創作の原動力ってなんだろなぁ
こんにちは、フジミです
創作の原動力ってなんだろうっつーところを今回はメモがてら書いていく。
僕はやっぱり己のドロドロみたいなのをアウトプットしたくある。それが今悩んでる人、同じ境遇の人に刺さって、何か救いになってくれれば本懐は達成できているわけだ。
そのどろどろの中身ってなんだろう。
どうしようもなく耐えられない現実の不条理さだと考える。
ここで不幸自慢をすこし。
読みたくない人は飛ばしてね。
彼女に浮気された時、それまでにかけられた言葉を信じて疑わなかったし、その人と世界一幸せになりたかった。心臓だって捧げるつもりだったが他の男に抱かれたわけである。
どんな顔してたのかな。何をされたのかな。
どんな声を出してたのだろう。胸にほくろあるのも見られてんだよなー。
と。書いてて吐きそうだが。
問いただしたら向こうで結託してロッカーにいたずらされてた。
生ゴミはぶちまけられているし、蝋燭は建てられている。
あの時廊下の先でコソコソ話していた姿、いまだにフラッシュバックしてしまう。
最悪な気持ちのままその日は早退して一日中トイレで吐いていたのを思い出す。
その時の気持ちとか。
親父がパチンコに生活費注ぎ込んで母と大喧嘩、育児ノイローゼ気味の母は俺に当たる。
包丁がとんできた、あんたを殺して私も死ぬと言われた。上手くやらないと生き残れないと思った。彼女にとっての正解を探る日々が始まった。腹って蹴られると息ができなくて痛いんだぜ。熱湯はかけられると熱いしな。
あの頃の両親に抱いた気持ちとか。
冷笑文化というのか、必死でやってる人を笑う風潮とか。
電子の海での啀み合いとか。
戦争とか、政治的イデオロギーの対立とか、気に食わない感性とかそんなものとか。
愛に飢えた醜い化け物の行き着く先はとにかくアウトプットをするしかなかったのかもしれない。
代替を探すように好きでもない人と寝て、好きでもない人に愛の言葉囁いて。
そんでそんなもん全部自分が悪いのは知っていて。
そんなタチの悪さを書くしかないのだ。
できるだけ俺は綺麗な言葉を使って届いてくれればと歌を書いているが、内面には人間的な汚さも内包していることだと思う。
ただ、不思議と自分の人生無かったことにしたいとはならないし、俺は俺でこの感性を大切にしたい。
敗者復活戦がやりたい。負け犬のまま進んでいく、さぁ。いよいよ首の皮一枚になって惨めに死んでいく。それでよい。
野良猫だって誰からも見向きもされず死んでいく。俺はそれでいい。
人並みの愛情を手に入れようとしても手に入らないのだから。
絶対に幸せになれない悲しき生き物かな。
でも満たされてたら多分音楽なんてやってない。
そんなどうしようもなさも俺を構成する要素の一つである。
救いようのないエピソードも、俺の頭の悪さも、醜悪さも。あらゆるネガティヴな要素は俺を俺たらしめるものである。
だから子供からやり直したいとかは思わない。
もっともらしく自己弁護に走っているが、結局俺は破綻してるクズ野郎である。
だが、何かクリエイティブな活動をするのは贖罪的な行為だったり、社会の役に立つ活動の一環なのかも。
この方法でしか俺は誰かに影響を与えれないから。
最近、ちらほら曲を褒めてくれる人がいる。
やっててよかったなぁ。と同時にまだまだ満足しちゃいけんよなと思ってます。
できることからやってくしかないもんな。
そんな感じです。
またねー。
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