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一口エッセイ:ひとり旅の理由

 いろいろ理屈はつけてみたけれど、本当のところは僕が銀河ステーションの切符を持っていないからだ。
 沖縄に居た頃は自転車の方が速いようなモノレールが僅かに伸びているだけで、何かに乗ってどこまでも行ける実感が湧かなかった。
 なので、一人で新幹線に飛び乗ってみたのです。東から西へ。高速で移動する。でも、それだけであった。窓の外からは石炭袋のぼんやりとした光が見えるわけもなく、各駅で停まって乗客たちと二、三と会話を交えることもない。2時間ほどじっとしていたらただ目的地へ着きます。
 なんてことないビジネスホテルに泊まり、近くの繁華街を歩いた。こんな街でも平日は0時にはみんな居なくなるらしい。唯一、話しかけてくれたケバブ屋の外国人だけが優しかった。「一人で旅するなんて珍しいね」と笑っていた。彼は業務中つねにスマホのカメラで同じ国の知り合いと雑談し続けていた。屋台の中だけは夜も明るい。



 それからお寺を巡りに田舎へ向かった。ローカル電車はちょっとだけテンションが上がった。一面の緑や日本らしい家屋の並びは都内ではめったに見れない光景で、人々の暮らしを近くに感じることができる。それでも、移動は移動だ。それ以上のことはない。夕映えを集めてほんのり赤い線路には見惚れてしまったけれど。やはり、僕は今までそこに無かっただけで、本質的には電車やその周りの様子が好きらしい。

 次は夜に寝台列車へ乗ってみた。個室から通り過ぎていく深夜の街の光は何かを感じさせる気がしたから。
 これは正直、気持ちが良かった。東京から離れるに連れ、だんだんと灯りが減っていき、無機質な工場群や整備されていない森へと突入する。こんな場所にも誰かは存在していて、そこで営みをしている。それが不思議に感じる。
 けれども、やはりこの列車さえ宙に向かって進みはしない。寝て起きたら島根に着いているだけで、北十字も白鳥の停車場もない。ともに幸せについて語り合ってくれる友も居ない。
 満たされなさとは、こういうことなのでしょう。結局、地を這って生きる人間に生まれたからには、善を学び、徳を積み、知を愛して信仰を越えた先に行くしか、天に昇っていく瞬間を味わえない。そんな生き方、到底自分にはできない。
 列車が到着するまでオルゴールを鳴らすしかない。この暗闇の中であれば、あとは目さえ閉じれば銀河も現実も変わらないから。
 個室に星めぐりの歌が流れる。

あかいめだまのさそり
ひろげた鷲の   つばさ
あおいめだまの小いぬ……

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