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Twitter

 夢の時間は必ず終わる。
 現在のTwitterの仕様では、フォロワー数が多いアカウントは自動的に認証マークがつく。それだけならまだしも、昨日ついに認証マークを非表示にすることができなくなり、超てんちゃんのユーザー名の右隣に青いバッジが刻まれた。
 どうあっても人をインプレッションの奴隷にする。運営として極めて正しいことです。泥舟であったTwitterを少しでも収益化していく方向へ舵をきるのは当然で、そのためにインプレッションを優先に他者の感情を煽り、広告を回させるのは経営としてこうなるだろうと流石に10年以上タイムラインを眺めていたら分かります。
 アルゴリズムも明らかに変わった。企業アカウントなど元より強い方が得をし、野良では注目されやすい過激な意見がガンガン回っていく。この状況では一般人が名をあげるため数字に一喜一憂するのも頷ける。他のプラットフォームもあまり変わりない。人々は数字を気にしながら周囲のご機嫌を取って、「実益」の現実的な面と「好感度」というバーチャルな大衆からの同調圧力に従う。
 隣の芝生は青い。人間は自分以外に得をした者を執拗に攻撃する。たとえそれが真っ当な功績や行動の結果であろうと。
 頭角を表したものはぐんぐん攻撃される。攻撃性のある意見は各SNSがインプレッションのため高速で回転させる。インターネットによって増幅された怒りが広告を回しお金を生む。その怒りは果たして本人が元から持っていたものなの?
 もはやネットに怒らされているのか、インプレの奴隷であることを隠すため怒ったフリを続けるのか、本気で相手が間違っているから正さねばと確信しているのか、鋭い意見で世間を斬る識者を気取りたいのか、本人も分からなくなってしまっているのではないか。そんなに遠くの人間たちを攻撃し嘲笑い、感情が広告ビュー数になり、SNSは対価として数字による承認を与える。
 嫌気がさして、このように毎日日記を綴る代わりに、ツイートに意見を入れなくなって久しい。140文字以内に圧縮し、適度に刺激的なワードを入れるゲームに飽きることができた。日記は読みたいものが勝手に読めばいいし、「僕はこう思っている/考えている」以上のことはない。ツイートは小さな刃物のようなもので、人々は独り言のフリして他人へ責任のない攻撃を繰り返す。正当性なんかともかくとして、もう140文字なんかの縛りで喧嘩し始めた時点でしょうもなく思えることができた。
 けれども、楽しかった。間違いなく楽しかった。
 画像も動画も整備されてない時代、オタクたちは短いテキストに文章を縮め、さまざまなユーモアの方向性を探った。匿名掲示板のスレタイ、レスから離れ、個として文字の可能性を追求した。個を持つ人間同士、意見がぶつかり合うのも当たり前で、今の若者たちからすれば「なんでこんなことを」と呆れられるような議論もやらかしもたくさん経験し、罪として背負っていく。
 本来、テキストのコミュニケーションが適している人間なんて多くない。平均的なイラスト技術の向上、動画アップロード/編集の簡略化により、瞬く間にネットは画像と動画コンテンツがぐんぐん成長。スマホをぽちぽちするツイートと違い、手間が多い分クリエイティブで健全な文化が育まれ、視覚と聴覚を駆使して短く楽しい作品が溢れかえっていく。現代の主流はどんどん新時代の動画コンテンツへ進むでしょう。変化や進化は何も悪いことではない。カルチャーなんて壊れてさらに強く築いて生まれ変わってを繰り返すべきで、がむしゃらな新参が派手にぶっ壊して時代を切り拓く混沌を僕は望んでいる。インプレッションと好感度の奴隷となって秩序を保つことは気に食わない。
 Twitter、敢えて旧名称で書いているのも訳がある。青い鳥とともにテキストサイトと匿名掲示板から派生したテキスト文化も、何もない人間たちがしょうもないユーモアをツイートのみで笑い合えた日々から醒めるだけ。このSNSのゴールは認証バッジを得て数字を稼ぐことだと明確に示された。それは運営上、なにもおかしいことではないとも理解できる。だから、僕には夢の内容を懐かしむことしかできないし、夢の余韻を彷徨いながら最後までしがみつく他ない。
 みんなも醒める時が来る。
 大きなモノがより勢力を拡大し、映像がなにより輝く時代がやってくる。凋落と復活はセットであり、僕らが楽しすぎた青春は潰れる代わりに新たな文化が生まれ、それにも飽きたらリバイバルで再び僕らに恩恵が与えられる。少子化なのだから、申し訳ないが自然と40代になるころ、あと10年後あたりには僕らがメインのターゲット層になる。ネットはまだ若者も居るので見えにくいものの、あらゆる企業は40代を狙い続けている。いずれ僕らも自然とスナイプされ、受け入れ、Win-Winとなる。
 僕はただアニメを作っていれば良い。それまでの繋ぎと少しでも文章を磨くため日記を書き続ける。混沌と秩序は持ちつ持たれつ、秩序の影に必ずカオスが発生している。そして、そこは若者の遊び場でならなければならない。
 だんだんと僕らは席を空ける。遊び場がないのだから現実と向き合っていくのでしょう。一足先にリアルで待っている。
 

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