見出し画像

一口エッセイ:漏れは芋虫

 暗い自室で布団に包まってじっとしていると、自分の姿が自意識だけが肥大化して肥えた芋虫のように思えてくる。
 「ワガママ」と「拘り」を混同しているところが気持ち悪い。これは、気難しくて繊細な人間の「拘り」だから仕方ないですよといった空気を出しつつ、その実ただ自分の思い通りにいかなければ暴れているだけ。心底、己のことを軽蔑してしまうが、知能も芋虫と同程度であるわけだから、分かっているつもりが同じミスを繰り返す。いや、単純に分かっていないんでしょうね。
 子供の頃、Zガンダムでエマさんが「自分の都合で大人と子供を使い分けないで!」と説教するシーンが怖かった。これは、自分が大人になったら他者からそう認識されるであろうなと、まるで未来を覗いてしまったようで恐ろしかった。気持ち悪いです。芋虫だから、大人と子供の狭間でクネクネ不快な動きをすることしかできない。
 それから続いてダンバインを観たら、「都合で男と女を使い分けるんじゃないよ!」といったセリフがありました。意識的に被せているとは思えないので、富野監督自体が「都合よく何かを使い分ける軟弱者」を心底嫌っているのでしょう。それも本当に怖かった。思考の走らせ方一つで、人間はどんな出来事にも被害者面することができる。何か問題を起こすたび、都合よく被害者ぶって逃げる自分の姿を想像して吐き気がする。
 けれども、それらが改善することはなく、むくむくと歪な自意識だけが培養されていく。自分が気持ち悪くなってくるけれど、芋虫は目の前の葉っぱを貪ることしかできない。僕の場合は、惰眠を貪ることになる。それしかできない。
 膨らんだ自我を脱皮のように脱ぎ捨てなければならないが、そうすると自分には何も残らない。それが怖いけれど、そもそも自分のような人間が世界に何かを残せること自体が傲慢にも思える。結局、またしても自我に阻まれて身動きできないわけです。もぞもぞと布団の中で蠢く醜い肉塊。
 惰眠を貪るしか脳がないのだから、その通り眠ってしまっていたら、中学時代の夢を見ました。僕の夢は、基本は学生時代になっています。大人になってからまともなイベントを踏んでいないからでしょう。脳味噌の奥の深層心理では、まだ幼い思春期のまま。このギャップが起きるたびに襲ってきて不快になります。
 ある日、同級生が少年院から帰ってきました。そりゃ少年院送りにされるような不良ですから、道徳とは無縁そうな男であったけれど、どうやら少年院に『寄生獣』が置いてあったらしい。娯楽の少ない監獄で、彼はシンイチとミギーの物語に夢中になった。おかげで、学校に戻ってくる頃には、少しだけ道徳を身につけていた。
 不良仲間になかなか『寄生獣』の話が通じないので、彼は感想を僕に伝えた。漫画から学んだことを語る彼の表情は本当に嬉しそうで、曲がりなりにも人の役に立てた事実で僕も嬉しかったんです。その時の夢を見た。
 起きたら、1時間くらいが経過していて、すっかり早朝。太陽は見たくないから、睡眠薬を飲んで眠り直す。薬の効果で、今度は長く眠れる。真っ暗な布団に包まれ、また芋虫のように丸まって寒さを凌ぐ。何故か僕は暖房がものすごく嫌なので、ぐっとベッドの上で小さくなります。薬が効いて眠りにつくまでの間、肥大化した自意識のせいで傷つけてきた人間たちに責められる感覚に突かれ続ける。それでも本人には謝らず、こうして脳内だけで格闘して終えるところが、また僕の気持ち悪いところなのでしょう。
 眠れば、きっと再び僕は学生として沖縄の道を歩き出す。死ぬ寸前の芋虫が見た、自分が人間だった頃の幻覚のように思えて、罪悪感に気づいてしまうと、今度は現実の方に堕ちていく。
 
 

サポートされるとうれしい。