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エッセイ:家出仲間のヤンキーと数日一緒に公園で寝泊まりしていた時の話

 理由なんて覚えていないですが、中学の冬、母親に反抗して一週間くらい家から飛び出したことがあります。いわゆる家出ですね。若い!
 なんらかの口論の末、「もう帰ってこねぇから」的な捨てセリフを残して夜の那覇に飛び出したものの、22時以降の街には既にヤンキーとパトカーだらけ。
 助けてくれる同級生なんてどう探しても居るわけないので、一人で2.3時間散歩し続けていると、ジャスコの前で溜まっている(なぜか沖縄のヤンキーはジャスコ近辺が大好き)ヤンキーの一人に声を掛けられました。

 「おまえ何やってんだ」と訊かれ、素直に「家出したんです」と答えると、「那覇空港に行け。あそこは24時間空いているし、補導され難いし寒くない」と秘伝の裏技を伝授。夜の街の住人は僕が想像していたより優しい。
 調子に乗って「バイクで送ってください」と言ってみると、ふざけんなと笑われて本気の肩パンを一発くらわされる。この暴力的なコミュニケーションこそ沖縄らしさだ。痛みよりも先に安心感と奇妙な友情を感じます。
 彼らにお礼を述べ、そのまま那覇空港を目指して歩いてみることに。

 那覇空港までの道は米軍基地に隣接しているので鉄柵だらけ。下手に柵に近づくと見回り用のゴッツイ犬が吠えながら接近してくるので、バイオハザードかよと怯えながら慎重に進む。沖縄でも夜風は冷たい。
 1時間ほど歩くと那覇空港に到着。初めて入る深夜の空港はがらんどうで、世界に自分しか居ないようなワクワク感がありました。このまま飛行機に乗って海外にでも逃げてやろうかと妄想しつつも、そんなことできるわけないのでベンチで眠って朝を待つ。
 日が昇り始めると、沖縄とかいう狭苦しい島から世界へ飛びたつ予定のキラキラ集団がやってきます。
 嬉しそうに恋人や両親と手を繋いでショッピングセンターを回る人だかりと、孤独かつ無一文でぽつんとしている僕との対比が芸術的。
 次第に居づらくなったので街へ戻ることにしました。平日昼下がりの沖縄は学校や仕事で殆ど人が居ない。とりあえずお腹が空いているのでお金が必要だ。
 ジャスコやモノレール駅にあるロッカーというロッカーを開けて100円を集めます。沖縄のロッカーはお人好しなので入れたお金が戻ってくるのですが、それを知らない観光客は返却されたコインに気づかず放置するので、僕ら悪ガキはそれを狙って小遣い稼ぎをする。上手くいけば2・3時間で1000円稼げる。

 そして、また夜がやってきます。街には寂しがり屋のヤンキーたちが溢れかえり、同級生が居ないかとヤンキー集団を観察していると、一人だけ同級生が居たので話しかけてみることにしました。
 彼は「先輩のバイク盗んだことがバレて家に帰れない。俺の家の周りに血眼になった先輩がバット持って待ち構えているかも」と事情を語ってくれたので、経緯はどうであれ家出仲間として共に行動をすることに。
 どうやら彼は公園で寝泊まりしているようで、二人で補導されない注意深く歩きながら公園を目指す。
 大きな滑り台と砂場。滑り台の頂上は壁があって見回りの警察から死角になる。普段はここで待機し、眠るときは近所のスーパーのゴミ捨て場からダンボールを拾い多目的トイレの床に敷いて布団にする。それが彼のライフスタイルでした。

