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収集家の恋人

 自分がいま恋人ができたら、これまた愛情の注ぎ方が過剰で良くないだろうなと感じています。なんといいますか、過保護ではないが大切にしすぎる……この方だと優しい人間のように見えるものの、単純に異常に尽くすことで歪な関係が出来上がってしまうでしょう。
 つまるところの僕は収集家で、玩具と本を部屋に飾ることを生きがいとし、そのために日々部屋を掃除することに一切の苦がない。自室は自分の心の中そのものなのだから、できるかぎり理想の状態で眺めるだけでも幸福なものにしたい。今日も最近購入したキラキラなメカゴジラのソフビをどう飾ろうかで一喜一憂する。


 僕は洋服やアクセサリーも好きだ。
 それは自分の身体も、自分のコレクションの一部と認識しているからでしょう。そう考えると週3のジム通いも苦ではない。己のコレクションをより理想に近づけ着飾ることは集めた者の使命であり、それが簡単な訳がない。僕自身が腹筋するのも、大事な本のすべてにブックカバーをかけてやるのも同じことです。
 恋人を「自分の半身」と捉える。互いの人生を半分わけ与え、融け合うものであると考えている。つまり、それは半分自分なのだ。なので、僕は恋人の悪口を言ったり酷い扱いをする人間が理解できない。それは半分あなたの魂なのではないか。そう認識しておらず、なんと無く雰囲気で選んだうえで詰り合っているのなら罪だ。それで成長することもあるでしょう。けれども、僕には醜く映る。
 かつて母親が彼氏を取っ替え引っ替えしていたことは、僕にとって非常に不快であった。それは母親目当ての男が息子である僕の好感度を上げようと媚びる様子に辟易していたのもあるし、アニメやゲームで夢見ていた「恋愛」の現実が、別れて1.2ヶ月でまた新しい男ができる程度のモノであったことも理解を拒んだ。今は母親も片親であることが寂しかった、苦しかったことも理解できるけれど。
 だから僕は美少女ゲームのような恋愛を諦めきれない。たまには愚痴ったり喧嘩したりもアクセントでしょう。けれどもそこに打算や現実は介入して欲しくない。いっしょにいる時は夢心地の非日常であるよう努めるべきじゃないか。恋愛は麻薬レベルで脳内物質が飛び出る数少ない人間の快楽なのに。
 きっと、僕は恋人も自分の半分、つまりは大事な大事なコレクションの半分に見えるでしょう。コレクションが綺麗であるための努力を惜しまず、それは本懐だ。毎日櫛を通し、服を選びに行き、興味のある本や映画をともに嗜む。それで恋人が喜び、昨日より綺麗になるなら何でもしてしまう。恐らく、それは家庭のない僕にとって子供にも同じ感情を抱く。
 お金や仕事のことなんて考えなくてもいい。僕は一人暮らしも長く、また先述した通り家事は喜んで行う方で、また嗅覚の関係で食事に興味はない。恋人はただそこに座って微笑んでくれていたら良い。時に憂い顔をしていても可憐でしょう。一つだけ約束してもらえるなら、綺麗であること、気高く美しくあることを諦めないで欲しい。それだけ守ってくれるなら忠義のかぎりを尽くすと誓うことができる。なんなら僕のことなんて好きじゃなくてもいい。召使いAと思ってもらって構わない。仕える価値を秘めた気高きお嬢様相手なら、僕の存在は視界の端に映るゴミでも問題はない。

 そこまでいくと人形だ。現実に存在するのは人間だ。けれどもドールのような繊細さと人間の逞しさを併せ持ち、僕の感覚に共鳴する者といつか出会えるかもしれない。尊敬する精神科医も、僕に「理想の恋人に巡り合う可能性は人生で稀にある」と語った。この言葉はずっと胸に残っている。たしかに、確率的には0では無いのだ。世の中には、きっと偏屈な収集家にもついてきてくれる謎の人間も居るのではないか。
 「なんだかんだ恋人いるんでしょ?」と訊かれるたびに、このような説明をするのが面倒で、ここでばっと書いておきました。僕がパートナーを見つけるなんてことは非常に難しいでしょう。そのような人が隣に現れたとしたら、コレクションケースに保管するように、毎日ただ綺麗な夢の中で暮らす華々しい時間にする努力を惜しみはしない。
 

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