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今後の方針とか 信ずるカルチャーとか

 朝までプロデューサーと打ち合わせをしてもらいました。
 ざっくりとした内容として、「あめちゃんの存在を自分だ、わたしのものだ、と強く直感している海外のゴスやパンクな人たちへイベントを開きたい」「生まれた時期的に僕が間に合わなかったウゴウゴルーガのサブカル的熱狂をインターネットカルチャーで近づきたい」といった相談をしたのですね。
 自分の生きる目的としてのゴス、90年代のアングラ寄りなごちゃ混ぜサブカルに今まで以上に舵を切りたい。それに対してウゴウゴルーガを再生しながら「具体的にはこれ!」とやっていたら3時近くなってしまった。肌感として、こういった時間が無いと発展はないので互いに良しとする。
 自分の理想への方針に対し、日本での理解者は少なく、今まで以上に海外の作家陣を見ていく必要がある。プロデューサーの話では「(にゃるらと同じく)国内での同士が見つからずに苦しんでいるクリエイターは各国に居る」とのことだった。彼は最近インタビュアーとして世界各国のゲームクリエイターへ取材を繰り返しており、例えばブルアカチームへのインタビューなどを通して世界のオタクたちの肌感を掴もうとしています。立派なことだ。
 で。プロデューサーの結論としては「国を越えて作家が連帯する必要があるのでは」と話しており、僕も政治的に抑圧された海外のオタクたち、ナードとギークの鬱憤や怒り、孤独……要するにロックンロールに興味がある。呼応するように、現在行われておるニディガのポップストアでは海外からのファンが急増した。インバウンドがどうこうもあるけれど、それだけでは説明がつかない。彼ら彼女らは、サブカルチャーとして敬愛する日本から発生したロックな精神を愛してくれている。言い方を変えれば、「大衆の空気を読まないといけない昨今の作品づくり」に明確な不満を持ち、我慢のターンに呆れている。
 プロデューサーたちの話は興味深く、出版業界でも似たようなことが起きた。それこそウゴウゴルーガから爆発したアングラ寄りなサブカルノリは、『危ない1号』などの鬼畜系雑誌の大ヒットにより徐々に規制されていく。当時のメディアで起きた現象をネットもなぞるだけだ、と。とはいえ、ウゴウゴルーガが、僕の場合はルーガを盛り上げた電気グルーヴやYMOなどのテクノポップが残した遺伝子は確実に多くの変なやつらに継がれていく。


 僕が前回のニディガ生放送でウゴウゴルーガ的な世界観を構成したかったけれども、諸々のミスで失敗した悔しさを熱弁し、プロデューサーも「マジ」を理解してもらえた。打ち合わせが成功するかどうか、作家側の「こいつはコレに本気なんだな」と納得してもらうだけである。ウゴウゴルーガに脈絡なく登場する、わけわからんけど才能が凄まじいサブカルスター枠に、僕が現代ネットカルチャーのスターと認識する、原口沙輔さんやchannelさんが前回の放送に協力してもらえたことは大変喜ばしく、手応えは大いにあったことから、やはりリベンジはしたい。僕の多すぎる反省点を乗り越える必要がありますね。
 それはともかく。
 このあたりの感覚に近しいものを、確実に海外の人たちには、そりゃ全世界規模で見たらぽつりぽつりと同士が居るわけで、ゆっくりとそのような人たちと接触しなければならない。何かを起こすには最低3人は仲間が必要とプロデューサーは語り、連帯できなれば個人の感情は内側に消えていき易い。プロデューサーは僕が持つ熱量の方向性を理解し支えてくれつつも、「熱量」の理解者であって構築した「世界観」の理解者ではない。僕はニディガを通した魂の芯にある部分へ理解を示してくれた何者かを、国内外問わずに繋がることで成長ができるはずで、何よりようやく安心が得られるかもしれない。
 そのためには英語を学ぶ必要があり、英会話の先生を紹介していただいた。週3の筋トレは一年続いた今も飽きることなく、薄々感じていましたがプロデューサーからの評価として「本当は勉強が好きなやつ」であった。僕は学校から強制されることが死ぬほど嫌いで教科書なんか開いてなるものかと信じていましたが、大人になったいま、言わばジムでの体育の授業、英語圏のクリエイターからの英語の授業に対して、非常に積極的である。30になって生まれて初めてまともに受ける授業が楽しいのです。今まで心底毛嫌いしていた概念でしたので、あまりに盲点だった。
 数ヶ月前に、アニメの資料作りのため訪れたオランダやドイツは素晴らしかった。ヨーロッパには、古くから残り続ける美しい街並み、建造物の歴史がある。地震の多い日本では残念ながら実現できない、神を目指すため人々の信仰が形となった天高く聳える教会がある。そこで育った人たちには、ごく自然に身についた尊敬すべき美的感覚がある。ゴダールの生まれた場所だ。
 僕の信ずる「美」の概念をさらに理解するため、僕は英語を武器にヨーロッパでの友人を作る必要がある。だんだんと30代となった自分が動く方向が見えてきた。またアムステルダムへ行きたい。もはや帰りたいという感覚すらある。薬物と風俗を国が管理し、荒れることなく皆がごく自然に路上で酒を飲んだりラリったりしながら笑顔で暮らす場所は故郷・沖縄の目指すべき姿を想起させ、歩くだけで安らぎを覚える。現実が嫌いな人間がラリってそのへんで寝ててもいい筈で、そこには美と醜が同居し、それは人間らしさに溢れた美しさがある。英語をあの時より身につけ、より強くなってアムスに帰るのだ。

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