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一口エッセイ:カフカの『変身』と創作者の葛藤


 『100分de名著』にて、カフカの『変身』を取り上げていたので100分間、正座して視聴しました。こんな短編でも100分たっぷり解説されており、いかにこの作品が衝撃的であったかが分かります。
 途中から、話題はカフカの人生についてが中心に。伊集院光が、「もし、カフカが結婚して幸せになれていたら、変身の虫も蛹になった後に羽化して、綺麗な蝶になれたのでしょう」と話すと、指南役の先生が「結婚して満たされてしまったら、恐らくカフカは創作活動をできてないと思います」と語る。人一倍、一般的な生活に憧れていて恋人まで居るのに、どうしても自分が結婚して上手くいく想像のできないカフカの葛藤あってこそ、『変身』などの名作が生まれた筈だと解説される。
 『変身』は、社会生活からの解放が描かれており、ある朝、唐突にグロテスクな虫に変身していたザムザは、そのことによって初めは労働や人間関係からの解放感を覚える。が、次第に家族からも邪魔者扱いされていき、最終的には悲惨な最期を迎えるわけで、人は生きていく限り社会から離れすぎても良くないとも読み取れるのですね。
 人間関係の解放や結婚生活などの一般的な幸福への憧れへの葛藤が創作意欲を生んだのであれば、それが実現された瞬間、カフカは筆を折る可能性も否定できない。しかし、自ら不幸を求めるのは死に至る病である。この塩梅は本当に難しいし、例えば僕は、自身が体験したインターネットでのトラブルや誹謗中傷がなければ、ニディガのディテールを再現できなかったと思う。特に気合い入れたエンディングは、延期発表時に周囲から言われた色んな批判や嘲笑から、インターネットが怖く見えてくる現象を取り入れて追加したのです。外野が安全圏からゴチゴチャ言いやがって! ムカつく相手を漫画内で殺しまくってきた蛭子能収のように、怒りやモヤモヤを創作活動に昇華することは、とても面白い試みであり、正しさすら感じてくる。
 そもそも、僕は社会への反発や馴染まなさ、正当なレールを走れない/興味ない人間の生き方の一つとしての創作活動だと認識しています。この人からイラストを、音楽を取り上げたら何も残らないなと感じている友人は多々おりますし、だからこそ得意なジャンルで活躍する程の人物になれたのだろうと解釈している。
 彼ら彼女らが、創作において成功しても、生来の社会性の無さから一般的な幸せに辿り着くことは難しいかもしれない。しかし、その時はその時でまた創作意欲に還元されるのだから、それはそれで幸福の形であると思う。カフカもまた、『変身』や『城』を後世に残せたのですから、普通の生き方よりも何百倍カッコいい生涯だったと、僕には見えます。



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