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術後5日目 退院前夜と声

 術後5日目。
 明日の朝、ついに鼻の管を抜く。手術当日から考えると約1週間も片鼻から喉まで管がぶっささり顔面を圧迫していたのだ。しかも血がダラダラと噴き出し続ける。鼻奥に刺さる管は耳と目のスペースすら押し出し、充血と中耳炎をももたらせた。その弊害か5日目になってなお38℃以上の高熱にうなされました。ヘルプ!
 とはいえ、これももう朝までの辛抱。これ以上は家に居たって変わらないのだから、管さえ抜いて鼻奥の詰め物も外せば、あとは自宅で療養となる。退院直後から仕事は溢れているものの、まあやっていくしかない。
 喉の腫れに関しては殆ど引いたものの、単純に管が刺さって上手く声が出せない。ただ発音時の出血は治ったので、もしかしたら管さえ外れたら流暢に会話できる可能性が無きにしも非ず。1週間もまともな会話をしてなかったから、そもそも声が出るか不安だぜ。
 そう、声です。聲(こえ)。
 嗅覚を手に入れるかどうかもありますが、声の変化も重要。そりゃまあ謂わば鼻の内部を作り変えたようなものなのだから、当然声だって大きく変わっているはずだ。今まで手術痕が腫れていたうえに管が刺さって喋れなかったけれど。それでも少しずつ喋っている感覚からして、明らかに声が高くなっている。そしてこれまた当たり前ですが鼻声でなくなります。すぐ塞がるから一時の夢かもしれませんが。
 声変わり以外で、人生の途中で大きく声が変化することなんてそうそう無い。急な僕の声優変更で荒れるかもしれぬ。それは冗談としても、通話などで打ち合わせする際に、相手が僕だと一致できるのだろうか。そもそも自分は自分の声の変化にいつ慣れるのか。
 そりゃ詰まっているどころか骨格レベルで塞がっていたのだから、今までの僕は鼻声の体現者であった。子供の頃は当然弄られることも多く、ネットでも言及されたことも少なくない。主観では鼻声しか出せないのだから実は違いがわかっていない。僕は他人に対して「鼻声だな」と認識したことがない。自分がそれしか出せないのだから「健常」と「鼻声」の違いがわからないのです。コンプレックスという領域以前に、自分と他人との差異がわからない。ただ、他人の耳から聴けば僕の声が聴き取りづらいことは分かる。自分でも「恐らく鼻が通ってないせいで言いづらい音」があるのも経験上では分かっている。「な」と「ら」の違いを僕は表現できない。脳内では正しく出力しているつもりでも。
 そんなんなので、不登校寄りの学生生活のなかでも特に『音楽』の授業は即サボっていた。必然的に音痴で足を引っ張ることとなる僕にとって、音楽の授業は地獄でしかない。なので、例え学校へ登校していたとて音楽の授業で教室を移動するタイミングで逃げたりした。幸い、中学からは美術との選択制で、工業高校に至っては音楽自体が無かった。
 もちろん音楽を聴くこと自体は好きだ。しかし、自分が歌ったり関わったりすることはないだろう……カラオケとも無縁。そもそも僕が最も再生しているアーティストは、去年も今年も、だいぶ前から『クラフトワーク』『YMO』『ZUN』、またはその関係者で埋まっている。今年もこの3つが上位であった。ボーカルよりインスト派、というかテクノなだけで、全然ボーカル曲も聴きますけどね。
 そんな自分が拙作のゲームを出すのだから主題歌の作詞をしなければと思い立ち、紆余曲折を経てAiobahnの曲を現在4曲も作詞してきた。そのうち2つは何千万回も再生されることとなる。今や自作と無関係なところでも作詞依頼がくるようになった。これも来年のどこかで発表される。まさか、僕の人生でこんなに音楽の創作と密接に関わるとは思っても居なかった。授業を一切受けていないので、音程とか音階がどうと未だに一ミリも理解していない。僕はただ、贈られてきた素敵なインスタたちに文を添えるのみである。独学どころか自分でも学んですらいない。ノウハウがなく無我夢中であったので、KOTOKOさんの二曲は熱意以外の何者でもない。作詞においてのスキルやテクは何も意識しておらず、どちらかと言えば「詩」を書いた。
 そんなこんでも友人の曲を作詞して多くの方に聴いてもらえた事実から、音楽活動への苦手意識がだいぶ緩和されました。Aiobahnに感謝だね。よくまあ、あんなぶっ飛んだ難解なインストを毎回送ってくるな……とも思っていますが。それが彼の才能そのものです。
 鼻声が解消されたら、ボイトレに通ってあの日逃げてきた分の音楽授業を受けてみるのもいいかもしれません。
 というか、実は一度受けに行った。鼻声のままでもある程度滑舌が良くなるか試したかったのだ。音楽教室の先生は大変やさしく、事情を聞いて基礎の基礎から教えてくれた。「実際どれくらい聴き取りづらいですかね?」と訊くと、なんと先生は「鼻声はあんまり関係なく人の目を見ながら話してないから聴きづらいよ」と指摘してくださった。そう、あまりに発音に自信がない僕はコミュケーション時に目が泳ぐ。会話とも関係なく、ただただ自閉症の顕著な症状として他人と目を合わせない。そのせいで声が地面に沈んでいたのだ! 要するに僕は鼻声である以上に根の暗さでモゴモゴ喋り続けていたのです。
 これには目から鱗。根本的な部分からズレている。あの時は体験授業で帰りましたが、鼻呼吸を会得するであろう明日から再挑戦してみたい。いずれ、他人と目を合わせながら流暢に会話できるようになった自分を想像して……。

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