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Destiny of "Christmas Eve"

Winter Moonlight (Christmas Eve)
George Inness 1866

印象派の登場は
美術の世界を大きく変えてしまった

同時期にシンクロしていた
音楽の世界と異なったのは
「精緻な描写だけでなく
 心象こそを表現に」
という同じ試みから
始まったことながら・・・

美術の世界の其れは
やがてファッションとなり
バブルを生み出し
真心でなく下心が支配していった

ちょうど
現代の様相に似ており

そもそも肝要な
観察力や描写力や想像力なくとも
それっぽい線を真似れば
誤魔化せてしまう
誤魔化さられてしまう

つまり
「創」= Creation
ではなく
「造」= Making

二番煎じどころか
万番煎じが横行する時代

発信の中心は
一次情報溢れた自然のなかから
机上の空論のみな都会のアトリエへ

100年以上前
そんな堕落しゆく
世界を尻目に
「絵描きなるもの
 受信のちの発信を」
とフランスの片田舎に住まい
本来の絵画の可能性を再構築する
ミレーやコローやルソーらの
「7人の侍」的画家たちが現れた

古くから八百万の神感じ
浮世絵生んだ日本の画家たちの
こころの琴線にも触れたようで
当時の巨匠たちも現地に至ったり

そのバルビゾン派の流れは
華やかな印象派や
その後に続く本流をかいくぐり
アメリカ出身のある画家をも

新大陸でも
ハドソン・リバー派と揶揄され
時代遅れの画家たちと見下されながら
永遠なる名作を生み出す気概が存在した

それら「再写実主義」と云うべき
表現者本来の矜持に沿いつつも
かの思想家スウェーデンボリに影響され
人間の脳内のイメージに確実に存在する
精神世界であったり感情の流れすら
その完璧な技法をもってして
写実のなかに共存させ得た
稀代の表現者となった

彼をして
「アメリカ風景画の父」
と称する向きもあるが
その域を遥かに超えた
唯一無二の表現者だと自分は想う

この
「冬の月明かり〜クリスマス・イブ」
と出会ったのは
自分が本格的に表現の学び舎に入って
最初の宿泊研修での視察のときだった

東京都美術館での
「ニューヨークを生きたアーティストたち」展

館内入ってすぐに対峙したまま
自分は遂に運命と出会えたと硬直し
結局許された時間の大半を
この絵の前で過ごした

当時
作品名も
その意図も
画家の名すら
無知だったのに

ボストンから
たまたまやって来た作品の
隅々まで記憶とこころに遺さんと
あらゆる考察を重ねながら受信した

やがて
自分にとっての座右のメロディ
ドビュッシーの「月の光」が
脳内を駆け巡り同期していった

この絵との
この表現との
この革命家との
出会いこそが
自分の学生生活の全て

すぐにそう予感できた故
出口で図録を購入し
この絵のページを永らく掲示し
今も自分の作業場に

暫く経って
時代背景や彼の生き様も知り
この作品に込められた精神を理解した

この孤独なる人は
彼自身であり
自分自身でもあり

未来覆い尽くす闇と雲の隙間から
天からなのか先人たちからなのか
その歩むべき道へ導くかのような
月の光を浴びながら確信に至る姿

彼はその表現の世界の未来を想い
自分は不遇な次世代の未来を想い

#次世代への遺産
#次世代への遺言


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