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息子が1歳になった

昨年3月に生まれた息子が、あれよあれよと言う間に一切の誕生日を迎えた。出産直後はかみさんも私も若干育児ノイローゼになりつつ、ときには喧嘩をしつつ、ときには鬱になりつつ何とかここまでやってきたという感じである。
我ながら面白いくらい自分が変わったというか、息子の誕生前と今とで、育児に対する向き合い方が全く変わっていることに驚く。
生まれてくるまではただただ不安しかなく。自分が本当に子供を迎えて良いのかとか、うまく家事育児に参加できるかとか、何より子供を愛せるだろうか、なんて言う気持ちばかり募っていた。うんちおむつも積極的に交換できるかなぁ、とかとか、具体的かつ些細なことも不安だった。
それこそ、妻が妊娠する前は、子供を迎えることには消極的だった。いてもいいけど無理に作らなくてもいいんじゃないかなぁ、といった感じで。子供ができたら自分のやりたいこともできなくなるだろうし、何より自分が子供みたいなのに育児なんてできたもんじゃないだろう、と思っていたのがその理由だった。妻は不妊治療をしてでもできれば授かりたいと言う思いだったのでいろいろ覚悟していたようだが、ありがたいことにその辺りは自然に息子がやってきてくれた。とにかく成り行きで子供ができた、位の受け止め方しかしていなかった。

それがどうだろう。今となっては息子が可愛くて仕方ない。息子がいない生活なんて考えられない。
毎日こちらを向いてにこーっと笑う息子がとにかくいとおしい。毎晩の絵本タイムが楽しい。うんちおむつの交換など全く楽勝であった。とにかく何でも楽しめば良いのである。

最近息子が少しだけ単語をしゃべるようになってきた。今しゃべっているのは、「パパ」と、「これ」と、「だっ」である。「だっ」というのは、我が家にあるラバーダックのことである。私とカミさんがラバーダックのことをダックダックと呼ぶので、部分的に覚えたのであろう。不完全に言葉を覚えているところも可愛い。
仕事中息抜きでリビングに行き、息子と少し戯れてから再び出ようとする時、大きな声で「パパー」と呼びかけられると、ついつい足を止めてしまう。また出ようとすると呼びかけられ、出ようとすると呼びかけられ……。正直リビングから出たくない気持ちがどんどん強くなる。仕事なんかやめてすぐにでも息子と遊びたい気持ちになる。

1歳になる少し前から、息子はつかまり立ちをするようになった。しかしながら、そこから歩き始めるまでにまだ少し時間がかかっている。親御さんによっては不安で仕方ないこともあるだろうが、我が家は至って平穏である。まぁ歩きたくなったら歩くだろうとか、はいはいの方が体感が強くなるらしいしまぁいいだろう、とか言いながら、むしろはいはいしかできない今を楽しんでいる。
そもそも1年前までは、寝返りすら打てなかった我が子である。父としては、歩きをしてるだけで感動するばかりだ。これから遠くない未来に歩き始めると思うと、想像だけでドキドキしてしまう。まさか自分が、我が子の成長を見てここまで喜ぶとは夢にも思わなかった。
子供って本当に見ているだけで飽きない。一生子供と寄り添って生きていけそうな気持ちにすらなってくる。

とは言え、誰も彼もが子供を迎えたほうがいいと思うわけでもなく。虐待や無理心中のニュース、戦争で子供たちが被害に合うニュースを見るたび、息子が生まれる前の何十倍も暗澹たる気持ちに襲われるようになってきた。本当に、メンタルやられそうになる位落ち込む。
せっかく生まれた子供たちが辛い目に会うのは、本当にきつい。
とにかく子供は幸せに迎え入れられる人のところにだけやってきて欲しい。

息子が生まれてから、不仲になっていた家族とも関係が改善した。カミさんとも子供のあれこれで日々笑って過ごせるようになってきた。辛い時期はあったけれど、それでもかわいい我が子がいたからこの1年やって来れたんだなぁと言う気持ちが強い。明日も起きたら息子君はこちらを見てニコーッと笑うのだろう。それが楽しみで仕方ない。
できれば息子だけではなく、1人でも多くの子供たちが安全無事に、幸せに過ごせるといいなぁ、なんてことを、ぐっすり眠る息子の寝顔を見ながら思う夜であった。

よろしくお願いします!