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一口エッセイ:芋虫くん

 世の中というのは、歪んでいるなりにまともで綺麗だと感じる。けれども、それを認めるにはかなりの勇気がいる。大きなものを悪としなければ自分が壊れてしまうから。だから世界中が己と同じく陰湿で矮小で小汚くて卑怯者でないと納得できず、そのような人間たちと集まって井の中に籠ることで真実を見ずに心地よくあろうとする。それが最もズル賢い。
 ならば絶望を覚えてしまう瞬間は、世界が思っていたより優しく純粋である部分に触れてしまうことだろう。人間がちゃんと人間なりに生活や文化を嗜み、笑って傷ついて傷つけられて、それでもたくさんの間違いも正解も踏みしめながら進んでいく逞しさを見てしまった時、もっと具体的に言うならば周囲の人間が真っ当な努力をしていたり、素直に感動や行動をしている様子を目にしてしまった瞬間。
 怖くて堪らないはずだ。同じ岩の下の虫じゃなかったのか。陽の当たる場所を闊歩する存在を恨んで妬んできた仲じゃなかったのか。蟲じゃないんだ。みんな、本当はきちんと人間で、人の強さも弱さも知っているから、他人のことを許すことも愛することもできる。いつまでも他人の悪事や欠点を勝手に想像してネチネチ揚げ足取りしている方が異常なのだと、分かってしまう。周りが壁を這い上がって井の中から脱出していく恐怖。そうか、薄暗い地の底で自他の不幸を貪り肥えるだけの醜い芋虫は自分だけだった。
 しかし、今さらどうすればいい? 努力や勉強、創作活動や人間関係は全て斜に構えて見下してきた。全力でバカにしてきた。みんなそう言っていただろ? 匿名のアカウントたちは今でもそうしているのに。実は仮面の下で各々が真っ当な生活をしていたのか。それなりの努力を重ね、人生とやらを送っていたのか。それとも匿名のこいつらだけは本当に味方なのかもしれない。でも、何の役に立つ? 結局、こいつらは万が一こちらが頑張って、欲を活力に換えて色気を見せた瞬間に総叩きしてくるんだぞ。
 詰んでいたのか。いつから? 子供の頃、学生の頃、精神が未成熟のまま成人してしまった頃? もしくは根本からズレて進んでいたから、「合っていた」時期なんて一度も無かったのだろうか。お天道様の下なんて目を背け続けてきたせいで、明るい場所で人も世界も見たことなかったから、本当のことなんて何一つ知らないままだった。何も見ちゃいないのだから、相対的な自分を客観視したこともない。空なんて眩しすぎて直視できない、したくない。したらここまで鬱々としてきた無価値な時間を否定することになる。芋虫にそんな力があるわけない。
 日陰の住人から嗤われながらも、太陽に向かってうねうね進んだ滑稽なやつらの方が救われるのか。それにいつの間にか気づいて地の底を裏切ったのか。ズルではないか。いや、ズル賢いのは自分か。最もズル賢いからこうなったのだな。
 芋虫は今日も狭く暗い地面を無意味に往復し、ゴミを食べて満足したあと、横たわっているうちに次第に惰眠に落ちるを繰り返す。
 

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