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一口エッセイ:明日カノに登場するオタクのコミュニケーション

 超てんちゃんアンソロジー2巻の最終話が掲載されました。今回も粒揃いの作家陣によるニディガ観を描いていただいたなか、トリを飾ったのは『明日、私は誰かのカノジョ』を連載中の、をのひなお先生でした。




 先生の描くあめちゃんは、線が細くて触れたら壊れてしまいそうなか弱さを感じられて素晴らしいと感じます。無料期間は数日ありますので、内容に関しては今のうちにお読みください。アンソロ2巻自体は月末に出版されますので、その時にまとめてでも。
 なので今回のアンソロの話は置いておくとして、今日は「明日カノ最終章に登場するオタク」の切なさや共感についての話をします。


 明日カノの主人公・雪は、タイトル通り「レンタル彼女」として支払い金額に応じた時間、お客さんの彼女になって振る舞う。上記画像のオタクも当然その一人である。
 先生のインタビュー曰く、「現代の女の子でありえる日常を切り取っているだけなので登場人物も誰かにとって悪人でも誰かにとって善人だ」(意訳・要約込み)と話しており、この立ち位置はとても共感できます。現実のある風景を切り取って味付けしただけで、そこへの善悪や倫理の判断は受け手が勝手に考えればいい。僕も、その感覚には同意します。善悪なんてそう簡単にハッキリさせられるものではないし。
 なので、「レンタル彼女」なる不安定な商売を続ける雪も、その仕事のおかげで誰かを救うヒーローにもなっているし、逆に誰かを傷つける(目の前のオタクだが)悪魔とも描写される。その是非は読者それぞれが考えていくしかない。……といった重々しい話はともかく、このオタクの「非オタクへ歩み寄っている風」な喋りがまたリアリティがあって怖い。
 というか、たぶん僕もこういう形の喋りを確実にする。「この作品は観た方がいいですよ」と自然に勧めてしまう。もちろん、次会う時までに観ろ!と押し付けたりはしませんが。基本的に、他人とのコミュニケーションは、好きな本や映画を通して行い、互いにここ最近のオススメを教え合って解散などを繰り返している。ここですっぽり「アニメや漫画の話」が封印されると途端に僕はしどろもどろするであろう。実際、美容室などでいわゆる「世間話」の流れになった場合、どう反応してなにを続けていいのか不安で堪らないのです。
 このオタクもそこまでしつこくエヴァの話を強いているとは描かれていない、ただ彼はエヴァの話くらいしかできないし、そこへあまり雪が興味持っていないことを薄ら感じて多少は引くくらいの常識は持ち合わせている。オタク客も不器用なだけで悪とまではいかない(次巻予告で拗らせてましたが、少なくともこの時点では)。悪でないけど若干面倒くさいのだ。
 僕が今は創作関連の話を多めにし、その業界の人間との関わりを中心としているのは、「みんなで作品を勧めあったり感想や意見を共有する」ことが互いの利益になるため、コミュニケーションとして歓迎されるからです。ある程度似たような感覚のやつらで集まれるし、共に何かを作る上でのヒントになるかもだから、無意味にはならないのですね。これがとてもありがたいので、僕はもう数年は何かを作っているべきだ、そうして人間関係をゆっくり学ぼうと考えているわけです。僕は、このオタクと何も変わらない。環境が違うのでどうにかっているだけで。

 雪は、心を許した彼氏相手に「ハッピーエンドで好きな映画は?」と訊かれて、「トゥルーマン・ショー」と答える。僕も大好きな映画だ。彼氏はタイトルを覚えて帰ったが、僕なら「ハッピーエンドだけど残酷でもあるラストのラストのザッピングが他人の幸せなんてその程度っていうブラックな感じが効いて〜」と続けてしまうだろう。その広げ方しかできないから。
 こんな僕でも、視点によっては誰かの「善い人」に見えていると嬉しいけれど……自分では自分を話すと妙なところで面倒くさそう過ぎて敬遠するだろうなと感じている。
  

 同人誌BOOTH今月で締めます(合同誌のみまだ残っています)。商業エッセイ集もよろしくね。

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