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一口エッセイ:足るを知る

 体調が悪かったので比較的のんびりしていたら、思いの外それが幸福な時間となりました。友達がくだらない連絡がきて、どうでもよすぎて笑い、ふと思い立って探偵ナイトスクープを延々と流していた。それ以外にちょっとだけお仕事を進めた。ある漫画の単行本へゲスト原稿依頼があったためネームを描いた。そのネームが作者本人から褒められたので嬉しくなった。総じて些細なことの連続でしかないが、だからこそ気を張らずに充実した時間を過ごせたのです。
 「足るを知る」。まあ、無いものを欲しがって苦しむより、今の自分にあるものをありがたく感じようという古い中国の思想ですね。何でもかんでも「足るを知る」で片付けたくない、むしろ向上心というか、現代では衣食住が「足りている」からこその煩悩と向き合うべきなので、考え方が根本的に違うと考えておりますが、それでもたまには現状で「足りている」ものだけでのんびり生活するのも良いことだ。
 恵まれている。なんだかんだあって、ゲーム発売後の荒波を越えて人間関係も厳選された。いま僕に話しかけてくれる人は、昔からの友人か新しく何かを作るために集まった熱い仲間のどちらかなので、比較的気が許せている。一昔前は、誰も彼もが興味本位だったり、明らかに知名度やお金目当てだったりもあったのですが、単純に連絡先を絞り、そもそも僕へ仕事の連絡ができる時点である程度関係ができている状態となったため、たいへん楽になった。本気で僕に相談がある場合は、どうにか連絡先を探るだろうし、それも見当つかないのであればそんなものだからどうせ関係ない。最初から、これくらい緩くやっていくべきだった。
 気の合う友人は勝手に連絡してくるので、タイムラインも必要なくなった。これもかなり気が楽だ。どうせ張り付いても友人たちはあまり呟かないし、ならば寝転んで代わりに探偵ナイトスクープでも観ていたらいい。探偵ナイトスクープは素晴らしい。これ以上、刺激的でもつまらなくてもいけない。5分に一度くらい軽く噴き出してしまう程度の、そんな程良い笑いが深夜の自室に染み渡る。ネットの情報は逆に刺激的だし速すぎる。探偵ナイトスクープには、「セミのモノマネが上手いだけの人」が依頼を送り、自身のモノマネを全国に聞いてもらいたいというだけの映像が流れる。3分くらいの映像。たしかに驚くほどセミの鳴き声が上手い。ちょっとだけ笑うと、もう別の人の話題になっている。こんなものだ。こういうことがいいのだ。この刺激が、これくらいの面白さがちょうど「足りている」。
 なんだか申し訳ないくらい穏やかに過ごしてしまった。ここまで穏やかだと何故かネットの人に申し訳なくなる。これも僕の悪い癖だと思う。幸せだと自分が恥ずかしくなる。でも、もういいよな。もう関係ないのだ。他者からの評価も。親しい人間以外との接点も。このまま探偵ナイトスクープをのんびり過ごし、ほどほどに原稿を書く人になる。今はそれで足りている。まあ人間貪欲ですから、そんな刺激に飽きてきたら、また何か新しいことでも始めたらいいのだな。
 なるようになるでしょう。思ったより幸せな自分を受け入れられ始めてきた。それだけでもだいぶ成長だ。身の丈に合った幸福を知っている。

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