一口エッセイ:言語の限界を広げる
今日は本当に頭が限界だ。脳味噌が揺れている。今夜は諸事情から、まあ具体的には海外の配信者が何を喋っているのか知りたくて6時間くらいずっと英語を聴き取っていたのですね。一応、一応だが僕は毎日日本語を書いては投稿する身なのだから、相手の言葉をできるだけ自分流に翻訳したくなったのです。長時間、他国の言語に触れ続けると世界観がバグって頭がぐらぐらする。知恵熱みたいなもので不快ではない。
翻訳って機械的では情緒が消滅する。Google翻訳ではだいたい敬語になるし、イカした言い回しのジョークの味は薄くなる。超てんちゃんのツイート、そして僕のツイートにもたくさんの海外ファンからの引用やリプライがきて、それらを翻訳しているうちになんとなく英語でのテンションが分かってきた。オタク特有の大袈裟に感動を伝えるやつは当然英語圏にもある。「おまえ、かわいすぎ罪で逮捕……」みたいなね。ちなみに、海外の配信者も「かわいすぎ罪で逮捕」と本当に言っていた。あまりにかわいくあざといものを見たら、もはや罪として扱う。世界共通の感覚。
僕へのリプライはスラングもたくさんあるから、結局は翻訳サイトでなくどうにか自己流で解釈したりもする。そういうことをしているうちに、「微妙な翻訳文」が分かってきた。あまりに直訳しすぎて「かわいく/カッコよく」なってないなと。逆に意訳がすぎる場合もある。それはそれで面白い。この翻訳者は、このキャラクターの発言は日本語だと暴力的なまでにガラが悪く認識しているんだな〜となったり。
「言語の限界は思考の限界を意味する」とウィトゲンシュタインは語った。そんな哲学的な重みはともかくとして、単純に英語が使えるだけで分かることは段違いに増える。最近、ニディガのファンでスペイン人がメッセージを送ってくれるのですが、やはり英文。とりあえず英語でコミュニケーションしていればたいてい伝わるので丸いのだ。やはり、自分へ話しかけている人や、自分の好きな人が何を喋っているかは、自分の言語センスで翻訳したい。何故か今はそのような使命感に溢れてきている。海外の配信者の発言に対し、僕がいちばん感情を情熱的に訳せるんだぞと自信を待ちたいのかもしれない。オタクの意地だな。
これは海外で日本のミームを紹介しているオタクからの連絡で、ざっくり「誕生日を祝ってくれないか」「まさか本当に祝ってくれると思なかった。今日は間違いなく良い日になる」って感じでしょうか。これもGoogle翻訳だとガチガチになる。「改めて、本当にお返事をありがとうございました」ってね。最初に「ギャング(へい、悪友!)」と話しかけているのだから、もっとフランクな雰囲気のはずだ。僕はこの人の仲間じゃないが、まあ一方的でも親しみを持たれているなら悪い気はしない。
文章を書く身としては、このへんの機微がどうしても気になって、自分なりの落とし所が見つからないとムズムズするのだ。このむず痒さは珍しく良い方向に作用しそうだね。
振り返ると、ジムに通って英語を覚えて……と最近の僕は行動だけ見ると意識が高い! もう30歳なのだし、背伸びして意識が高くなることも恥ずかしがらない方がいいか。そういうのがね、今は楽しく感じているんです。けど脳内が英語でクラクラするから今日はたくさん寝るよ。goodnight。
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