 「空港だって数日いたら流石に補導されるから。結局は公園しかないよ」と非行の先輩のアドバイスを聞きながら、二人でひたすらすべり台を登っては滑るを繰り返した。それしかやることがなかったですが、それはとても楽しい時間でした。
 深夜になると、ヤンキー女子の二人組みがやってきた。どうやら彼の知り合いらしく、3人で楽しくベンチで語り始めたので、水を差すのも悪いなと滑り台の頂上に隠れひたすら目を閉じます。隣に友人が居るのに、誰も居ない空港よりも孤独で惨めな気分に。
 感傷に浸っていると、ヤンキー女子の一人が僕の存在に気づき、すべり台に登ってきてこちらへレジ袋を差し出しました。
 「これカップラーメン入っているから食べてね」
 それだけ言うと、彼女は軽やかに台を滑り降りて夜の街へ消えていきました。こんなギャルゲーみたいな出会いあるんだとジーンとしましたが、これ以降名前も知らない彼女と二度と会うことはなかった。夜の出会いは一期一会。
 コンビニのお湯を使ってカップラーメンを味わうと、ヤンキーの友人と二人でダンボールを盗み、多目的トイレで凍えながら二人で眠ります。清潔感の欠片もない生活。
 ようやく眠りについた頃、トイレのドアが激しく叩かれた。彼は飛び起きると、「交代の時間だな」とダンボールを片付け外に出るよう促す。
 扉を開けるとそこにはホームレスのおっちゃんが。どうやら早朝はここで歯磨きや洗顔をするのが決まりとなっており、この時間からはおっちゃんが僕らの代わりに多目的トイレの支配者となるらしい。
 時間は早朝5時を回っているの、補導されない時間だから僕らも外の世界に居ても安全。いつ誰が決めたか知らないが、ヤンキーとホームレスの間でそういう契約がある。

 それから僕ら二人は何度も楽しい夜を過ごしました。ある時はマンガ倉庫という24時間やっているジャンクショップでジョジョを読破したり、ある時は高校生ヤンキーの集会に顔を出したり。
 高校生ヤンキーたちはガラケーから流れるGasolinaをBGMに、丸めたトイレットペーパーを燃やしたものを「ファイアボール」と称して投げあってリアル・スマブラごっこを始めたり、酔いつぶれたヤンキー女の乳に群がったりして欲望のまま沖縄の夜を満喫する。部外者から見れば最悪の光景ですが、これもまた立派な沖縄人の青春の形。
 本当は「イリヤの空」のように電車で旅にでたかったものの、イリヤの空と違って沖縄には電車はなかったので、どこまでも遠くへ行くことはできなかった。イリヤのようにバイク盗んだヤツは隣に居るのに。

 ある日、いつもどおり公園で寝泊まりしていると、コンビニへ向かう際に運悪く相方のヤンキーが補導されてしまいました。仲間を売るやつではないので僕は無事でしたが、仕方ないので流石に帰宅することに。
 数日ぶりに顔を合わせた母親の第一声は「お風呂入りな」でした。お母さんは「どうせ死にはしないだろって思ってたし」とケタケタ笑うと、既に興味はガラケーのテトリスに移っていた。
 この適当さこそ、僕と血が通った唯一の家族なんだと熱いものを込み上げてくる。実際は、ただの育児放棄だが。

 数カ月後、夜のジャスコ近辺を散歩していると、久々に家出仲間の彼と出会いました。
 あれから強制的に家に帰らされ、先輩にも居場所がバレてボコボコにされたらしい。なにもかもが自業自得なので特に同情はしないが、彼と再開できたのは素直に嬉しい。
 思い出の公園を訪れ、朝になるまで滑り台を登ったり降りたりしました。それはとても楽しい時間でした。
 が、帰宅した僕はカバンに入れていたPSPが失くなっていることに気づく。
 そもそも昨晩は一度も取り出していないので、PSPだけ落とすような間抜けはしていないはず。想像したくないイヤな予感が脳裏をよぎる。
 数日後、ヤンキーの彼がPSPの充電器を探していると噂が校内で流れていました。もう9割確定です。彼はPSP本体だけあっても、いつか充電が切れてしまうことを考えていなかった。かといって充電器を買うためのお金もないし、ガジェットに疎い彼はどこで充電器のみを購入すればいいかすら検討つかなったのでしょう。
 あれだけ一緒に居た人間の物を盗むのか。それとも、もう盗みが癖になって止められなかったのか。はたまた、彼は僕に友情なんて感じていなかったのか。どれだけ想像したところで、真実は本人しか分からないので僕は考えるのをやめました。
 とにかくこれがヤンキーなんだ、沖縄なんだ。少なくとも僕はまた彼と会ってもPSPの件には触れず、何度も同じ夜を越えた大切な友人として接しようと誓い、また夜の沖縄へと飛び出したのでした。


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