そこまでして生きるのか
このところ常に感じている圧迫感について考えていたら、ようやく原因に気づいた。慢性的な胃痛のせいで何をやっても楽しくないのもあるが、そういったストレスを解消、または見ないふりするためにゲームを遊ぶという行為をもう数ヶ月はしていない。
元からオンラインゲームもソシャゲも一切遊ばない。今年はSwitchでレトロゲーを漁って想い出に浸ることはあるものの、あとはSlay the Spireのようなローグライクへ急に数百時間ほど吸い取られるくらいか。それも数ヶ月前の話で(怖くなってアンインストールした)、気づけば軽いストレス発散すらしていない。
本を読むとき、映画を観るときは、つねにそれが自作のアニメ製作へ参考になるかの緊張が走って、どうしても気が休まらない。そのぶん文字列や画面に張り付いているわけで、それはそれで良いことだけれども。そのうえで休みもほぼ無く、実は現実逃避の時間がほとんど自分に与えてやれてなかった。気晴らしにロックマンX2起動して気づいたら朝になってた〜くらいのアレも随分と久しい。
数十時間コントローラーを握り、苦労の末に世界を救う体験は、オタクが得られる感動の中でもかなり大きい。オンライン対戦ゲームのランクが上がっていく快感でもいい。それだけ現実を忘れてもう一人の自分へ没入しているわけだ。それはとても幸せな時間です。今の僕には……。
ぜんぜんゲームをしていない事実に気づき、なんだか「そこまで制限して生きている意味あるのかな……」と胃痛が激しくなる。ここまで時間を創作や打ち合わせに捧げ、楽しいのかな。次々となにかが生まれていく様には心動かされることもあるけれども、上手くいっても失敗してもストレスは溜まるわけで。少しずつ自室で爆発してはお腹を抑えてうずくまる。発散、というより「耐える」のことで乗り越えた後、どうにか各所へ連絡して事を進める。
本は気ままに中断できるし、映画やアニメは1〜2時間の空き時間で固定することができる。が、一度遊ぶと長時間とられてやめ時もわからないゲームを起動するのが怖く、無意識に数ヶ月避けてきた。無意識っていうのがポイントだ。「いまは頑張り時だからしばらくゲームを封印するぞ」といった覚悟があったわけでもない。ただただ億劫に流されていっただけ。
今後も自分が準備してきた作品もまだまだ世に出て、いずれはアニメも放送されるでしょう。それはとても立派なことだと自分を褒めてやりたいが、そこまできてなお精神は圧迫感でどんよりしているでしょうね。お腹も今より痛いかもしれない。
ここまで尽くしているのだから、良いものが出来上がっていく自信はある。代わりに、そこまでして生きて何があるんだっけと、逃避先のない現実を進んだ先に、実は自分に残っているものやノンストレスで過ごした緩い想い出は何一つないんじゃないかと、たまにそれが怖くなる。
「息抜きのために遊ばないと自分が自分じゃなくなる」不安に追われて暮らす生活は惨めなものですね。まあゲームの代わりに、次々と届く予約したフィギュアで遊ぶ時間が唯一現実逃避か。結構僅かだけども。
脚のギミックに一目惚れしたエルガイム。
うう……。
関係ないけど、あまりに二次元にお世話になりすぎて、たまにAVなるものを観て現実の肉感を認識しないと人間じゃなくなる気がするよね。
数ヶ月ゲームを遊んでいない。
それこそ同じ状況なら、むずむずして耐えきれずに死を選ぶ現代っ子も多いのではないだろうか。僕と一緒に創作の果てで解脱しようや。
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