次世代への遺言

自分都合で敢えて無職になってみたことがある。
 
「徹底的に弱者に近づいてみなければ」
「どうか自分を無意識な人間に変えないで」
と、少年期からずっと望んでいたこと。
   
  
そこから何度も自力で這い上がって
元の生活を取り戻してはきたけれど
それは決して誰しもができることではない。

「責任が」とか
「世間体が」とか
そういった類の意味ではなく。

底辺から切実に
どんなにより良い生活や
どんなにより良い待遇を望んでも
立場によっては限りなく障壁が高い。
その意味に於いて
決して誰しもが這い上がれる訳ではない。
 
   
早朝から夜まで日雇いに出たり
深夜から朝までバイトをしたり
未経験の業界に底辺から従事したり。
 
 
自分自身のその体感以上に
時間や境遇を共にさせて頂いた方々の
生き様こそそう教えてくださった。
   
  
その経験で深く理解でき
自分ごとと思えることが限りなくある。

陽の当たらないところにも
意識を集中させることができる。
  
 
この社会で
最低限以上の生活ができる方々と
最低限未満の生活しかできない方々と
一体、何が分けてしまっているのか? 

この国が
実現できたように見せかけて
何も成し得ていないものは何か?
 
真なるものは?
まやかしのようなものは?
 
救うべきはどなたか?
救うことができるのはどなたか?
  
    
そうした原因の本質を理解したり
その改善を講じたりすることは
その視点や実体験がなければ
絶対に成し得ない筈だ
と、胸を張って言える。
 
 
他人事でしかない人間が
上から目線でどうにかできるものでは
決してないからこそ
「声なき声」になってしまっているので。


長尾金十郎_遺言 rmx


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