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世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

宮沢賢治の言葉だ。

この言葉を今日ほど強く思った日はこれまでになかった。

いつもだったら、大好きな息子が、眉間に皺を寄せて、目を細めて、顔じゅうくしゃくしゃにして、もうそれはそれは楽しくってたまらないっていう顔をして笑うとき、私は心から幸福を感じる。

息子よ、生まれてきてくれてありがとう。

私も生まれてきて良かった。

そう心から思う。

でも、ロシアがウクライナに侵攻をはじめてからというもの、息子の満面の笑みを見ると、幸福を感じるのと同時に、ウクライナにだって、息子と同じ年頃の子どもたちがいるだろうに、その子たちは、今、どうしているのだろうか、と、頭をよぎる。
そうすると、悲しみや怒りといった感情も湧き起こってきて、いつもなら私を心から幸福にしてくれる息子の笑顔ですら、手放しでその幸福を享受することができなくなるのだ。

宮沢賢治が言っていた言葉の意味が、ようやくちゃんと理解できた瞬間だった。

* * * * *

両親ともに高齢、かつ、ひとりっ子だった私は、物心がついた頃から、両親がいなくなってしまうことへの恐怖心が人一倍強かったように思う。

私は、物心がついた頃から、夜寝る前には、「パパとママが死にませんように。」とお願いをしていた。

そんなある日、私は、「パパとママだけじゃなくて、じいちゃんとばあちゃんも死んじゃだめだな」と思い、「パパとママとじいちゃんとばあちゃんが死にませんように。」とお願いをするようになった。

そして、しばらくして、私は、「いとこも死んじゃだめだな」と思い、「パパとママとじいちゃんとばあちゃんといとこが死にませんように。」とお願いをするようになった。
それからというもの、おじさんも、おばさんも、と自分の周りの人たちを次から次へと付け足していった。

ついに、私は「世界中の誰も死にませんように。」とお願いをするようになった。

大きくなるにつれて、いつの日からか寝る前にお願いをしなくなっていたけれど、小学6年生で中学受験をしたときから、その年に亡くなった祖母に、寝る前にお願いをするようになった。

でも、小学6年生の頃のお願いは、家族が健康でいられますように、志望校に合格できますように、ともっぱら自分と家族のことについてだけのお願いだった。

それから、私は、今でも、亡くなった祖父母たちに、「今日も1日家族が元気に過ごせてありがとうございます。明日も家族が元気に過ごせますように。」とお礼とお願いをしている。

* * * * *

私は昨日不安で眠れなかった。

最初は自分の健康を心配して眠れなかった。
私は病気をしてからというもの、体のちょっとした不調でも、また何か大病ではないか?と不安になる癖がついてしまった。
特に、息子を出産してからというもの、息子と一緒に生きていきたい、と、その思いが強くなればなるほど、病気になるのでは、という不安も強くなるのだ。

そうやって眠れないでいると、寝室の上の部屋で物音がして、今度は、誰か入って来ていたら?と不安になって眠れなくなった。
というのも、夫は、職業柄、恨まれやすく(大半が逆恨みなのだけど)、先日、夫が人伝に「今の仕事をできなくしてやる。男を行かせる。」と脅され、その日から、物音がすると、咄嗟に「誰か入ってきた?」と不安になるようになった。

そのとき、私は、ウクライナの人たちは、もっともっと眠れない夜を過ごしているのではないだろうか、と思った。

私の家の前に侵攻してきた国の兵士が銃を持って立っている様子が、頭に浮かんだ。

ついさっきまで、穏やかな日常を送っていたであろう人たちが、悪いことなんて何もしていないのに、恐怖で眠れない日々を過ごす羽目になる。

まさに、今、私が、漠然とした不安で眠れなくなっているときに、同じ地球上で、現実化した不安で眠れなくなっている人たちがいる。

私は、彼らのために何ができるのだろうか。

いくら考えても、私なんかには何にもできなくて、ただただ、自分の無力さを痛感する。

そのとき、私は、小さい頃に、世界のために祈っていたことを思い出した。

もうずいぶん長いこと自分と家族のことしか祈っていなかったけれど、世界のために祈ることはできる。

祈ることが直接的な解決法にならないことくらい分かっているけれど、自分や家族以外のために祈ることは、他者を思いやることにつながって、そういう小さな小さな思いやりが積み重なれば、大きな思いやりになっていくのではないか、もしかしたら、平和というものは、そうした小さな小さな積み重ねからできているものなのかもしれない、ということに思い至って、私は、ようやく眠りにつくことができた。

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