深夜の道化
深夜3時頃にスペースを始め、恐らく100名近くが2時間ほど聴いてくれた。配信業などではないから極々たまに突発的に起こるイベントでしかないが、嬉しいね。僕は誰かの夜の寂しさを2時間埋められた。
インターネットには、誰かの寂しさを誰かが紛らわせる場所であって欲しい。幼き僕がテキストサイトに齧り付いて奇妙な生き様のオタクたちへ共感したように、単身で上京した僕とふざけあった深夜のタイムラインに蔓延るアニメアイコンたちのように。誰かの孤独がちょっぴり救われる空間で、それだけがルールになればいいのに、と考えてしまう。この人口の多さと企業が絡んだ時点で今やあり得ない構造だ。
話の内容はどっちでもいい。ただ僕がゆるくフォロワーからの質問や話題に乗っかかるだけだ。僕はバカだから投げられた疑問へ愚直に思ったことを話す。あなたたちはネットのわけわからん怪しいおっさんの話で暇を潰す。中には、いま世界で誰かがそこに居る安心感を覚える者も居ることでしょう。わかっていても、深夜の静寂は「世界に自分しかいないんじゃないか」と思わせる力があるから。
スペースでの配信、それも80〜100名規模。深夜に突然行われた、ネットの片隅、田舎の小さなで小さなお祭り。我ながら一番良いことだと思うよ。僕らは何万もの人が行き交う巨大な花火大会なんて御免蒙るはずだ。地元の小規模な賑わいで良いんだ。誰かが深夜の世界に自分も居るぞと発信していればいいんだ。
上下関係なんてあって欲しくはない。深夜の田舎の集まりに社会が必要か。全員眠れないならず者でくくっていいじゃないか。この場ではみんなが深夜のネット民AやBだよ。窮屈なんだ、昼や夜のインターネットは数字による忖度があるだろ。企業とか個人事業主だとか、いろんなポジションが人を縛るだろ。僕は企業のアカウントが暴れることがあったって良いと思うんだけどね。人間じゃないか。感情がある方が楽しいだろ。仕事を全うするだけのプロは砂場に必要ない。
攻撃的なクソガキが混じるのも健康的かもしれない。彼ら彼女らは、寂しさに対して正攻法で構ってもらう方法をまだ確立できていない。不安が悪ふざけや攻撃性に繋がる時期もある。残念なことに年齢的に大人になった僕らは、ある程度を黙って受け入れなければならない。たまにやり返すくらいあってもいい、それが人と他人のコミュニケーションであると信じている。
僕は一般的な倫理に従わない滑稽なピエロそのものだ。けれども若者が集まることもある。退屈な社会人より、いっしょに遊んでくれる、寂しさを忘れずにいる道化師の方が愉快に見えるんだろう。僕が若い頃も、そういうピエロがいて、やっぱり好きだった。
僕も寂しくなくなったら深夜のネットからも消えていくんだろうか。その頃の僕はリアルで幸せなんだろうか。はたまた両方の現実でも幸福を諦め切っているのだろうか。
決して、決して忘れはしない。就職した、家庭を持ったアニメアイコンたちがどんなに見捨てようとも、社会に塗れて感情を上書きされようとも、僕は何にもなれない深夜の寂しさを忘れることだけは生涯無いまま死んでいく。
サポートされるとうれしい。