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エッセイ:現実トリップ眠剤抜き

 眠剤がない。
 正しくは、あの忌まわしき健忘が発生するような、起きたらすべてを忘れてインターネットで暴れた形跡だけが残るような、あの強い薬が欲しい。精神科の医者は、それを恐れて弱い薬しか渡さない。それでいい。それでいいのではあるんだが、つらい。
 思うに、ちょっとくらい曖昧な脳味噌で覗くくらいが、この世界はちょうど良いのではないかと思うのです。いやでしょう、シラフで直視する現実って。僕は視力が著しく悪いから、コンタクトレンズを外した世界は、ぼやけて何も視えないのだけれど、ずっとこのままだって良いのかもなって感じる時があります。人の顔って、あまり見たくないじゃないですか。僕は、他人と顔を合わせるのがすごく苦手なんです。だから、0.01以下の視力で見るぼやけた表情なら、もしかすると好きになれるかも知れません。
 でも、ダメだなぁ。そしたら、アニメや漫画も楽しめなくなっちゃうから。人の顔だけモザイクがかかっていると、凄く良いんだけど。

 「キッズ・リターン」を観たんです。若さが溢れていて、それでいて、だからこそ、みんな若さゆえに間違いをして、それが残酷な結果に繋がるけど、でも人は生きていくことが分かる、素敵な映画でした。
 誤った道だと分かっても、それに憧れる時期ってあるでしょう。でも、歳を重ねれば重ねるほど、築き上げた土台が崩れるのを怖がって、動けなくなる。間違えることができなくなる。そうやって、つまらない大人になっていくから、若者に指さされて笑われる。
 僕は、若者にバカにされるのは別に良いなぁ。それは、僕がやってきたことだから。反骨精神って、ロックで素晴らしいことだと思う。規律や権力に従い続けるのは、それはそれで愚かなことで、美とはルールに囚われない場所で生まれる。マリリン・マンソンがライブで聖書を燃やして客席に投げ込むように。
 人間関係とか、健康とか、お金とか、そんなこと言いたくないでしょう。睡眠薬を服用した僕は、けっしてそんなどうでも良いことを言わない。けど、シラフって、素の自分ってそれを意識して生きていくから、若者が必要ない心配と懸念で雁字搦めになるから、ああつまらないなって自分でも思ってしまう。

 さくらちゃんに、「絶対だいじょうぶだよ」って言われる妄想を良くする。イマジナリーさくらちゃんはいつも笑顔で、こんな僕のことを無邪気に励ます。こんな良い子だから、「さくらちゃんも大丈夫だよ」って言ってあげたくなるが、それは本編で知世ちゃんが言ったからこそ価値のあるセリフで、その事実を穢したくないから、僕はずっと黙って眺めている。
 でも、大丈夫じゃなくていいんだな。ちょっと強い薬があって、それで大丈夫じゃなくなりたいんだ。難しいこと全部忘れたいんだよ。そう、忘れたいんだ。大丈夫でなくてもいいから、脱ぎ捨てたいのだな。しがらみを。
 死ぬ間際のアカギが、ヤクザの組長に「お前は積み上げすぎた」と説教をする。「オレは成功したら必ず崩そうとする」と続けて、実際にアカギは老人になっても手ぶらだった。そうであるべきだよな。福本先生は、いつだって正しいことだけ描くから、それが眩しい。

 気まぐれに、コンタクトレンズを外して深夜の街にでたことがあります。
 元から真っ暗な視界が、さらに黒一色に染まり、月明かりだけが頼りの世界で、ゆっくりゆっくりと歩きます。
 これがまぁ、スリリングなんだな。車が通っても一瞬で気づけないし、人間なんてぶつかるまで分からない可能性もある。他人に迷惑をかけるのは流石に無しだと思って、すぐに引き返す。
 本当は、他人に迷惑かけたって、いいよなぁ。自他の境界を曖昧にして、自分も他人も傷つける生き方したって、それも生き方であるわけだ。抜身のナイフのような人生だって、いいんだな。そんなことよりも、自分が美しいと思ったものを曲げない精神のほうを尊ぶべきなのだ。そのためなら、何したって「経験」です。
 「キッズ・リターン」の登場人物たちは、触るものみな傷つける思春期の切れ味のまま、大人の階段を登っていく。表や裏の社会に塗れて、その純粋を削られていく。それでも曲がらない友情や愛情が、美しい。綺麗なんだ。

 これから、どうしようかな。
 どうもしないでいようかな。
 築き上げたものを大切にしたまま、弱い薬で眠れない夜を過ごすのだ。誰も傷つけないように。体裁を守って、正しくいるために。寿命を勘定して。

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