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般若心経 写経の日々

 趣味で(そりゃ本業な訳はないが)毎日続けている般若心経の写経が一冊分を越えました。
 毎日260文字、それなりに丁寧に書き写す作業は約30〜40分程度かかる。もちろんただ文字をなぞるだけでは意味がないので、発音と意味を噛み締めながらではありつつ。


 こうして日記を投稿する時は平均1時間。つまり、日記+写経で必ず睡眠時間が1時間半削れている。これに週3のジム通いによるハードな筋肉痛も合わせ、なかなかの体力を消費しております。なんでこんな苦行を? わからない……けれど、僕はジャイロが示した「遠回りこそ最短の道」という考え方を信じているだけです。

 もちろん、字面そのまま「意味がない」わけではありません。かと言って「意味」を追うために写経しているのでもありませんが。正しくは諸行無常、この世界に漂う「無」を愛しいと思えるように続けているが正しい。無に意味はなく、また無や空の仏教的な概念を掴むことには大きな意味がある。言葉だけでは誰でもわかる。三蔵法師が後世のために圧縮してくれた260文字は、その言葉の意味を追うこと自体はさほど難しくはありません。興味がなくとも半月写経している間に「書いてあること」は覚えられるのではないでしょうか。
 ここで仏教的な説法を行っても仕方がない。極めてシンプルに、現代風な自分の解釈を書くべきである。なぜなら僕は現代の無宗教かつ、趣味で宗教文化を追う"サブカル者"ですから、その立場ならではの解を見つけるために260文字と睨み合ってきた。
 本当に、本当にざっくりと書きましょう。
 ずばり、俗世の評価からの独立であり、世の価値観から離れて「個」を強固に持つことです。もう、5000回は聞かされて耳が痛い説教でしょう。そうは言っても、現代はあらゆる数字でステータスを決めつけられ、その増減によって人生が大きく左右されるんだぞと、そう言いたくなるることでしょう。
 まったくその通りです。事実、スマートフォンなる不思議な板を知ってしまった時点で、多くの人々は数字の奴隷です。自分と他人をひたすらに比べ、羨望と嫉妬と優越感と諦念を永久に繰り返します。あなたの幸福は他者との比較によってみるみる薄れていくでしょう。
 それが事実であるなら、煩悩を捨て解脱に至る道が生き方として確立されているのも事実。なら、一秒でも長くインターネットなんて不特定多数の他者と数字を意識せず、隣の芝の青さを忘れて己だけを見つめればいい。具体的にどうする? 少なくとも、般若心経の260文字を誦じながら写経する40分間は万年筆と紙と自分しか存在していません。それが現代で写経を行う最初の原動力として分かりやすくありませんか? 後に、世俗から離れることでなく、仏教思想自体に興味を持ったら、本でも読み始めたらいい。全国どこを散歩しても寺ならすぐに見つかるので、仏像めぐりも趣がある。
 まあ、これは「興味のない人へわかりやすく」書いた場合ですけどね。僕はもう世俗がどうの段階はどちらでもよくて、ただ「空」を見ている。
 こうして写経を続けることで理解できることもあるかもしれない。近道なんてつまらないのだから、2冊3冊と毎晩重ねていくのみである。


 いちど筆ペンで挑戦してみたら細さに耐えきれずボロボロだった。僕の趣味に万年筆集めがあるので、いろんなペン先の書き心地を実感できるのも楽しみではあるか。少しずつ字が上手くなっている……とも思いたい。学校行ってないからね。字が壊滅的なまま大人になったから。
 色即是空 空即是色。少しずつ、少しずつ「空」の心を紐解いていく。

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