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一口エッセイ:中野の喫茶店で生きる

 基本的に、「起きる→中野ブロードウェイを散歩→喫茶店で読書や作業→帰宅して深夜アニメ→眠る」を繰り返して生きているのですが、たまには変化をつけてみるかと、最近は喫茶店をいろいろめぐっています。雰囲気が好きな喫茶店ほど店内が広くないので数時間は滞在できず、結果的にチェーン店が一番楽なのですが。なので、個人経営の喫茶店→チェーン店へと無駄な動きになってしまうことが悩み。それはそれとしてですが。
 で。中野はサブカルの聖地と言われているので若そうなイメージがあるものの、実は居住している年齢層は高め。新宿に近いことでの家賃の高さやサブカルといっても最新のカルチャーでなくレトロであることもあるでしょう。とはいえ、サブカルのメッカを堪能する巡礼者の若者も多い。毎日、ゴスロリや甘ロリだったり美少女キャラクターがデカデカと印刷されたシャツを着ているオタクを見かけますが、通行人たちは誰も注視していない。「中野だからこれくらい居るさ」とスルーする。こういった部分はとても地域だなと感じます。
 話を戻すと、そんな遠くからやってくるサブカル若者やオタクイベントの参加者以外は、老人でいっぱいの街なのだ。個人経営の小さな喫茶店へ行くと、店主も客も老人である。今風のフォトジェニックを狙った敢えてレトロな店構えでもなく、ただ昭和から在り続けることでのレトロ。本を読むには最適な環境。

 例えばこんな喫茶店。
 店内の壁にレコードが並べられ、本棚にも音楽関係の雑誌が詰まったお店。そこへ若者二人で突入し、思うまま「最近のきらら」の話をする。まるで野球や政治について語るように「今のきららの新連載はね〜」と話しているので、ごちうさを連想してカプチーノを注文。すると店主が「このカプチーノは、昭和からあるマシンでしか再現できない味で〜」と蘊蓄を繰り広げてくれるのです。これはチェーン店では無い体験なので嬉しい。何十年も中野でコーヒーを出し、やってきた客へ味への拘りを嬉しそうに話す。なんと素敵な生き方なのだ。
 その後に、顔見知りらしき老人たちが来店したので、店主は「そろそろギア上げるか!」といったテンションでBGMにジャズをかけ始める。味と音楽を愛する喫茶。これこそ中野ですね。
 他にも数軒回ってみた。店主のお婆ちゃんが「○○(別の中野にある喫茶店)の店長さんがお婆ちゃんって呼ばれているのこの前見ちゃったのよ〜。わたしと同世代なのに。じゃあわたしもお婆ちゃんと思われてるのね〜あっはっは」と会話していて良かった。その○○にも寄ったことがありましたが、正直両方とも「優しいお婆ちゃんのお店だな」と認識してしまっていた。本人たちにすれば「お婆ちゃんと呼ばれるには少し若い」イメージだったのだ! これは申し訳ないが、それも含めて老いを満喫する様子は楽しそうに見える。その話を聞かせているお客さんも「俺もこの前孫にさ〜」と笑って話していて素晴らしい。この空気を壊さぬために1時間くらいで次の店へ移らないといけないことだけがつらいところ。
 そんなもう一つのお店では、お客さんのお婆ちゃんたちが盛り上がっており、なんらかの場所を指して「あそこにはババアしかいないよ。わたしたちみたいなね、イーヒッヒ!!!」と爆笑していた。自己認識が「ババア」の老婆いいよね……。楽しそうでなにより。が、その後すぐに話題は寿命や身辺整理へと移り、「どれだけ他人に迷惑かけずに死ぬかだけ気にして、あとは美味しいものだけ食べて暮らそうねぇ」と静かに語りだす。緩急が凄すぎる。とつぜんしんみりさせないでくれ。しかも考え方が良すぎるだろ。残りの人生、美味しいものたくさん食べて欲しい。
 そこへ無言でコーヒーを差し出す店主。素晴らしい空間。僕も老後は、こうして中野にお店を開き、やってきた同世代の客と世間話をしたり、若者へサブカルの昔話を語って過ごしたい。これが一番幸せなことだとしみじみ思う。思っていたら、駅前で思想の強い方々が、思想の強いポスターを老人たちへ配っていた。休日はつなに駅前でなんらかの団体が社会への反発や政治の腐敗について演説している。あまりに自由な街なので思想も自由。一部の老人たちは、この団体に入っていろんな非日常を過ごすのでしょう。それが幸か不幸かまでは分かりませんが。そういう街です。

 




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