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一口エッセイ:ともだちをつくろう!

 今日は匿名メッセージに届いていた質問を読みます。


 自閉症スペクトラムの方からです。ざっくり言えば周囲の人と話が合わなくて友達ができないって感じですね。自閉症は天性の性格なので、治る治らないんじゃないですよね。そういう風に生まれたから、薬とか治療とかではない。とはいえ、そんなに気にせず生きて行けるのではと僕は考えております。

 まず、自閉症スペクトラム、ひいては発達障害であることを強く意識する必要は無いと思っている。大なり小なり、誰もが欠点や変なところはある。ADHDと診断されなくとも、遅刻や忘れ物に日々悩まされる人もいる。発達障害でなくとも、すぐに湧き上がってしまう暴力的な衝動に苦しんでいる方もいるでしょう。すべてが「平均」なんて人間としてありえない。みんなどこかのステータスが高くて、どこかが低い。そのステータスの高低のバランスが「自閉症」なる類型に当てハマっただけど考えている。
 僕は、本を読む時間、映画を観る時間、アニメを観る時間が脳内に設定されており、それらを乱されると驚くほどイライラするので、基本は家にいる。決めたことを実行できないと頭が混乱してショートする。自室が清潔で、フィギュアや本が正しい位置で正しい角度で置かれていることをなによりの幸福としている。なので、起きたらまず身体が自動的に掃除を開始。その際、掃除用品などを切らしていたら、今すぐ買いたくなってめちゃくちゃに焦る。
 こういった生活の特性に合わせ、人と目を合わせられない(これは特に医師から指摘された僕の特徴です)、会話が急に飛ぶ。言葉を大袈裟にとらえるので相手と認識の齟齬が起きる。あとは、僕が医師に言われた特徴(自閉症と関係ない問題)としては、僕は「それが社会的に悪いことか」を判断する能力が著しく低い、といった欠点があると診断されております。
 しかし、そこまでひっくるめて僕であり、こうして人格を分析されたら、誰だって得意・不得意は出てくる。それも「その診断時の状態」でしかなく、時と場合でいくらでも変化するので気にしなくてもいい。現実やSNSで発達障害を名乗り、それを意識してしまうことで余計に行動が固まる。誰もがなにか欠点がある。自分だけじゃないので特別に思わない。「相手は健常者で自分は発達障害だ」と意識して喋ると、逆に己が差別意識を抱えているわけでそりゃ齟齬がでる。同じ人間で、同じ教室やSNSへいる時点で本質的に大した差なんてない。そこへ「発達障害だから」と盾にしてしまうと、妙な壁ができて離れてしまうのだ。僕らは障害とは関係なく、まず人間で、会話の相手は「人間」に対しての許容度はかなり高い。
 たとえ相手にどんな障害があったとて、「一緒にいて面白い」と感じたのなら、細かいことなんてまったく気にしない。単純に、「友達を作る」「満足いく会話をする」ってこと自体が非常に難しい。ただでさえ複雑な行為に対して、「自分は自閉症スペクトラムだから気をつけなくては」なんて余計な心配していたら、確実に思考が絡まって動けなくなる。相手は「ちょっと変なやつ」なんて楽しんでくれますよ。仮に、なんでも想像できる範囲のことしか言わない「平均人間」が存在したとて、そんな人間の刺激のない会話よりは、「変なやつが焦りながらも自分へ伝えたいこと」を知りたいに決まっている。
 葛藤からくる探り合いがいけない。それは大人がやること。利害の一致を擦り合わせて茶番をしているだけ。あなたはそんなことしなくていい。
 好きな人、友達になりたい人がいるなら、素直に「あなたのこういうところが好きで話してみたいです」と伝える。真っ当に正面から好意を示された時に、人は警戒心が薄れて単純に喜ぶ。「あなたの⚪︎⚪︎が好きで、応援してます!」と言われて、わさわざ裏を読む人もそれはそれで変だ。
 なので、正面から「あなたのことが好きで興味があるから、お話しませんか?」でいいと思う。自閉症のことは一切忘れてください。どうせ健常であろうとも友達は簡単に作れない。妙な小細工や会話の勉強なんて始めてしまったら、あなたは打算で話を広げる「大人」になる。それは20代後半以降を生きるのに必要なスキルですが、若い頃はもっと純粋に素直な友好関係が築ける。
 ほんとうに相手に興味や好意があって近づくのだから、「仲良くなりたい」と言うだけ。病気なんて意識せずに思ったことを口にできたら、焦ることも減るはず。まあ自分が努力をしまくって他者から好意を持たれる人間になるって茨の道もありますけどね。最悪、その方向も考えてみてください。自分が「仲良くしたい側」と相手に思われたら、関係性にリスペクトが生まれて一気に会話が楽になりますよ。生きるって戦うことだから。

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