだ。

そう、俺こそが欠陥人間。
欠陥だらけのまま、走っていく。
それこそが美徳であり、アイデンティティなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?