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一口エッセイ:自慰行為

 フォロワーが、自虐のニュアンスで「人に言える継続してきたことTwitterとマスターベーションしかない」とリプライしてきたものの、僕は彼のスタンスが心からカッコいいと思ったので、「それだけでもいいさ」と返しました。胸を張って生きて欲しいから。
 まあTwitterはどうでもいいとして、人生とは壮大な自慰行為だと認識しています。どこまでいっても最後は自分と向き合うオナニーでしかない。セックスはつまるところ他者とのコミュニケーションだ。もちろん他者と対話することは重要であるし、気持ちの良いことだけど、人間は本質的に独りだよ。恋人や結婚相手が居ても、それは独りの人間が二人並んでいるだけ。真に他人と融合することはできない。
 自慰とは、自分を慰めると書く。良いことですね。自分の寂しさや悲しみを自分が癒す。立派なことだ。一人でできてえらい。そんな行為を「継続してきた」と言えるのだから、この人はカッコいい。僕はね、自慰行為の回数が目に見えて減ってしまったよ。もう30も近い。10代後半〜20代前半の頃は永遠に尽きないのではと感じていた性欲も、だんだんと週に数回DLsiteを徘徊する程度に落ち着いた。全盛期は、催眠モノが大好きだったから、気に入った純愛モノのイラストを片っ端から催眠シチュっぽくコラしてセリフを書き加えた。いま、自慰のためにそんな手間をかけるかと言われるとノーです。
 「産めよ増やせよ地に満てよ」、神がそのように命じたからかは知りませんが、僕ら人間は本能的に生殖活動を求める。生物としては「繁殖」こそが全てなのですから、性欲という生きるためのエネルギーが減少していくのは問題だ。島耕作だって性欲とともに出世してきた。学校や職場のムカつくアイツらも、家に帰ればオナニーをする。それが正常に生きている証だから。「生」を満喫することに何の罪もない。神は肯定している。

 作家・稲垣足穂のオナニーに関する考え方が最も素晴らしい。「快感はONANIが世界一ですよ。自由自在でどんな複雑なこともできる。そのまま変換して哲学にもなるし、文学にもなる。プラトンの哲学、ゲーテのファウスト、これをONANIといわんでなんじゃい」、おっしゃる通り。哲学や文学だって、言うなれば自分を慰め、納得するためにある。複雑なだけで要は自慰行為なのですね。ちなみに、この稲垣足穂と野坂昭如の対談は、最後に「それじゃ、キスをしよう」と
唐突に唇を重ねて終わる。これが本当にカッコいい男たちの生き方なのだ。


 僕らは、もっともっと自慰行為をしなければならない。自分を慰められるのは自分だけであることを確認し、強く噛み締めるために。僕は、マスターベーションを継続してきたことを他人に言える人を尊敬するし、ブルーアーカイブで過酷なオナニーをするオタクを笑わない。お前らが一番かっこいいし、誰より哲学と文学を堪能している。


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